ベルナルド・ロッセリーノ
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ベルナルド・ロッセリーノ(Bernard Rossellino, 1409年 - 1464年)は、初期ルネサンスの彫刻家・建築家。本名はベルナルド・ディ・マッテオ・ディ・ドメニコ・ガンバレッリ(Bernardo di Matteo di Domenico Gambarelli)。教皇庁の建築顧問として活躍し、レオン・バッティスタ・アルベルティが同庁の書記官となってからは、彼のもとで建築実務を担当した。
生涯
[編集]セッティニャーノの生まれ。彫刻家として立身したが、弟のアントーニオ・ロッセリーノも高名な彫刻家である。1450年に完成させたサンタ・クローチェ聖堂のレオナルド・ブルーニの墓碑がニコラウス5世の目にとまり、以後、教皇庁の建築顧問となる。彼は建築家として多くの改修・再建計画に携わっており、ジャンノッツォ・マネッティによる『ニコラウス5世伝』によれば、ファブリアーノの広場改修工事とサン・フランチェスコ聖堂の再建、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂の改修工事を行っている。ナルニ、オルヴィエート、ヴィテルボ、ローマにおいても建築物の改修工事を請け負っている。ルネサンス建築史上きわめて重要な彼の仕事は、1459年から1462年にかけて、教皇ピウス2世に招かれ携わった、ピエンツァ大聖堂とパラッツォ・ピッコロミーニ建設である。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- ジョルジョ・ヴァザーリ著 森田義之監訳『ルネサンス彫刻家建築家列伝』(白水社)