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ドイツマルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ペニヒから転送)
ドイツマルク
ドイツ語: Deutsche Mark
ISO 4217
コード
DEM
中央銀行ドイツ連邦銀行
使用開始日1948年
公式
使用国・地域
ドイツの旗 ドイツ(1948年 - 1998年)
東ドイツの旗 東ドイツ(1990年
非公式使用
国・地域
セルビアの旗 セルビア(セルビア・モンテネグロ)(1999年 - 2002年)
モンテネグロの旗 モンテネグロ(セルビア・モンテネグロ)(1999年 - 2002年)
ERM
 開始日 
 レート固定日1999年1月1日
 €使用開始日1999年1月1日
 €一般流通開始日2002年1月1日
=1.95583 DEM
補助単位
 1/100ペニヒ
通貨記号₰ , ℳ

ドイツマルク: Deutsche Mark, DM, DEM Deutsche Mark.ogg 発音)は、1948年6月20日から1998年12月31日までのドイツ連邦共和国1990年ドイツ再統一までは西ドイツ、それ以降はドイツ)の法定通貨である。単にマルクとも呼ばれる。

概要

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マルクの名は、貨幣に刻印(ドイツ語でこれをマルクという)があることから。補助単位はペニヒ (Pfennig Pfennig.ogg 発音) で、1ドイツマルク=100ペニヒ。

ライヒスマルクに代わって導入され、1999年1月1日ユーロ導入により廃止された。1ユーロは1.95583ドイツマルクと等価とされた。ドイツマルクの硬貨紙幣2002年に市場から回収されたが、ユーロへの交換はドイツ連邦銀行によって永久保証されている。

歴史

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マルクは、1871年ドイツ帝国統一以来のドイツの公式通貨だった。ワイマール共和国時代の1920年代初頭に、マルクはハイパーインフレーションを経験したが、ドイツマルクは西ドイツへと続く統一ドイツの経済力および安定の象徴となった。東ドイツでは東ドイツマルク(オストマルク)が使用された。

ドイツマルクは、1948年第二次世界大戦後の東西ドイツの分割が恒久的なものと考えられた後、西側勢力によって導入された。それは、西ドイツをインフレーションから救うためであったが、東ベルリンのソビエト連邦政府当局の怒りを呼び、1949年ベルリン封鎖に結びついた。

西ドイツが戦後復興を遂げて経済大国となり、アメリカ合衆国ドル日本円と共に、国際通貨特別引出権として流通していた。またドイツの歴史経験から、インフレーションを警戒するドイツ国民が、ドイツ連邦政府とドイツ連邦銀行の慎重な財政・通貨政策を支持しており、そのことへの世界からの信頼から、経済規模では日本を下回っていたにもかかわらず、準備通貨としての被保有高は、米ドルに継ぐ2位であった。日本円とともに、戦後米ドルに対する価値が上昇した数少ない通貨の一つである。

こうした通貨政策によりドイツマルクは東欧諸国の基軸通貨となり、東ドイツを始めとした社会主義国でも当局の監視を掻い潜りながら第二の通貨として流通・貯蓄されていた[1]東欧革命後は自国通貨をドイツマルクとの固定相場制にする国が増え、1997年にはブルガリアレフが、1998年にはボスニア・ヘルツェゴビナ兌換マルクが、ともにドイツマルクとの固定相場制とされた。また、1999年にはモンテネグロコソボ(当時は国際連合の任務であった)がドイツマルクを自国通貨として採用した。これらの地位は全てユーロに引き継がれている。

硬貨

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硬貨は1・2・5・10・50ペニヒと1・2・5マルクの8種類が発行されていた。硬貨の材質は、1ペニヒと2ペニヒがメッキ鋼鉄、5ペニヒと10ペニヒが黄銅メッキ鋼鉄、50ペニヒ以上が白銅となっていた。

紙幣

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ドイツマルクの紙幣はドイツ連邦銀行が発行していた。紙幣は5・10・20・50・100・200・500・1,000マルクの8種類。このうち市中で広く流通していたのは10マルク〜100マルク紙幣であり、現金流通のほとんどが100マルク紙幣で占められていた。

現在ドイツ連邦銀行でのユーロとの交換が保証されている紙幣は以下の通りである。

BBk Iシリーズ(1961年発行)
額面 サイズ デザイン 日付
印刷開始 流通開始 流通停止
5 120 × 60 mm 若いヴェネツィア人(デューラー画) オークの枝 1960年1月2日 1963年5月6日 1995年6月(現在も有効)
10 130 × 65 mm 若い男性の肖像画(デューラー画) 帆船ゴルヒ・フォック 1963年12月21日
20 140 × 70 mm エルスベス・トゥーハー(デューラー画) バイオリンクラリネット 1961年2月10日
50 150 × 75 mm ハンス・ウルミラーバーテル・ベーハム画) ホルステン門 1962年6月18日
100 160 × 80 mm ゼバスティアン・ミュンスタークリストフ・アムベルガー画) 両翼を広げたライヒスアドラー 1962年2月26日
500 170 × 85 mm 男性の肖像画(ハンス・マーラー画) エルツ城 1965年4月26日
1000 180 × 90 mm ヨハネス・シェーナー(諸説あり、クラナッハ画) リンブルク大聖堂 1964年7月27日
BBk IIIシリーズ(1991年発行)
額面 サイズ デザイン 日付
印刷開始 流通開始 流通停止
5 122 × 62 mm ベッティーナ・フォン・アルニム詩人 ブランデンブルク門 1991年8月1日 1992年10月27日 2002年3月1日(現在も有効)
10 130 × 65 mm カール・フリードリヒ・ガウス数学者 六分儀 1989年6月2日 1991年4月16日
20 138 × 68 mm アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフ、詩人 羽ペンブナの木 1991年8月1日 1992年3月20日
50 146 × 71 mm バルタザール・ノイマン建築家 ヴュルツブルクの司教館 1989年6月2日 1991年9月30日 [要出典]
50(改訂版) 1996年1月2日 1998年2月2日
100 154 × 74 mm クララ・シューマンピアニスト作曲家 ピアノ 1989年6月2日 1991年9月30日 [要出典]
100(改訂版) 1996年1月2日 1997年8月1日
200 162 × 77 mm パウル・エールリヒ細菌学者 顕微鏡 1989年6月2日 1991年9月30日 [要出典]
200(改訂版) 1996年1月2日 1997年8月1日
500 170 × 80 mm マリア・ジビーラ・メーリアン画家 タンポポ 1991年8月1日 1992年10月27日
1,000 178 × 83 mm グリム兄弟言語学者童話作家 ドイツ語の辞書とベルリン王立図書館

為替レート

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対ドル為替レート(1989年 - 1998年)
対円為替レート(1989年 - 1998年)

記号の符号位置

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記号 Unicode JIS X 0213 文字参照 名称
U+20B0 - ₰
₰
GERMAN PENNY SIGN
U+2133 - ℳ
ℳ
SCRIPT CAPITAL M

脚注

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  1. ^ Blaue Fliesen | Synonym für Geld in der DDR | Eine Welt Eine Zukunft” (ドイツ語) (2012年12月17日). 2024年7月27日閲覧。

関連項目

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  • パピエルマルク
  • ノートゲルト
  • ターラー
  • 歓迎金ドイツ語版 ‐ 1970年の東西ドイツの関係緩和からベルリンの壁崩壊直後の1989年12月29日まで行われていた東ドイツ・ポーランドの住人が、西ドイツを訪れた際に支給された支援金。 支給額は年代によって異なり、1人当たり30〜100ドイツマルク。

外部リンク

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先代
ライヒスマルクレンテンマルク
理由:ハイパーインフレの防止
比率:600 RM までは 1 DM = 1 RM, 600 RM からは 1 DM = 10 RM, 加えて1人あたり 40 DM を受領
西ドイツの通貨
1948年6月21日1990年
ドイツの通貨
1990年 – 2001年12月31日
Note:ユーロは1999年1月1日から存在した
次代
ユーロ
理由:ユーロの展開
比率:1 ユーロ = 1.95583 マルク
先代
東ドイツマルク
理由:ドイツの統合
比率:4,000マルクまでは 1:1, 4,000マルクからは 2東ドイツマルク = 1 DM
先代
ユーゴスラビア・ディナール
理由:政治的、経済的理由
コソボモンテネグロの通貨
1999年2001年12月31日