マイク・スクワイアーズ
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ミシガン州・カラマズー |
生年月日 | 1952年3月5日(72歳) |
身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 185 lb =約83.9 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 一塁手 |
プロ入り | 1973年 ドラフト18巡目でシカゴ・ホワイトソックスから指名 |
初出場 | 1975年9月1日 |
最終出場 | 1985年9月24日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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マイク・スクワイアーズ(Michael Lynn Squires 、1952年3月5日 - )は元プロ野球選手。ポジションは一塁手。アメリカ合衆国・ミシガン州カラマズー生まれ。左投げ左打ち。ニックネームは"Spanky"(スパンキー)。
シカゴ・ホワイトソックスで主に一塁手として活躍したが、左投げは不向きとされる『三塁手』と『捕手』の両方のポジションを守った珍しい記録を持っている。
来歴・人物
[編集]1973年にドラフト指名でシカゴ・ホワイトソックスに入団し、1975年にメジャーデビューを果たす。1976,1977年はほとんどマイナーリーグで過ごし、レギュラーとして出場したのは1979年から1983年までの間だった。打率は毎年.260から.270くらいで長打のある打者ではなかったが、その守備の巧さを当時の監督トニー・ラルーサに評価されていた。後述の珍しい守備記録も、ラルーサの采配のもとで生まれたものである。
スクワイアーズは一塁手として9シーズンでおよそ700試合に出場しているが、通算での失策はわずか23だった。1981年には、88試合の出場だったがアメリカンリーグの一塁手としてゴールドグラブ賞を受賞している。
スクワイアーズが初めて捕手のポジションを守ったのは、1980年5月4日の対ブルワーズ戦のことである。ホワイトソックスが11-1と大量リードされた試合の最終回だったが、これは1958年のデール・ロング以来となる22年ぶりの『左投げ捕手』の出場記録となった。この年スクワイアーズは捕手として2試合に出場した[1]。
1983年シーズンは打率.222と打撃不振になり、その後は守備の交代要員としての出場が多くなった。1983年の8月23日の試合では、今度はスクワイアーズが三塁のポジションを守った。これはメジャーリーグ史上、少なくとも50年ぶり(それ以前の試合記録に欠落があり、特定できていない)となる『左投げ三塁手』の出場となった。1984年には一塁手だけでなく、三塁手で13試合(4試合先発)、外野手として3試合に出場、また同年1アウトだけだが投手としての出場もある。一塁以外のポジションでの失策は結局一度もなかった。
1985年シーズン前に一度ホワイトソックスを離れたが、9月に再度契約し2試合に出場したのが選手としての最後のキャリアである。引退後1989年から3年間トロント・ブルージェイズ、1992年に1年間ホワイトソックスのコーチを務めている。
通算成績
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1975 | CWS | 20 | 74 | 65 | 5 | 15 | 0 | 0 | 0 | 15 | 4 | 3 | 0 | 0 | 1 | 8 | 2 | 0 | 5 | 2 | .231 | .311 | .231 | .542 |
1977 | 3 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
1978 | 46 | 171 | 150 | 25 | 42 | 9 | 2 | 0 | 55 | 19 | 4 | 4 | 2 | 3 | 16 | 0 | 0 | 21 | 1 | .280 | .343 | .367 | .710 | |
1979 | 122 | 326 | 295 | 44 | 78 | 10 | 1 | 2 | 96 | 22 | 15 | 5 | 5 | 2 | 22 | 3 | 2 | 9 | 10 | .264 | .318 | .325 | .643 | |
1980 | 131 | 389 | 343 | 38 | 97 | 11 | 3 | 2 | 120 | 33 | 8 | 9 | 11 | 0 | 33 | 1 | 1 | 24 | 6 | .283 | .347 | .350 | .697 | |
1981 | 92 | 334 | 294 | 35 | 78 | 9 | 0 | 0 | 87 | 25 | 7 | 2 | 13 | 5 | 22 | 0 | 0 | 17 | 5 | .265 | .312 | .296 | .607 | |
1982 | 116 | 213 | 195 | 33 | 52 | 9 | 3 | 1 | 70 | 21 | 3 | 3 | 4 | 0 | 14 | 3 | 0 | 13 | 4 | .267 | .316 | .359 | .675 | |
1983 | 143 | 180 | 153 | 21 | 34 | 4 | 1 | 1 | 43 | 11 | 3 | 3 | 2 | 1 | 22 | 3 | 2 | 11 | 2 | .222 | .326 | .281 | .607 | |
1984 | 104 | 89 | 82 | 9 | 15 | 1 | 0 | 0 | 16 | 6 | 2 | 2 | 1 | 0 | 6 | 1 | 0 | 7 | 1 | .183 | .239 | .195 | .434 | |
1985 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||
MLB:10年 | 779 | 1779 | 1580 | 211 | 411 | 53 | 10 | 6 | 502 | 141 | 45 | 28 | 38 | 12 | 143 | 13 | 5 | 108 | 31 | .260 | .321 | .318 | .639 |
表彰
[編集]- ゴールドグラブ賞(一塁手):1981年
記録
[編集]- リーグ最高守備率(一塁手):1983年
脚注
[編集]- ^ その後、メジャーリーグでの左投げ捕手の出場記録は、1989年に当時ピッツバーグ・パイレーツの選手だったベニー・ディステファーノが、3試合に出場したのが最後である。