ボジェナ・ニェムツォヴァー
ボジェナ・ニェムツォヴァー Božena Němcová | |
---|---|
誕生 |
Barbora Panklová 1820年2月4日[1] オーストリア帝国 ウィーン |
死没 |
1862年1月21日(41歳没) オーストリア帝国 プラーグ (現: チェコ プラハ) |
墓地 | ヴィシェフラド民族墓地 |
職業 | 作家、小説家 |
国籍 | チェコ |
ジャンル | 農村散文、リアリズム |
文学活動 | 婦人解放運動、社会主義 |
代表作 | 『おばあさん』(1855年) |
配偶者 | ヨセフ・ニェミツ(Josef Němec) |
子供 |
カレル・ニェミツ ヒネク(Hynek) ヤロスラフ(Jaroslav) テオドラ(Theodora) |
ウィキポータル 文学 |
ボジェナ・ニェムツォヴァー(チェコ語: Božena Němcová, 1820年2月4日[1] - 1862年1月21日)は、オーストリア帝国ウィーン出身のチェコの小説家。近代のチェコにおける散文の創始者とされる[2][3]。
チェコの通貨単位500チェコ・コルナに肖像画が描かれており、ラチボジツェに住んでいた母方の祖母マグダレーナ・ノヴォトナ(Magdalena Novotná)と暮らし、後に大きな影響を受けて1855年に著した彼女の代表作『おばあさん』は平凡な祖母の持つオプティミズムと生涯をロマンティックに描いたもので[4][5]、チェコの国民であれば誰一人読まない人は居ないと称されるほど[2]チェコでは著名な作品である。
チェコ文学者の栗栖継は『おばあさん』をチェコ最大の国民文学と評し[5]、日本では1971年に栗栖継の翻訳によって岩波文庫から刊行されていた[6]。また作家の傍ら、婦人解放運動の先駆者として名高く、税関吏を務めていた夫ヨセフ・ニェミツ(Josef Němec)と共に反オーストリア的思想を持ったため迫害され、ニェムツォヴァーの生活は生涯貧乏であった[5]。
生涯
[編集]1820年2月4日[1]にオーストリア帝国のウィーンに、ドイツ人の父ヨハン(Johann Pankel)とチェコ人の母Terezie Panklováとの間に生まれる[4]が、少女時代の5年間はラチボジツェで母方の祖母マグダレーナ・ノヴォトナの元で暮らし、後に著す長編小説『おばあさん』に見られるように彼女から大きな影響を受ける。
1837年、ニェムツォヴァーは17歳の時に15歳年上の税関吏ヨセフ・ニェミツ(Josef Němec)と結婚する[4]。ヨセフは反オーストリア的な思想を持ち合わせていたため、度々転勤を命じられていたが最終的にプラハに定まった[5]。夫の転勤で各地を回るたびにニェムツォヴァーはチェコの文壇に触れ、民話に関心を示して[7]1845年頃に『民話集』を著した。
1855年には彼女の代表作『おばあさん』を著して、一躍有名となった。また、婦人解放運動の先駆者としても活躍したが迫害や貧乏のため1862年1月21日に41歳で亡くなった。
ギャラリー
[編集]-
ニェムツォヴァーと4人の子供
-
ニェムツォヴァーの銅像
脚注
[編集]- ^ a b c ボジェナ・ニェムツォヴァー博物館
- ^ a b グランド現代百科事典 1983, p. 273.
- ^ 世界文化大百科事典 1971, p. 318.
- ^ a b c 万有百科大事典 1973, p. 447.
- ^ a b c d 新潮 世界文学小辞典 1971, p. 635.
- ^ おばあさん - 岩波書店公式ホームページ
- ^ 大日本百科事典 1967, p. 747.
参考文献
[編集]- 飯島周著、高津春繁、手塚富雄、西脇順三郎、久松潜一監修 著、相賀徹夫編 編『万有百科大事典 1 文学』(初版)小学館〈日本大百科全書〉(原著1973-8-10)。
- 吉上昭三著 著、澤田嘉一編 編『大日本百科事典 13 てんはーにち』小学館〈日本大百科全書〉(原著1967年11月20日)。
- 千葉栄一著 著、鈴木泰二編 編『グランド現代百科事典 22 トモーニヨウセ』学習研究社(原著1983-6-1)。
- 鈴木勤編 編『世界文化大百科事典 8 テヒーハツキ』世界文化社(原著1971年)。
- 栗栖継著、伊藤整、河盛好蔵、高津春繁、佐藤朔、高橋義孝、手塚富雄、中野好夫、中村光夫、西川正身、吉川幸次郎編集 著、佐藤亮一発行 編『新潮 世界文学小辞典』(初版2刷)新潮社(原著1971-3-10)。
関連項目
[編集]- ボジュ・ニェムツォヴァー (小惑星) - ボジェナ・ニェムツォヴァーに因んだ小惑星。非常に珍しいスペクトルを持つO型小惑星。
- カレル・ニェミツ - ニェムツォヴァーの子供で、教師の傍ら園芸家として活躍した。