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ベフルーズ・ブチャーニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベフルーズ・ブチャーニー
بهروز بوچانی
誕生 1983年7月23日
イランの旗 イラン イーラーム州
職業 作家、ジャーナリスト、映画監督、人権擁護者
ジャンル 自伝、ノンフィクション、詩、ドキュメンタリー
代表作 『山よりほかに友はなし』(2018年)、『チャウカよ、時を伝えて』(2017年)
主な受賞歴 ヴィクトリア州文学賞、ヴィクトリア州首相文学賞、アムネスティ・インターナショナル・オーストラリア賞
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ベフルーズ・ブチャーニーペルシア語: بهروز بوچانی‎, クルド語: Bêhrûz Boçanî1983年 - )は、東クルディスタン出身の作家、ジャーナリスト、映画監督。

イラン政府の弾圧を逃れ、クルド系の難民としてオーストラリアを目指したがマヌス島の難民収容施設に強制収容される。収容施設の中で携帯電話を使って密かに執筆や撮影を行い、収容制度を批判する記事や映画によって存在が知られるようになった。自らの難民体験を語った著書『山よりほかに友はなしクルド語版』(2018年)を発表し、各国で翻訳された。ニュージーランドで難民申請が認められ、人権擁護者としても活動している。

経歴

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イラン時代

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イラン・イラク戦争中の1983年にイランのイーラーム州の山岳地にクルド人として生まれる[注釈 1]。クルド人の軍事組織であるペシュメルガへの参加を考えたこともあったが、非暴力の抵抗の思想にもとづき、ペンの力で活動することを決める[2]。テヘランのタルビアット・モアレム大学英語版タルビアット・モダレス大学英語版で学んで政治学修士を取得し、ジャーナリストとしてクルド系雑誌『Werya』で活動する[3]。クルド文化や政治を推進する活動に関わり、イランの非合法団体にも所属したため逮捕や取り調べを受けた。2013年に『Werya』の事務所が襲撃されたことをきっかけにイランを脱出した[4]

マヌス島への収容

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イランからインドネシアを経由してボートピープルとしてクリスマス島へ向かったが、船が沈没して警察に収監される。再乗船をしたがオーストラリア海軍に拿捕され、パプアニューギニアマヌス島にあるマヌス島域移行措置センター英語版に強制収容された[5][4][3]。これはオーストラリアがパシフィック・ソリューションと呼ぶ国外入国審査のためだった[注釈 2][3][6]。マヌス島の収容施設は2012年の開設以来、環境の劣悪さや暴力が報告されていた[7]

ブチャーニーはイラン脱出の前からFacebookで投稿しており、施設内でも投稿を続けた[8][9]。当初の投稿は2014年2月の暴動で死亡した友人レザ・ベラティについてであり、2015年以降は収容施設における拷問、虐待、抑圧、レイプへの非難を書くようになった。2016年に投稿が注目され、オーストラリアのメディアの協力や英訳によってネットワークを広げた。詩人・人権活動家のジャネット・ガルブレイス(Janet Galbraith)は国際ペンクラブにブチャーニーの活動を紹介し、ブチャーニーの記事が英訳で掲載されるようになり、当初は安全のために匿名で投稿をした[注釈 3][8]。シドニー在住で難民の庇護希望者を支援していたムーネス・マンスービーは、ブチャーニーの文書を英語に翻訳して『ガーディアン』に掲載した[9]。その記事を見たオミド・トフィギアン英語版はブチャーニーの文書を翻訳し、2017年の監獄についての記事が国際的に支持されるようになった[11]。イラン系の映画監督アラシュ・カマリ・サルベスターニー(Arash Kamali Sarvestani)と共作した映画『チャウカよ、時を伝えて英語版』(2017年)は世界各地で公開され、ブチャーニーは上映会への参加を求めてビザを申請したが、オーストラリア政府に却下された[12]

著書の執筆

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ブチャーニーは収容の実態を書いたため要注意人物として監視され、収容施設内の刑務所に8日間拘束されて執筆をやめるように指示を受けた。密かに携帯電話を入手したブチャーニーは、施設での体験をペルシア語でWhatsAppに投稿した[13]。2017年には収容施設からの移送を命じられ、身の安全と設備への不安を訴える抵抗活動に参加した。対抗活動のメンバーは議論や投票によって方針を決め、強制的に移送されるまで3週間続いた。ブチャーニーは飢餓や脱水症状に苦しみながら抵抗の様子をリアルタイムで投稿した。地獄のようだと表現しつつも、初めて自由な生を得た「愛と平和と人間性の共和国」や「深淵で詩的なパフォーマンス」と語っている[注釈 4][14]

ブチャーニーは書きためた文章をもとにトフィギアンらと対話を重ねて推敲し、著書『山よりほかに友はなし』として2018年に発表した[15][9]。同書はオーストラリアに入国拒否をされた作家の体験として発売と同時に話題となった。メルボルン・ライターズで2018年のベストセラーとなり、ヴィクトリア州文学賞英語版とヴィクトリア州首相文学賞を受賞した[注釈 5][17]。受賞によってブチャーニーの身の安全が脅かされる可能性も高まり、オーストラリアのメディア・エンターテインメント・ アーツ同盟英語版はブチャーニーの解放とオーストラリア定住を求める「#FreeBehrouz」キャンペーンを行った[18]

ニュージーランドでの難民認定

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ブチャーニーはパプアニューギニア政府の方針で他の収容者とともにポートモレスビーの施設に移送され、第3国への出国を支援者と密かに相談した。国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)とアムネスティ・インターナショナルの働きかけにより、2019年にニュージーランドの文芸団体ワード・クライストチャーチ英語版のフェスティバルにゲスト講師として参加した。ニュージーランド政府から観光ビザを得たブチャーニーは、クライストチャーチ滞在中にニュージーランド政府に難民認定を申請し、2020年7月に難民認定を受けた。それ以降はカンタベリー大学の非常勤リサーチフェローに就任し、難民やマイノリティの人権について執筆、講演を行なっている[19]国際ペンクラブ名誉会員となり、寄稿紙は『ガーディアン』の他に『ジ・エイジ』『サタデー・ペーパー英語版』『ハフィントン・ポスト』『フィナンシャル・タイムズ』『シドニー・モーニング・ヘラルド』などがある[注釈 6][3]

ブチャーニーは著作発表後にアボリジニとのコラボラーションも行っている。ダンス・カンパニーのマラゲク(Marrugeku)は、ブチャーニーの著作のエピソードや概念を取り入れてアボリジニと難民を重ね合わせた舞台作品を制作した。アボリジナル作家のタラ・ジューン・ウィンチ英語版とも交流を行なっている[21]

作品

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ブチャーニーは「監獄が与えるあらゆる苦痛を克服し、生き延びることができるのは、創造性を発揮するものだけだ」と語り、創作活動や芸術を評価する。ジャーナリストとしての活動では世界の反応を変えられなかったと自省し、ジャーナリズムの限界を認識しつつ芸術の力に期待を寄せている。フォトジャーナリストやドキュメンタリー映画制作者に対しては、難民を惨めな対象とするステレオタイプの大量生産に加担していると批判している[22]

著書

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マヌス島の難民収容施設(2021年)

『山よりほかに友はなし』は、難民収容施設による無期限の勾留で奪われる人間の尊厳や、肉体や精神への影響、施設で出会う人々の描写などにジャーナリストとしての経験が活かされている。加えて、哲学的な思索や、ルーツであるクルド人の伝承や神話を取り混ぜてペルシア語の語彙で表現した世界観が評価されている[2]。5年の長期収容におけるマヌス島の年代記や体験記、書簡文芸としての側面も持っている[23]

ブチャーニーはオーストラリア政府の政策を批判するうえで行政用語を問題視し、収容施設を「監獄」、国境警備隊を「看守」、被収容者を「囚人」と言い換えている[5][24]。そして収容施設を成立させている権力と服従の構造については、フェミニスト理論のキリアーカル・システム英語版を援用して説明する[注釈 7]。マヌス監獄におけるキリアーカル・システムは、頂点のオーストラリア人、看守のパプア人、囚人の順にヒエラルキーを固定し、看守と囚人の敵対、囚人同士の敵対を起こす。看守は囚人がテロリストだと教えられ、囚人は看守が野蛮な人種だと教えられる。囚人同士を疑心暗鬼にさせて連帯を防ぐためにも活用される[注釈 8]。こうしてオーストラリア政府によるシステムが暴力で維持される[26][24]。また、収容施設の運営はオーストラリア企業の他に多国籍企業も参入しており、ブチャーニーは国境産業複合体(border-industrial complex)と呼んで批判する[27]

ブチャーニーはシステムやパプア人看守の暴力を批判しつつも、パプアニューギニアの司法や医療を批判する意図はなく、収容所のフェンスの外での交流を好意的に描いた。マヌス島におけるオーストラリア政府の新植民地主義を観察し、マヌス島の人々とクルド人の共通点についても考察している。白人による国内の植民地化と、太平洋地域の他国の植民地化によって国外難民収容政策が成り立っていると論じた[注釈 9][28]

ニュージーランド移住後に第2作『ただ、自由を求めて』(2022年)を発表し、記事、エッセイ、詩の他に交流した移民・難民研究者、人権擁護者、政治学者や文学者らの寄稿を収録した[29]

  • No Friend But the Mountains (2018年)
    • 日本語訳『山よりほかに友はなし』オミド・トフィギアン、一谷智子、友永雄吾、土田千愛、朴伸次、三井洋訳、明石書店、2024年。
  • Freedom, Only freedom『ただ、自由を求めて』 (2022年)

映画

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作品タイトルのチャウカは、マヌス島に住む小鳥(Philemon albitorques)を指す

『チャウカよ、時を伝えて』(2017年)は、ブチャーニーの活動を知ったアラシュ・カマリ・サルベスターニーの提案で2016年に制作された。タイトルのチャウカ英語版とはマヌス島の固有の小鳥で、島のアイデンティティであると同時に収容所の窓のない独房も指している。ブチャーニーは携帯電話で密かに撮影し、施設での生活や収容者へのインタビュー、収容者の表情を映し、対照的に平和な海岸や現地の子供の日常風景も記録した[注釈 10]。撮りためた映像をもとに映画が制作され、オーストラリアの他にヨーロッパやニュージーランドで公開された[12]。ブチャーニーはこの映画をドキュメンタリーではなく芸術作品として観るように呼びかけた[10]。自著『山よりほかに友はなし』の映画化も進めている[31]

評価、影響

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2017年の抵抗活動の最中に、2016年の投稿が評価されてアムネスティ・インターナショナルのオーストラリア賞(Amnesty International Australia Award)を受賞した[14]

ヴィクトリア州文学賞は、本来はオーストラリア国民および永住者を対象としているが、選考委員会は全会一致で『山よりほかに友はなし』をオーストラリア文芸作品として授賞を決定した[32]。ブチャーニーは受賞時のコメントで「人間と見なさない制度に対する勝利」と語り、文学の可能性について「非人道的な制度や構造に対抗する力」と定義した[2]。その後もニューサウスウェールズ州首相文学賞の特別賞、オーストラリア書籍産業賞、全豪バイオグラフィー賞などを受賞している[32]

脚注

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注釈

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  1. ^ クルド人が住むクルディスタンと呼ばれる地域は、イランの他にイラク、トルコ、シリアなどの国境をまたいで存在している[1]
  2. ^ オーストラリア自由党ジョン・ハワード政権は、2001年のタンパ号事件をきっかけとして国外入国審査制度を導入した。以後、海路でオーストラリアを目指す人々の難民申請はパプアニューギニアやナウルなど国外で処理された。これをパシフィック・ソリューションと呼び、オーストラリア労働党ケビン・ラッド政権でも引き継がれた[6]
  3. ^ ガルブレイスは、オーストラリア内外の収容施設を体験した人々の表現活動を発信するウェブサイト「Writing Through Fences」を主宰している[10]
  4. ^ 抵抗活動をブチャーニーらと共に主導したスーダン出身のアブドゥル・アジス・ムハマット(Abdul Aziz Muhamat)は、2019年にスイス政府からマーティン・エナルズ賞英語版を受賞し、授賞式に訪れたスイスで難民申請を認められた。ムハマットもWhatsAppで4000通以上のメッセージを送り、収容所の様子を告発した[10]
  5. ^ ブチャーニーが収容されていた施設は2018年に地元裁判所によって閉鎖され、亡命申請者らは別の施設に移送された[16]。2016年までに1900人以上の収容者によって集団訴訟が起こされており、オーストラリア政府は7000万豪ドルの和解金を支払っている[7]
  6. ^ マヌス島の収容施設の問題についてはブチャーニーの他にも作品で表現されており、イラン出身のアリ・ドラニ(Ali Dorani)による風刺画や漫画などがある[20]
  7. ^ キリアーカル・システムとは、エリザベス・シュスラー=フィオレンツァ英語版によるフェミニスト神学の理論。父権主義とは異なり、性やジェンダーにとどまらない支配に関する複合的な抑圧のシステムであり、罰、隷属、抑圧のための社会システムを指す[25]
  8. ^ たとえばイラン人とアフガニスタン人を同じ棟に入れて反目させる[26]
  9. ^ オーストラリア政府がアボリジニや非白人移住者などを社会から隔絶した空間に監禁した歴史については、エイミー・ネザリー(Amy Nethery)が論じている。ネザリーが論じた過去の事例はオーストラリア国内の島々だが、現在は国外のナウルやマヌス島に難民が送られている[27]
  10. ^ 施設のネットワーク環境が不十分なため、WhatsAppで30秒の映像を送るのに1時間から2時間を要した[30]

出典

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  1. ^ 山口編著 2019.
  2. ^ a b c ブチャーニー 2024, pp. 430–431.
  3. ^ a b c d ブチャーニー 2024, pp. 著者紹介.
  4. ^ a b 飯笹 2023, p. 9.
  5. ^ a b 加藤 2019, p. 36.
  6. ^ a b モーリス=スズキ 2024, pp. 418–419.
  7. ^ a b 豪政府、収容難民の集団訴訟で和解 58億円支払いへ”. CNN (2017.06.14.). nov 8, 2024閲覧。
  8. ^ a b 飯笹 2023, pp. 9–10.
  9. ^ a b c トフィギアン 2024, pp. 406–407.
  10. ^ a b c 飯笹 2023, p. 19.
  11. ^ トフィギアン 2024, pp. 409.
  12. ^ a b 飯笹 2023, pp. 10–12.
  13. ^ 飯笹 2023, pp. 9, 12.
  14. ^ a b 飯笹 2023, pp. 13–14.
  15. ^ 飯笹 2023, p. 12.
  16. ^ 豪亡命希望のクルド難民に文学賞、施設収容中に携帯電話で執筆”. AFP BB News (2014.07.30.). oct 3, 2024閲覧。
  17. ^ ブチャーニー 2024, pp. 428–429.
  18. ^ 飯笹 2023, pp. 14–15.
  19. ^ 飯笹 2023, pp. 15–16.
  20. ^ 飯笹 2023, p. 4.
  21. ^ ブチャーニー 2024, pp. 433–432.
  22. ^ 飯笹 2023, pp. 19–20.
  23. ^ 加藤 2019, pp. 34–35.
  24. ^ a b 飯笹 2023, pp. 16–17.
  25. ^ 加藤 2019, p. 40.
  26. ^ a b 加藤 2019, pp. 40–41.
  27. ^ a b 飯笹 2023, p. 18.
  28. ^ 飯笹 2023, pp. 17–19.
  29. ^ ブチャーニー 2024, p. 433.
  30. ^ 飯笹 2023, p. 10.
  31. ^ 飯笹 2023, p. 16.
  32. ^ a b 飯笹 2023, p. 14.

参考文献

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  • 飯笹佐代子「マヌス島からの抵抗 : 収容されたクルド人難民ベルフーズ・ブーチャーニの創作活動とその影響」『青山総合文化政策学』第14巻第1号、青山学院大学総合文化政策学会、2023年3月、1-28頁、ISSN 188369922024年11月8日閲覧 
  • 加藤めぐみ「山々よりほかに友なき難民 ― べフルーズ・ブーチャーニの難民収容所文学試論1」『南半球評論』第35巻、オーストラリア・ニュージーランド文学会、2019年、33-45頁、2024年11月8日閲覧 
  • 加藤めぐみ「ベフルーズ・ブーチャーニ『山々よりほかに友はない』とフェリシティ・カスターニャ『ノー・モア・ボート』にみる 「境界」への一考察」」『南半球評論』第36巻、オーストラリア・ニュージーランド文学会、2019年、23-40頁、2024年11月8日閲覧 
  • ベフルーズ・ブチャーニー 著、オミド・トフィギアン英語版, 一谷智子, 友永雄吾, 土田千愛, 朴伸次, 三井洋 訳『山よりほかに友はなし マヌス監獄を生きたあるクルド難民の物語』明石書店、2024年。 (原書 Bêhrûz Boçanî Omid Tofighian訳 (2018), No Friend But the Mountains 
  • 山口昭彦 編『クルド人を知るための55章』明石書店〈エリア・スタディーズ〉、2019年。 

関連文献

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関連項目

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外部リンク

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