マイケル・オビク
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名前 | ||||||
本名 |
マイケル・エディリン・オビク Michael Edirin Obiku | |||||
愛称 | マイク | |||||
ラテン文字 | Michael Obiku | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ナイジェリア | |||||
生年月日 | 1968年9月24日(56歳) | |||||
出身地 | ワリ | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 82kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1986-1987 | フラッシュ・フラミンゴズ | 29 | (13) | |||
1988 | イウアンヤンウ・ナショナレ | 5 | (4) | |||
1988-1989 | CSマリティモ | |||||
1989-1992 | アノルソシス・ファマグスタ | 69 | (33) | |||
1992-1996 | フェイエノールト | 71 | (23) | |||
1994 | → ヘルシンボリIF | 14 | (9) | |||
1996-1997 | RCDマジョルカ | 26 | (14) | |||
1997-1998 | アビスパ福岡 | 25 | (9) | |||
1998-1999 | AZアルクマール | 13 | (2) | |||
1999-2000 | アノルソシス・ファマグスタ | 21 | (14) | |||
2000-2001 | APOELニコシア | 0 | (0) | |||
通算 | 273 | (121) | ||||
代表歴 | ||||||
1986 | ナイジェリアU-20 | |||||
1888 | ナイジェリアU-23 | 2 | (0) | |||
1988-1993 | ナイジェリア | 4 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マイケル・エディリン・オビク(Michael Edirin Obiku, 1968年9月24日-)は、ナイジェリア・ワリ出身の元同国代表の元サッカー選手。ポジションはFW。スパルタ・ロッテルダムのユースチームでアシスタントコーチをしている。
経歴
[編集]初期
[編集]母国ナイジェリアのフラッシュ・フラミンゴズ (現エザンFC)でキャリアを始めた。1986年、プロ1年目の18歳の時に6ゴールを決めると、翌シーズンは7ゴールを記録。イウアンヤンウ・ナショナレ (現ハートランドFC)へステップアップしていき、ここでは半年間で4ゴールを挙げた。
フェイエノールト
[編集]1988年夏にポルトガルのCSマリティモへ移籍するも、契約やライセンスの問題から1988-99シーズンを通して試合に出場することが出来ず、プレシーズンのみに終わった。このような状況から、1989年夏の移籍市場でキプロスのアノルソシス・ファマグスタへ加入。1989-90シーズン・6ゴール, 1990-91シーズン・11ゴールと得点を重ね、最後のシーズンとなった1991-92シーズンは、16ゴールを記録しチームは2位という成績でシーズンを終えた。その活躍から、フェイエノールトのヨリエン・ファン・デン・ヘリク会長自らが獲得に乗り出した[1]。1992年夏にフェイエノールトへ移籍した。
フェイエノールトでの最初のシーズンは、ヴィレム・ファン・ハネヘム監督の下でハストン・タウメント, ジョン・ファンルーンとポジション争いを繰り広げた。1992年8月12日、PSVアイントホーフェン戦でデビューをするも0-1で敗北した。スタメンとして出場することが出来なかったが、スーパーサブとして21試合出場7得点を記録、2位のPSVと勝ち点2差でエールディヴィジ優勝した。翌1993-94シーズン、チームはリーグ戦準優勝・KNVBカップ優勝するも、オビク自身は夏にヘンリク・ラーションが移籍してきたことにより序列が4番目に後退、16試合3ゴールを記録した。
1994年夏、ラーションとの契約上の関係からヘルシンボリIFへレンタルで加入した。アルスヴェンスカンでは、14節に3-2で勝利したVästra Frölunda IF戦でのゴールを含め合計9ゴールを記録、さらにカップ戦準決勝進出に貢献した。
1995年冬にレンタルから復帰すると、1995年3月8日のKNVBカップ準決勝・永遠のライバルアヤックス・アムステルダムとのデ・クラシケルでゴールデンゴールを決め勝利した[2]。このシーズンのアヤックスはスーパーカップを皮切りにエールディヴィジ、そしてUEFAチャンピオンズリーグと優勝し、トレブル (サッカー)達成まであと一歩だったが、オビクの活躍に阻まれシーズン終了した。決勝のFCフォレンダム戦は、後半に途中出場してから11分後の82分に決勝ゴールを決め、チームはここ5年で4回目となるカップ戦優勝をした[3]。一方、リーグ戦では4位に終わり、オビクは6ゴールを記録した。また、UEFAカップウィナーズカップではレアル・サラゴサとの準々決勝に1試合出場した。翌1995-96シーズン、主にサブとして出場したオビクは、自身のキャリアで3度目となる通算7ゴールを記録し、そして再びKNVBカップのタイトルを獲得した。1996-97シーズン、序盤に3試合出場するもアリー・ハーン監督が指揮するチームに居場所を見つけることが出来ず、クラブを去っていった。フェイエノールトでは、カップ戦を1992, 1994, 1995と3回、リーグ戦を1992-93シーズンに1回優勝した。
その後
[編集]1996-97シーズン、セグンダ・ディビシオンで戦うRCDマヨルカに加入すると13ゴールを決め、コンスタンティン・ガルカと共にチーム得点王になった[4]。チームは3位で終わったため、ラージョ・バジェカーノとの昇降格プレーオフにまわり勝利した。オビクは、この2試合共にプレーし、リーガ・エスパニョーラ昇格の立役者の1人となった。
1997年7月にJリーグのアビスパ福岡に入団。身体能力を始めとする個人能力の高さを披露するも、フィニッシュの精度に難が残った。
1998年夏にオランダへ戻るとAZアルクマールと契約、13試合2ゴールを記録する。チームは9位でフィニッシュしたが、次のシーズン契約延長せず1年で退団した。1999-2000シーズンにキプロスへ舞い戻り、以前成功を収めたアノルソシス・ファマグスタに再び加入した。この年はキプロス・ファーストディビジョンで13ゴールを記録し、チームは4連覇目を達成した。2001年APOELニコシアで引退した。
代表
[編集]オビクはナイジェリア代表として、アフリカネイションズカップ1988・1次リーグのカメルーン代表戦に出場した[5]。決勝戦で再びカメルーンと対戦したが、オビク自身は出場することなく、0-1で敗退し優勝を逃した[6]。1990 FIFAワールドカップ・アフリカ予選に2試合出場[7]。ソウルオリンピックでは2試合に出場[8]するもノーゴールに終わり、また、出場時間はわずか12分だった。1989年にポール・ハミルトンが監督に就任するとレギュラーだったが、ハミルトンが解任されると長期間呼ばれなくなった。1993年にクレメンス・ウェステルホフ率いるチームに復帰し、4月11日のアフリカネイションズカップ1994予選エチオピア代表戦に出場するも0-1で敗北した。サムソン・シアシア, ラシディ・イエキニ, ダニエル・アモカチと多くのストライカーがチームにいたため、プレーする機会があまりなかった。
指導者
[編集]引退から数年後、オランダに定住しコーチになった。フェイエノールトのユースチームでトレーニングを受け、VVアレクサンドリア66というアマチュアチームのコーチを務めた。2006年末にHSVホークを指導し成功を収めた。2007年からスパルタ・ロッテルダムのユースチームでアシスタントコーチをしている。
エピソード
[編集]フェイエノールト時代にゴールを決めると、ユニフォームを地面に投げ捨て、その周りで踊るパフォーマンスをしていた。また、ヴィレムII戦で、ピッチを囲む有刺鉄線のフェンスを掴んでしまい手を負傷した。出血した手を治療してプレーを続けた[要出典]。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1997 | 福岡 | 34 | J | 15 | 7 | 0 | 0 | 3 | 1 | 18 | 8 |
1998 | 9 | 10 | 2 | 4 | 2 | 0 | 0 | 14 | 4 | ||
通算 | 日本 | J | 25 | 9 | 4 | 2 | 3 | 1 | 32 | 12 | |
総通算 | 25 | 9 | 4 | 2 | 3 | 1 | 32 | 12 |
代表歴
[編集]試合数
[編集]- 国際Aマッチ 9試合 1得点(1987年-1993年)[9]
ナイジェリア代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1987 | 1 | 0 |
1988 | 3 | 0 |
1989 | 3 | 1 |
1990 | 1 | 0 |
1991 | 0 | 0 |
1992 | 0 | 0 |
1993 | 1 | 0 |
通算 | 9 | 1 |
脚注
[編集]- ^ Op paradijselijk verleden volgt voor koning Obiku bij Feyenoord een ontnuchterend heden
- ^ Obiku middelpunt van feest der ontlading
- ^ Obiku bewijst opnieuw waarde voor Feyenoord
- ^ Mallorca 1996/97
- ^ 1988 MATCHES AFRICA
- ^ African Nations Cup 1988
- ^ FIFA World Cup Qualifiers Archived 2009年5月24日, at the Wayback Machine.
- ^ Men's Olympic Football Tournament
- ^ マイケル・オビク - National-Football-Teams.com
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- マイケル・オビク - Olympedia
- マイケル・オビク - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- マイケル・オビク - National-Football-Teams.com
- マイケル・オビク - FootballDatabase.eu
- マイケル・オビク - WorldFootball.net
- マイケル・オビク - Transfermarkt.comによる選手データ
- マイケル・オビク - FIFA主催大会成績
- マイケル・オビク - J.League Data Siteによる選手データ
- マイケル・オビク - BDFutbol.com
- Real Mallorca bio