ホースニユース
表示
ホースニユース | |
---|---|
欧字表記 | Horse News |
品種 | アングロアラブ(アラブ血量25.00%) |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1950年5月9日 |
死没 | 不明 |
父 | アブラール(アングロアラブ) |
母 | ユリカ(サラブレッド) |
母の父 | セフト(サラブレッド) |
生国 | 日本 |
調教師 |
福島角一(京都) →不明(南関東) |
競走成績 | |
生涯成績 | 79戦32勝(国営競馬のみ) |
獲得賞金 | 451万2000万円(国営競馬のみ) |
ホースニユースは、日本のアングロアラブ競走馬、種牡馬である。競走馬時代は関西の国営競馬と南関東公営競馬で活躍し、種牡馬としても成功を収めた。国営競馬時代の登録名はドクリツ。
競走馬時代
[編集]※馬齢については旧表記を使用する。
国営競馬の京都競馬場・福島角一厩舎から「ドクリツ」という名でデビューすると、3歳時を10戦7勝2着3回という非常に優れた戦績で終える。しかしながら4歳時は28戦して10勝を挙げた一方で、目標とされた読売カップは春・秋ともに3着に敗れた。5歳時もコンスタントに走り38戦14勝の結果を残したが、一時は74kgまで背負わされるなど酷量に苦しむ。結果6歳1月に2戦して1勝したのを最後に、ドクリツは当時メキメキと賞金水準が上がっていた南関東公営競馬へと移籍する。国営競馬での通算成績は79戦32勝、獲得賞金451万2000円。
南関東公営競馬ではホースニユースと名を変えると、オープンクラスの常連として9勝を挙げた。
種牡馬時代
[編集]ホースニユースの名のまま種牡馬入りすると、多数の活躍馬を輩出する成功を収めた。代表産駒にはアラブ大賞典2連覇のアデルバウエル(1961年産・母丸栄)や秋の特別勝ちのグレイトホース(1958年産、母呉葉)がいるほか、シルバーカップ2勝のフクトミオー(1957年産・母サワトヨ。バラテスタの半弟)は兵庫競馬で活躍したヒロタケ(1972年産・母アンドロス)を出し、さらにその子ホーエイヒロボーイ(1985年産・母ミスアキフジ)も種牡馬として成功。その父系は日本のアングロアラブ競馬末期まで続いた。
血統表
[編集]ホースニユースの血統アラブ血量25.00% | (血統表の出典) | |||
父 アア アブラール Hableur 1926年 栗毛 |
父の父 アア Salteador II1918年 |
アラ Telmese | ||
Saltarelle | ||||
父の母 アア Hermione1915年 |
アラ Nibeh | |||
Hauterive | ||||
母 ユリカ 1940年 鹿毛 |
セフト Theft 1932年 鹿毛 |
Tetratema | The Tetrarch | |
Scotch Gift | ||||
Voleuse | Volta | |||
Sun Worship | ||||
母の母 アトランタ1931年 鹿毛 |
トウルヌソル Tournesol | Gainsborough | ||
Soliste | ||||
レツドウヰング | ダイヤモンドウエツデイング Diamond Wedding | |||
オーリンダセコンド Orlinda II F-No.6-b |
参考文献
[編集]- 啓衆社『競週地方競馬』1955年4月号(本馬の転入に際しての紹介記事有)。