ボルバキア
ボルバキア属 | ||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ボルバキアの電子顕微鏡画像
| ||||||||||||||||||
分類 | ||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||
学名 | ||||||||||||||||||
Wolbachia Hertig 1936[1] (IJSEMリストに掲載 1980[2]) | ||||||||||||||||||
タイプ種 | ||||||||||||||||||
ボルバキア・ピピエンティス Wolbachia pipientis Hertig 1936[1] (IJSEMリストに掲載 1980[2]) | ||||||||||||||||||
下位分類(種)[8] | ||||||||||||||||||
過去に所属していた種
|
ボルバキア属(Wolbachia)はリケッチア目エールリキア科の属の一つである。その種の一つのボルバキア・ピピエンティス(Wolbachia pipientis)、又は単にボルバキアは、節足動物やフィラリア線虫の体内に生息する共生細菌の一種で、特に昆虫では高頻度でその存在が認められる。本稿では主にボルバキア・ピピエンティスについて記述する。ミトコンドリアのように母から子に伝わり(遺伝し)、宿主の生殖システムを自身に都合よく変化させる(下記を参照)ことから、利己的遺伝因子の一つであると見なされている。
歴史
[編集]1924年にMarshall HertigとS. Burt Wolbachによってアカイエカ(Culex pipiens)から発見されたこの細菌は、1936年にHertigによって正式にWolbachia pipientisと名付けられた[9]。その後ほとんど注目されることはなかったが、1971年にアカイエカにおいてボルバキアによる細胞質不和合という現象が発見され[10]、1990年にはTrichogramma属の寄生バチにおいてボルバキアによる単為生殖化が発見された[11]。それ以来、この細菌が宿主に対して引き起こす様々な現象や、それによる進化学的影響が研究者の興味を惹きつけている。 ロンドン大学インペリアル・カレッジを含む研究グループは、デング熱の感染に耐性を示すかボルバキアの2種類の株を使って、デング熱のウイルスを含んだ血液を吸わせたネッタイシマカで実験を行った。
宿主の性や生殖における役割
[編集]節足動物において、ボルバキアは宿主の生殖システムに影響を与えることが知られている。ボルバキアは、宿主のさまざまな器官に感染している。特に、次世代への伝播に必要な部位である卵巣には確実に感染していることが多い。ボルバキアは成熟卵に存在するが成熟精子には存在できないので、ボルバキアに感染したメスだけがボルバキアの子孫を残すことができる。
そこで、ボルバキアは様々な方法で宿主の生殖システムを操作することにより、自己の伝播や繁殖をより確かなものにしている。また、そのため、ミトコンドリアDNAを用いて宿主の系統関係を解析する際、ボルバキアの感染により誤った分子系統樹が導き出されるおそれがあることが知られている[12][13]。
ボルバキアが宿主に対して引き起こす現象として、以下のものが知られている。
オスのみの死
[編集]ボルバキアに感染したオスのみが死に、感染したメスは生き残る。ボルバキアの子孫を残すことができないオスを殺してメスの食料を増やすことで、間接的にボルバキアの繁殖に貢献していると考えられる。この現象は、テントウムシ、ガ、チョウ、ハエなどで見つかっている。
遺伝的オスのメス化(性転換)
[編集]ボルバキアに感染したオス個体はオスの遺伝子型を持ったまま、完全なメスの表現型を持つ。ボルバキアの繁殖に貢献できないオス宿主をメス化することにより効率的な繁殖を達成している。 この現象は、今のところ、ダンゴムシ(Armadillidium vulgare)[14]、キチョウ(Eurema mandarina)[15]、ヨコバイの1種(Zyginidia pullula)[16]のみで見つかっている。
単為生殖
[編集]ボルバキアに感染したメスはオスを必要とせずに次世代を残す。受精による生殖を行っている宿主を、単為生殖させることにより、宿主の生殖にオスは不要となり、ボルバキアにとって有利となる。この現象は、数多くの寄生蜂(Trichogramma sppやEncarcia formosaなど)とアザミウマの1種(Franklinothrips vespiformis)で見つかっている。これらはすべて単数倍数性の性決定を行う種で、オスが単数体(n)、メスが2倍体(2n)である。非感染だと未受精卵(n)がオスとして発生し、受精卵(2n)はメスとして発生する。ボルバキアの感染により未受精卵の染色体が倍加し、2nのメスとして発生する。ボルバキアは母系伝播するため、メスはオスなしで世代をつなげることができるようになる。
細胞質不和合
[編集]ボルバキアに感染したオスと非感染メスとの交配で生まれた卵が発生しない細胞質不和合が引き起こされる。この現象は、非常に数多くの昆虫種で見つかっておりボルバキアが起こす宿主の生殖操作として最も一般的なものである。
ゲノム断片の水平転移
[編集]2002年に産業技術総合研究所の深津武馬研究員らは、ボルバキアの一系統のwBruAusがアズキゾウムシ(Callosobruchus chinensis L.)の細胞内に細胞内共生しているのを見つけたが、その実体は宿主のX染色体に水平転移した wBruAus のゲノム断片であった。これは、真正細菌から多細胞動物への遺伝子の水平転移(en:Horizontal gene transfer#Eukaryotes)が自然界で実際に起こった明確な証拠である[17]。
この他にもマツノマダラカミキリの常染色体にボルバキアの細胞分裂に関わるftsZ遺伝子を含む全遺伝子の14%以上の大規模の転移が見つかった。また、上記のwBruAusと近縁であり、この事から高頻度で自身の遺伝子を宿主の遺伝子中に結合させるボルバキア系統の存在が推測される[18]。
病気との関連
[編集]昆虫の他に、ボルバキアは等脚目(ダンゴムシなど)、クモ、ダニ、フィラリアなど、さまざまな種に感染している。
フィラリアは寄生性の線虫であり、回旋糸状虫症の原因となり、ヒトに象皮病(象皮症)を引き起こすだけでなく、イヌの心臓にも寄生し重篤な症状を引き起こす。ボルバキアは、これらの病気において特殊な役割を担っているようである[19]。フィラリア線虫の寄生性の大部分はボルバキアに対する宿主の免疫応答に依存している。フィラリア線虫からボルバキアを除去することにより、ほとんどの場合、フィラリアは死亡するか生殖不能となる[20]。
したがって、フィラリア線虫感染症をコントロールするための現在の戦略は、毒性の強い抗線虫薬剤の使用よりも、テトラサイクリン系の抗生物質(ドキシサイクリンなど)の投与による、ボルバキアの除去が中心となっている[21][22]。
獣医療でも、イヌ心臓に寄生したフィラリアの駆除の際、前記抗生物質が併用される。前記抗生物質のみで心臓内のフィラリア虫体を完全に駆除することは困難だが、抗線虫剤による駆除の結果、フィラリア虫体から放出されるボルバキア菌体成分に対する、過剰な免疫反応を抑制することを目的として、抗線虫剤の投与に先立って処方される[23]。
一方、ネッタイシマカにボルバキアが寄生すると、ヒトにデング熱やジカ熱、チクングニア熱を発症させるウイルスの感染能力が阻害されていることが知られており、ブラジルでは2017年からボルバキアを感染させたネッタイシマカを大量に放虫する試みが行われている[24]。
脚注
[編集]- ^ a b c Marshall Hertig (October 1936). “The Rickettsia, Wolbachia pipientis (gen. et sp.n.) and Associated Inclusions of the Mosquito, Culex pipiens”. Parasitology 28 (4): 453 - 486. doi:10.1017/S0031182000022666.
- ^ a b c d V. B. D. Skerman, Vicki. McGOWAN, P. H. A. Sneath (01 January 1980). “Approved Lists of Bacterial Names”. International Journal of Systematic and Evolutionary Microbiology 30 (1): 225-420. doi:10.1099/00207713-30-1-225.
- ^ Nöller W (1917). “Blut- und Insektenflagellaten Züchtung auf Platten”. Archiv für Schiffs- und Tropenhygiene 21: 53-94.
- ^ Cornelius B. Philip (May 1956). “COMMENTS ON THE CLASSIFICATION OF THE ORDER RICKETTSIALES”. Canadian Journal of Microbiology 2 (3): 261 - 270. doi:10.1139/m56-030. PMID 13316619.
- ^ Earl C. Suitor, Emilio Weiss (01 January 1961). “Isolation af a Rickettsialike Microorganism (Wolbachia Persica, N. SP.) From Argas Persicus (Oken)”. The Journal of Infectious Diseases 108 (1): 95–106. doi:10.1093/infdis/108.1.95.
- ^ Marilynn A. Larson, Ufuk Nalbantoglu, Khalid Sayood, Emily B. Zentz, Regina Zing Cer, Peter C. Iwen, Stephen C. Francesconi, Kimberly A. Bishop-Lilly, Vishwesh P. Mokashi, Anders Sjöstedt, Steven H. Hinrichs (01 March 2016). “Reclassification of Wolbachia persica as Francisella persica comb. nov. and emended description of the family Francisellaceae”. International Journal of Systematic and Evolutionary Microbiology 66 (3): 1200-1205. doi:10.1099/ijsem.0.000855. PMID 26747442.
- ^ Aharon Oren, George M. Garrity (10 June 2016). “Notification that new names of prokaryotes, new combinations, and new taxonomic opinions have appeared in volume 66, part 3, of the IJSEM”. International Journal of Systematic and Evolutionary Microbiology 66 (6): 2126-2128. doi:10.1099/ijsem.0.001070.
- ^ Jean P. Euzéby, Aidan C. Parte. “Genus Wolbachia”. List of Prokaryotic names with Standing in Nomenclature. 2023年3月26日閲覧。
- ^ Hertig Marshall, Wolbach S Burt (1924). “Studies on rickettsia-like micro-organisms in insects”. The Journal of medical research (American Society for Investigative Pathology) 44 (3): 329. PMID 19972605 .
- ^ Yen JH & Barr AR (1971) "New hypothesis of the cause of cytoplasmic incompatibility in Culex pipiens". Nature 232: 657-658.
- ^ Stouthamer Richard, Luck Robert F, Hamilton WD (1990). “Antibiotics cause parthenogenetic Trichogramma (Hymenoptera/Trichogrammatidae) to revert to sex”. Proceedings of the National Academy of Sciences (National Acad Sciences) 87 (7): 2424-2427. doi:10.1073/pnas.87.7.2424 .
- ^ Johnstone Rufus A., Hurst Gregory D.D. (01 2008). “Maternally inherited male-killing microorganisms may confound interpretation of mitochondrial DNA variability”. Biological Journal of the Linnean Society 58 (4): 453-470. doi:10.1111/j.1095-8312.1996.tb01446.x. ISSN 0024-4066 .
- ^ NARITA SATOKO, NOMURA MASASHI, KATO YOSHIOMI, FUKATSU TAKEMA (2006). “Genetic structure of sibling butterfly species affected by Wolbachia infection sweep: evolutionary and biogeographical implications”. Molecular Ecology 15 (4): 1095-1108. doi:10.1111/j.1365-294X.2006.02857.x .
- ^ Rigaud T (1997)
- ^ Hiroki et al. (2002) Naturwissenschaften
- ^ Negri et al., (2006)
- ^ Natsuko Kondo, Naruo Nikoh, Nobuyuki Ijichi, Masakazu Shimada, Takema Fukatsu (2002). “Genome fragment ofWolbachia endosymbiont transferred to X chromosome of host insect”. Proceedings of the National Academy of Sciences 99 (22): 14280-14285. doi:10.1073/pnas.222228199 .
- ^ 相川拓也「マツノマダラカミキリに残る共生細菌感染の痕跡」『日本森林学会誌』第94巻第6号、日本森林学会、2012年、292-298頁、doi:10.4005/jjfs.94.292、ISSN 1349-8509、NAID 130003369348、2022年3月20日閲覧。
- ^ Taylor M. J., Bandi C., Hoerauf A. (2005) Wolbachia bacterial endosymbionts of filarial nematodes. Adv. Parasitol. 60:245-284
- ^ Hoerauf A, Mand S, Fischer K, Kruppa T, Marfo-Debrekyei Y, Debrah AY, Pfarr KM, Adjei O, Büttner DW. (2003) Doxycycline as a novel strategy against bancroftian filariasis-depletion of Wolbachia endosymbionts from Wuchereria bancrofti and stop of microfilaria production. Med Microbiol Immunol. Nov; 192(4):211-6.
- ^ Outland, K (2005) “New Treatment for Elephantiasis: Antibiotics. The Journal of Young Investigators. 361.
- ^ Mark J Taylor, Williams H Makunde, Helen F McGarry, Joseph D Turner, Sabine Mand, Achim Hoerauf (2005). “Macrofilaricidal activity after doxycycline treatment of Wuchereria bancrofti: a double-blind, randomised placebo-controlled trial”. The Lancet 365 (9477): 2116-2121. doi:10.1016/S0140-6736(05)66591-9. ISSN 0140-6736 .
- ^ Turner, Joseph D. and Mand, Sabine and Debrah, Alexander Yaw and Muehlfeld, Johannes and Pfarr, Kenneth and McGarry, Helen F. and Adjei, Ohene and Taylor, Mark J. and Hoerauf, Achim (04 2006). “A Randomized, Double-Blind Clinical Trial of a 3-Week Course of Doxycycline plus Albendazole and Ivermectin for the Treatment of Wuchereria bancrofti Infection”. Clinical Infectious Diseases 42 (8): 1081-1089. doi:10.1086/501351. ISSN 1058-4838 .
- ^ “デング熱対策に有効な細菌感染させた蚊を大量放出 ブラジル”. AFP (2017年8月30日). 2022年7月12日閲覧。
参考文献
[編集]- Werren JH, Baldo L, Clark ME (2008) "Wolbachia: master manipulators of invertebrate biology." Nature Review Microbiology 6: 741-751.
- Werren JH (1997) "Biology of Wolbachia." Annual Review of Entomology 42: 587-609.
- Stouthamer R, Breeuwer JA, Hurst GD (1999) "Wolbachia pipientis: microbial manipulator of arthropod reproduction." Annual Review of Microbiology 53: 71-102.
- 『消えるオス:昆虫の性をあやつる微生物の戦略』 (DOJIN選書) 化学同人、2015年7月3日。ISBN 978-4-75-981666-2
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ボルバキアのサイト - アメリカ国立科学財団(NSF)のサポートによって作成。
- デング熱の免疫持った蚊1万匹放出 ブラジルで予防策 - 朝日新聞デジタル at Archive.is (archived 2014年9月28日) - 蚊を「ボルバキア」と呼ばれる細菌に感染させると、体内でデングウイルスの増殖が抑えられ、人間への感染源にもならないことがわかった。
- 「昆虫と微生物の内部共生:運命共同体となる仕組み」- 東京大学学術俯瞰講義 「かたち」と「はたらき」の生物進化ー偶然か必然かー 資料