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ポイント・ペドロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポイント・ペドロ

பருத்தித்துறை
පේදුරු තුඩුව
Point Pedro
サンディカ・アマン・パラムスワリ寺院
サンディカ・アマン・パラムスワリ寺院 地図
ポイント・ペドロの位置(スリランカ内)
ポイント・ペドロ
ポイント・ペドロ
座標:北緯9度49分0秒 東経80度14分0秒 / 北緯9.81667度 東経80.23333度 / 9.81667; 80.23333
スリランカの旗 スリランカ
北部州
ジャフナ県
面積
 • 合計 11.65 km2
人口
(2011)
 • 合計 31,351人
 • 密度 1,044人/km2
等時帯 UTC+5:30 (スリランカ標準時)

ポイント・ペドロタミル語: பருத்தித்துறை, シンハラ語: පේදුරු තුඩුව, 英語: Point Pedro)はスリランカ北部州ジャフナ県の町。スリランカの最北端に位置する。

カルシウムの豊富な土壌(ラトソル)に囲まれているため、綿花の生産が盛ん。ポイント・ペドロの東海岸は幅3マイル、長さ20マイルに渡る砂浜となっており、砂丘の高さは100フィートに及ぶ。地下には豊富な水を含んだ帯水層が横たわっており、その量は10億リットルとも推定されている。2004年にはスマトラ島沖地震による津波で甚大な被害を受け、中には4フィートも水に浸かった場所もある。

内戦中は1990年代初めまで反政府組織タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)の支配下にあったが、1995年に政府軍が奪回した。

地名の由来

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地名はポルトガル語で「岩石質な岬」を意味する「ポンタ・デ・ペドラス」から[1]タミル語での名前は「木綿海岸」という意味で、実際にこの海岸から南インドへ数百年の間木綿が輸出されていた[2]

歴史

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植民地時代には貿易港として発展し、ポイント・ペドロ周辺に住む人々は「船乗り」を意味するサンバンガラールと呼ばれた。

ポルトガル統治時代

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16世紀初めから17世紀半ばまでのポルトガル領時代には、複数のカトリック教会が建設された。

ポント・ペドロにあるスリランカ最北端を示す看板

オランダ統治時代

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17世紀に入るとオランダ領となり、オランダから宣教師が派遣されてきた。彼らの多くはジャフナに定住した。

文化遺産

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テル・モディ・マダム(Theru Modi Madam)は、ポイント・ペドロから南へ800mほど行った場所にある建物。ジャフナ北部へ出入りする人たちの宿泊所として利用された。建物は、道路の左右に設置された基盤から石柱が6本ずつ並び、その上に梁が渡されている。さらにその上に腰壁が設けられ、その上に屋根が設置されている[3]

脚注

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  1. ^ Tennent, Sir James Emerson (1860) (英語). Ceylon: An Account of the Island, Physical, Historical, and Topographical, with Notices of Its Natural History, Antiquities and Productions. Longman, Green, Longman, and Roberts. pp. 535. https://archive.org/details/ceylonaccountofi02tenn. "point pedro." 
  2. ^ Sivasubramaniam, K. (2009) (英語). Fisheries in Sri Lanka: anthropological and biological aspects. Kumaran Book House. pp. 261. ISBN 9789556591460. https://books.google.com/books?id=4ogmAQAAMAAJ&q=paruthithurai 
  3. ^ スリランカ北部、東北部における文化財保存と活用 調査報告書”. 文化遺産国際協力コンソーシアム (2015年3月). 2021年1月13日閲覧。

外部リンク

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