ポール・ウィンター
ポール・ウィンター Paul Winter ルナガロン | |
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2007年のクリアウォーター・フェスティバルにて | |
基本情報 | |
生誕 | 1939年8月31日(85歳) |
出身地 | アメリカ合衆国ペンシルベニア州アルトゥーナ |
ジャンル | ニューエイジ、ジャズ |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | サックス |
活動期間 | 1961年 - |
共同作業者 | ポール・ウィンター・コンソート、ポール・ウィンター・セクステット、ドミトリー・ポクロフスキー・アンサンブル、オレゴン |
公式サイト | Paul Winter |
ポール・ウィンター(Paul Winter, 1939年8月31日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州アルトゥーナ生まれのサックスプレイヤー。
経歴
[編集]1961年、大学在学中に、ジャズバンドのポール・ウィンター・セクステットでインターカレッジ・ジャズ・フェスティバルに優勝しコロムビアと契約。1962年にはアメリカ合衆国国務省派遣の文化使節として世界をまわる。同年、ホワイトハウスに招かれ、ホワイトハウスで演奏した最初のジャズバンドとなった[1]。
1960年代中頃は、ウィンターはブラジルへ行き、ブラジル音楽や誕生したばかりのボサノヴァに関心を寄せた[1]。その影響下で制作した1965年のアルバム『リオ』には、ボサノヴァ誕生の中心人物の1人であるヴィニシウス・ヂ・モライスがライナーノーツを書いている。
1960年代後半からは、ポール・ウィンター・コンソートとバンド名を変更、ニューエイジ・ミュージック、ヒーリングミュージックの傾向を深めている。1972年に発表したアルバム『イカロス』は、ビートルズのプロデュースで有名なジョージ・マーティンがプロデュースを務めている。このアルバムの録音に参加したラルフ・タウナーらのミュージシャンは後に、オレゴンを結成している。コンソートは、長年にわたり異なるミュージシャンで続けていた。
1993年に発表したライヴ・アルバム『スパニッシュ・エンジェル』は、第36回グラミー賞で最優秀ニュー・エイジ・アルバム賞を受賞し[2]、ポール・ウィンターにとって初めてのグラミー賞獲得となった。
1994年に発表したアルバム『野生への祈り』は野生動物をテーマにしたコンセプト作品で、前年に続き第37回グラミー賞で最優秀ニュー・エイジ・アルバム賞を受賞した[2]。
1999年にポール・ウィンター・アンド・フレンズ名義で発表したアルバム『ケルティック・ソルスティス』は、アイルランドのミュージシャンが多く参加したケルト音楽をテーマにした作品で、第42回グラミー賞で最優秀ニュー・エイジ・アルバム賞を受賞した[2]。
2007年に発表したアルバム『クレストン』は、第50回グラミー賞で最優秀ニュー・エイジ・アルバム賞を受賞した。なお、『クレストン』には日本人和太鼓奏者の中村浩二が参加している[3]。
2011年に開催された第53回グラミー賞で、日本の琴奏者松山夕貴子をフィーチャーしたアルバム『ミホ:ジャーニー・トゥー・ザ・マウンテン』が最優秀ニュー・エイジ・アルバム賞を受賞した[3]。このアルバムは、日本の美術館であるMIHO MUSEUMで収録された[4]。
ディスコグラフィ
[編集]ソロ名義
[編集]タイトル | 年 | 備考 | ||
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サウンド・オブ・イパネマ (The Sound of Ipanema) | 1964 | |||
リオ (Rio) | 1965 | |||
Common Ground | 1978 | |||
コーリングス (Callings) | 1980 | |||
ミサ・ガイア (Missa Gaia/Earth Mass) | 1982 | |||
サンシンガー (Sun Singer) | 1983 | ジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤー受賞[2] | ||
キャニオン (Canyon) | 1985 | グラミー賞ノミネート作品[2] | ||
ウィンターソング (Wintersong) | 1986 | |||
ホエールズ・アライブ (Whales Alive) | 1987 | |||
アースビート (Earthbeat) | 1987 | グラミー賞ノミネート作品[2] | ||
アース~地球賛歌 (Earth: Voices of a Planet) | 1990 | グラミー賞ノミネート作品[2] | ||
ソルスティス・ライブ (Solstice Live!) | 1993 | |||
野生への祈り (Prayer for the Wild Things) | 1994 | グラミー賞受賞作品[2] | ||
キャニオン・ララバイ (Canyon Lullaby) | 1997 | グラミー賞ノミネート作品[2] | ||
Brazilian Days | 1998 | |||
Celtic Solstice | 1999 | グラミー賞受賞作品[5] | ||
Journey with the Sun | 2000 | |||
Early Winter | 2011 |
ポール・ウィンター・コンソート
[編集]タイトル | 年 | 備考 | ||
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ウィンター・コンソート (The Winter Consort) | 1968 | |||
サムシング・イン・ザ・ウィンド (Something in the Wind) | 1969 | |||
ロード (Road) | 1970 | |||
イカロス (Icarus) | 1972 | |||
Earthdance | 1977 | |||
コンサート・フォー・ジ・アース (Concert for the Earth) | 1985 | |||
Wolf Eyes | 1989 | |||
木を植えた男 (The Man Who Planted Trees) | 1990 | |||
Turtle Island | 1991 | |||
スパニッシュ・エンジェル (Spanish Angel) | 1993 | グラミー賞受賞作品[2] | ||
Silver Solstice | 2005 | グラミー賞受賞作品[5] | ||
クレストン (Crestone) | 2007 | グラミー賞受賞作品[3] | ||
Miho: Journey to the Mountain | 2010 | グラミー賞受賞作品[3] | ||
Flyways | 2011 |
ポール・ウィンター・セクステット
[編集]タイトル | 年 | 備考 | ||
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ポール・ウィンター・セクステット (The Paul Winter Sextet) | 1961 | |||
ジャズ・ミーツ・ザ・ボサノバ (Jazz Meets The Bossa Nova) | 1962 | |||
ジャズ・プレミア・ワシントン (Jazz Premiere: Washington) | 1963 | |||
ニュー・ジャズ・オン・キャンパス (New Jazz on Campus) | 1963 | |||
ジャズ・ミーツ・ザ・フォークソング (Jazz Meets The Folk Song) | 1963 |
ポール・ウィンター・アンド・フレンズ
[編集]タイトル | 年 | 備考 | ||
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ケルティック・ソルスティス (Celtic Solstice) | 1999 | グラミー賞受賞作品[2] |
ポール・ウィンター・アンド・ジ・アース・バンド
[編集]タイトル | 年 | 備考 | ||
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ジャーニー・ウィス・ザ・サン (Journey with the Sun) | 2000 | グラミー賞ノミネート作品[2] |
出典
[編集]- ^ a b “PAUL WINTER: Award-winning Saxophonist, Bandleader, Composer, Explorer of the World's Musical Traditions and Founder of Living Music”. BIOGRAPHY. 2011年8月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “ポール・ウインター ディスコグラフィー”. 2011年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月28日閲覧。
- ^ a b c d “芸能 - 歴代グラミー賞”. SANSPO.COM. 2012年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月28日閲覧。
- ^ “グラミー賞受賞「ミホ:ジャーニー・トゥー・ザ・マウンテン」”. MSN産経ニュース (2011年3月5日). 2011年8月28日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b “Paul Winter > AllMusic”. Charts & Awards - GRAMMY Awards. 2012年6月30日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Paul Winter(英語) - 公式サイト