ベンジャミン・バサースト (1692年生の政治家)
ベンジャミン・バサースト Benjamin Bathurst | |
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生年月日 | 1692年 |
没年月日 | 1767年11月5日 |
出身校 | オックスフォード大学トリニティ・カレッジ |
所属政党 |
(トーリー党→) 無所属 |
配偶者 |
フィネッタ・プール キャサリン・ウィットフィールド |
親族 |
父・ベンジャミン・バサースト(庶民院議員) 兄・アレン・バサースト(庶民院議員) 兄・ピーター・バサースト(庶民院議員) |
選挙区 |
(サイレンセスター選挙区→) (グロスター選挙区→) モンマス選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1727年 - 1734年 1727年9月 - 1767年 |
ベンジャミン・バサースト(英語: Benjamin Bathurst FRS、1692年6月25日洗礼 – 1767年11月5日)は、グレートブリテン王国の政治家。1713年から1727年と1728年から1767年まで庶民院議員を務めた[1]。合計で50年以上議員を務めたにもかかわらず、議会で演説した記録はなかった[2]。初代バサースト伯爵アレン・バサーストと庶民院議員ピーター・バサーストは兄にあたる[1]。
生涯
[編集]サー・ベンジャミン・バサースト(1639年頃 – 1704年)とフランシス・アプスリー(1653年 – 1727年、アレン・アプスリーの娘)の息子として生まれ、1692年6月25日に洗礼を受けた[1]。初代バサースト伯爵アレン・バサーストと庶民院議員ピーター・バサーストは兄にあたる[1]。父がアン王女(後のアン女王)の廷臣だったため、兄ピーターとともにアンの息子グロスター公ウィリアムの遊び仲間として宮廷に招かれた[1]。1699年よりイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1708年6月30日にオックスフォード大学トリニティ・カレッジに入学した[3]。1704年に父が死去すると、リドニーとミックスベリーにある邸宅を相続した[1]。
1713年イギリス総選挙でサイレンセスター選挙区から出馬、兄アレンの影響力により得票数2位(353票)で当選した[4]。バサースト家はトーリー党の家系であり、ベンジャミンもトーリー党に属したが、リチャード・スティールの議会追放をめぐってはホイッグ党に同調して反対票を投じた[1]。1715年イギリス総選挙と1722年イギリス総選挙では無投票で再選した[5]。ジョージ2世即位後の1727年イギリス総選挙では兄アレンが伯爵への叙爵を望み、ベンジャミンの代わりにもう1人の兄弟ピーターを出馬させたが、アレンは代わりとしてベンジャミンをグロスター選挙区から出馬させた[6]。ホイッグ党の支配するグロスターの地方自治体は自由市民(freeman)を大幅に増やしてホイッグ党候補への投票を増やそうとしたが、結果は候補者4名の票数が全員900票台(ベンジャミンは944票で得票数1位)だったため、4人全員の当選が宣告された(いわゆるdouble return[7])。これにより選挙の行方は庶民院に委ねられたが、ここで妥協がなされ、トーリー党とホイッグ党が1候補ずつ当選するという結果になった[7]。このときはバサーストがトーリー党候補として、チャールズ・セルウィンがホイッグ党候補として当選した[7]。1734年イギリス総選挙では妥協が続き、チャールズ・セルウィンの代わりにその兄ジョン・セルウィンが当選、バサーストは905票(得票数2位)で再選した[7]。1741年イギリス総選挙ではバサーストがはじめ869票(得票数3位)だったが、再集計の結果は869票(得票数2位)になり、無事再選を果たし、1747年イギリス総選挙では無投票で再選した[7]。1754年イギリス総選挙ではグロスター選挙区から出馬せず、代わりに第4代ボーフォート公爵チャールズ・サマセットの支持を受けてモンマス・バラ選挙区から出馬、無投票で当選した[2][8]。1761年イギリス総選挙でも無投票で再選した[8]。1754年までは常に野党に同調して投票し[6]、ビュート伯爵内閣期(1762年 – 1763年)に七年戦争予備講和条約に投票せず、グレンヴィル内閣期(1763年 – 1765年)に一般逮捕状(general warrant)に関する採決で野党に同調して投票、第1次ロッキンガム侯爵内閣(1765年 – 1766年)では印紙法廃止をめぐる採決で投票しなかった[2]。合計で50年以上議員を務めたにもかかわらず、議会で演説した記録はなかった[2]。
1767年11月5日に死去した[2]。
家族
[編集]1713年12月17日、フィネッタ・プール(Finetta Poole、1738年2月27日没、ヘンリー・プールの娘[6])と結婚、22子をもうけた[1]。
- トマス(1725年 – 1791年11月9日) - アン・ファザカリー(Anne Fazakerly、トマス・ファザカリーの娘)と結婚[10]
- プール(Poole、1725年以降 – 1804年5月5日) - 子供なし[10]
- アン - 1752年1月25日、チャールズ・ブラッグ(Charles Bragge)と結婚、子供あり[11]
1741年10月22日、キャサリン・ウィットフィールド(Catherine Whitfield、1794年没、ローレンス・ブロドリックの娘、ウィリアム・ウィットフィールドの未亡人)と再婚、14子をもうけた[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j Watson, Paula; Hanham, Andrew A. (2002). "BATHURST, Benjamin (1692-1767), of Lydney, Glos. and Mixbury, Glos.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月24日閲覧。
- ^ a b c d e Brooke, John (1964). "BATHURST, Benjamin (?1691-1767), of Mixbury, Oxon. and Lydney, Glos.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月24日閲覧。
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). "Barrowby-Benn". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 79–105.
- ^ Watson, Paula; Hanham, Andrew A. (2002). "Cirencester". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月24日閲覧。
- ^ Watson, Paula (1970). "Cirencester". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月24日閲覧。
- ^ a b c Newman, A. N. (1970). "BATHURST, Benjamin (?1691-1767), of Lydney, Glos.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月24日閲覧。
- ^ a b c d e Matthews, Shirley (1970). "Gloucester". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月24日閲覧。
- ^ a b Thomas, Peter D. G. (1964). "Monmouth". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月24日閲覧。
- ^ "Bathurst; Benjamin (1692 - 1767)". Record (英語). The Royal Society. 2021年2月24日閲覧。
- ^ a b Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage, and Knightage, Privy Council, and Order of Preference (英語). Burke's Peerage Limited. 1963. p. 257.
- ^ Burke, Sir Bernard (1898). A Genealogical and Heraldic Dictionary of the Landed Gentry (英語). Vol. 1 (9th ed.). London: Harrison & Sons. p. 84.
- ^ Aston, Nigel (23 September 2004). "Bathurst, Henry". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/1697。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
外部リンク
[編集]グレートブリテン議会 | ||
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先代 トマス・マスター チャールズ・コックス |
庶民院議員(サイレンセスター選挙区選出) 1713年 – 1727年 同職:トマス・マスター |
次代 トマス・マスター ピーター・バサースト |
先代 ジョン・ハウ チャールズ・ハイエット |
庶民院議員(グロスター選挙区選出) 1728年 – 1754年 同職:チャールズ・セルウィン 1728年 – 1734年 ジョン・セルウィン 1734年 – 1751年 チャールズ・バロー 1751年 – 1754年 |
次代 ジョージ・オーガスタス・セルウィン チャールズ・バロー |
先代 フルク・グレヴィル |
庶民院議員(モンマス・バラ選挙区選出) 1754年 – 1767年 |
次代 ジョン・ステップニー |