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ボディコン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボディコンシャスから転送)
黄色のボディコンワンピース

ボディコンとはニットなど体に密着する素材を使って体線(ボディ・ライン)を強調している(女性用ミニワンピースが多い)またはボディ・ラインを強調している体形である。

この語は ボディ・コンシャス(body-conscious; 「体を意識している」)の略語[1]であり、ボディラインを隠すオフ・ボディの対極に当たる[2]。英語圏ではファッション以外にも使われている。

ボディコン・ファッションで踊る女性はボディコン・ギャルと呼ばれている[3]

歴史

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前史

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1981年頃にはレオタードなどを着用したエアロビクスのブームが始まり[4]、それに伴ってフィットネスクラブが増え、ボディへの注目が高まっていった[3]

また1982年には既に東洋紡よりボディ・コンシャスを意識した水着「Sexy Sun」が発表されていた[5]

流行期

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1985年開催のパリ・コレクション 1986年春夏においてストラクチュア・シェープ・デザインが多い中でアラブ系デザイナー「アズディン・アライア」のボディ・コンシャス・デザインのドレスが注目され[6][7][3]、1986年より世界でボディ・コンシャス・スタイルが浸透していった。日本では略してボディコンとも呼ばれていった。

ピンキー&ダイアン(Pinky&Dianne、「ピンダイ」とも)などの DCブランドからも、さらにシルエットをシェイプしたスタイルのボディコンファッションが生まれた。元々は女性の自己主張、解放を目指すファッションの動きの一つでもあった[要出典]が、日本では主に遊び着として広まり、特に1980年代バブル期以降にブームとなった。

1990年代前半に一世を風靡した東京芝浦ディスコジュリアナ東京1991年-1994年)にはワンレン・ボディコン・爪長・トサカ前髪、といったファッションの女性が多く集まり、マスコミでも話題になった。荒木師匠こと荒木久美子に代表される、ジュリアナ扇子(通称「ジュリ扇」)を合わせたファッションのタレントもこの時期のメディアにしばしば登場した。

脚注

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  1. ^ コラム09 律の憧れ!? ワンレンボディコンとディスコ - NHK連続テレビ小説半分、青い。
  2. ^ 『新ニットアパレル入門』 センイ・ジヤァナル 1985年7月
  3. ^ a b c 柳澤元子、斉藤秀子『日本におけるボディコンシャスの流行と身体表現』 山梨県立大学 2006年
  4. ^ 張巧鳳『日本におけるエアロビックダンスの導入過程 (1980‒1982年)に関する研究 ―エアロビックダンスのイメージに注目して―』 日本運動・スポーツ科学学会 2013年
  5. ^ 川木淳「'82水着情報、今年のテーマは“Sexy Sun"(4)COLOR EYE」『商店界 63(4)(778)』 p.16 誠文堂新光社 1982年4月
  6. ^ 船井総合研究所ニュートレンド研究会『現代女性ウォッチング : 「流行」を解く24のカギ』 PHP研究所 1986年7月 ISBN 978-4569218014
  7. ^ 『東京経大学会誌 第146号』 東京経済大学 1986年

関連項目

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