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ボンドークー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボンドークー

Bondoukou
首府・州都
1910年のボンドークー
1910年のボンドークー
ボンドークーの位置(コートジボワール内)
ボンドークー
ボンドークー
北緯8度2分 西経2度48分 / 北緯8.033度 西経2.800度 / 8.033; -2.800
コートジボワールの旗 コートジボワール
地方 ザンザン地方
ゴントゴ州
ボンドークー郡
政府
 • 市長 Kone Hiliassou
標高
343 m
人口
(2014年)[1]
 • 合計 117,453人
等時帯 UTC+0 (グリニッジ標準時)
1957年のボンドークー周辺地図。赤線は国境。
1892年のボンドークーの地図

ボンドークー(フランス語:Bondoukou)は、コートジボワール北東部のザンザン地方の首府。 ゴントゴ州の州都でもある。 2014年の人口は約11.7万人。 アビジャンから420km離れている。 [2] ガーナ国境に近い。 A1号線が通り、北のソロバンゴ英語版と、東のガーナに分岐する。

歴史

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元々ジュラ人英語版の交易所が有った。

17世紀初頭、アカン人英語版の一派のアブロン族英語版が征服すると、すぐにジャーマン王国英語版の経済の中心になった。 [3]

1888年11月13日、フランスの保護国になった。

1895年9月、サモリ・トゥーレが征服しワスール帝国英語版に併合した。

1897年7月、フランスが再征服した。

1899年フランス領西アフリカに併合された。

植民地時代終盤には、近くの州都のロティに人口を奪われ大きな村の水準まで落ち込んでいた。

1964年、州都になり最大の町になった。

1980年コートジボワール民主党英語版(PDCI-RDA)政府に反対する学生によって、全国で初めて中学校のストが起こった。

第1次コートジボワール内戦英語版が始まると、政府軍と反乱軍は国を南北に分割した。 ボンドークーは北東部における国際連合コートジボワール活動(ONUCI)の重要拠点になった。 [4]

交通

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気候

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ボンドークーの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 33.7
(92.7)
35.0
(95)
34.5
(94.1)
32.8
(91)
31.6
(88.9)
29.5
(85.1)
27.9
(82.2)
27.6
(81.7)
28.7
(83.7)
30.5
(86.9)
32.0
(89.6)
32.2
(90)
31.3
(88.3)
日平均気温 °C°F 26.4
(79.5)
28.0
(82.4)
28.2
(82.8)
27.5
(81.5)
26.6
(79.9)
25.2
(77.4)
24.3
(75.7)
24.0
(75.2)
24.3
(75.7)
25.3
(77.5)
26.0
(78.8)
25.5
(77.9)
25.9
(78.6)
平均最低気温 °C°F 19.6
(67.3)
21.6
(70.9)
22.5
(72.5)
22.5
(72.5)
22.2
(72)
21.3
(70.3)
20.9
(69.6)
20.7
(69.3)
20.7
(69.3)
20.9
(69.6)
21.1
(70)
19.7
(67.5)
21.1
(70)
降水量 mm (inch) 7.9
(0.311)
26.9
(1.059)
92.3
(3.634)
123.7
(4.87)
156.1
(6.146)
160.2
(6.307)
96.5
(3.799)
90.0
(3.543)
175.1
(6.894)
130.5
(5.138)
31.6
(1.244)
11.1
(0.437)
1,101.9
(43.382)
平均月間日照時間 227.0 221.0 212.9 205.4 207.0 157.7 111.4 90.4 118.7 186.5 196.6 202.9 2,137.5
出典:NOAA[5]

民族対立

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1990年代2000年代、クランゴ人と、ブーナから近年移住したロビ人英語版の間で紛争が続いた。 [6] [7] [8]

脚注

[編集]

外部リンク

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