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マジャルタイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

マジャルタイ1285年 - 1347年)は、大元ウルス後期の重臣。

元史』などの漢文史料では馬札児台(mǎzháértái)と表記される。

概要

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マジャルタイはメルキト部出身の人物で、年代に大元ウルス朝廷を牛耳ったバヤンの弟であった。マジャルタイは若年の頃武宗クルク・カアン仁宗ブヤント・カアンの兄弟に仕え、後の英宗ゲゲーン・カアンが皇太子とされた時には中順大夫・典用監に任じられた。その後も吏部郎中から吏部侍郎、兵部尚書、利用卿、度支卿、同知典瑞院事、典瑞院使、大都路ダルガチ、虎賁親軍都指揮使といった官職を歴任した[1]。この頃、ブヤント・カアンが雲州の九峰山に寺を建設しようとして失敗したところ、マジャルタイが私財を投じてこれを完成させた逸話が知られている[2]

泰定4年(1327年)、陝西行台治書侍御史の地位に任じられたが、この頃関陝地方で大飢饉が起こったため、マジャルタイは私財をなげうって貧民を救ったという。この頃、天暦の内乱で兄のバヤンが文宗ジャヤガトゥ・カアンの即位に大きく貢献し、マジャルタイも宣政使、太府卿、高麗女直漢軍万戸ダルガチ、御史大夫・兼右衛阿速親軍都指揮使司ダルガチ、知枢密院事、提調武備寺事、領欽察闖闖帖木児千戸所、鎮守海口侍衛親軍屯儲都指揮使司ダルガチといった職責を歴任した[3]

至元3年(1337年)、マジャルタイに王号を授けることになったが、マジャルタイは既に兄のバヤンが秦王の王号を得ていることを理由に辞退し、太保を得るに留まった。その後、マジャルタイは北方のモンゴル高原に赴任すると、民の負担となっていた役を免除し前例を定めたという。至元6年(1340年)、息子のトクトが主導するクーデターによってバヤンが失脚すると、マジャルタイは中央に呼び戻されてバヤンの地位を継ぎ、太師・中書右丞相(中書省の長)に任じられた[4]。もっとも、この頃既に政治の実権はトクトに握られていたと見られる[5]。この頃マジャルタイは右衛阿速軍・群牧監の地位を兼ね、各処船戸提挙・広東採珠提挙の廃止などを主導している。しかし、既に高齢であったマジャルタイは間もなく病となり、職を辞したものの太師はそのままとされた。至正元年(1341年)、息子のトクトが中書右丞相の地位を継ぎ、マジャルタイも忠王に封ぜられた。しかし至正7年(1347年)、ベルケ・ブカの讒言によってマジャルタイは甘粛地方に移され、そこで病により63歳にして亡くなった[6]

脚注

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  1. ^ 『元史』巻138列伝25馬札児台伝,「馬札児台、世系見兄伯顔伝。馬札児台蚤扈従武宗、後侍仁宗於潜邸、出入恭謹、蒞事敏達、仁宗悦之。及立為皇太子、以為中順大夫・典用監。尋遷吏部郎中、陞侍郎、進兵部尚書、遷利用卿、進度支卿、転同知典瑞院事、陞院使、歴大都路達魯花赤、佩虎符、領虎賁親軍都指揮使」
  2. ^ 『元史』巻138列伝25馬札児台伝,「馬札児台所至不以察察為明、赫赫為威、僚属各効其勤、至於事功既成、未嘗以為己出也。以仁宗寵遇之深、忌日必先百官詣原廟致敬、或一食一果之美、必持献廟中。仁宗嘗建寺雲州九峰山、未成而崩、馬札児台以私財成之、曰『是雖未足以報先帝之恩、而先帝嘗駐蹕於茲、誠不忍過其所而坐視蕪廃也。』又建寺都城健徳門東。十二年、特命改封徳王、令翰林儒臣製詞立碑、仍賜旌忠昭徳之額。長子脱脱、次子也先帖木児」
  3. ^ 『元史』巻138列伝25馬札児台伝,「泰定四年、拝陝西行台治書侍御史。関陝大饑、賑貸有不及者、尽出私財以周貧民、所活甚衆。転太府卿、又転都功徳使、改宣政使。三遷皆仍太府卿、佩元降虎符、領高麗女直漢軍万戸府達魯花赤。拝御史大夫、仍領高麗女直漢軍、兼右衛阿速親軍都指揮使司達魯花赤、提調承徽寺。尋遷知枢密院事、兼前職、加提調武備寺事、加金牌、領欽察闖闖帖木児千戸所。又仍以知枢密院事、加鎮守海口侍衛親軍屯儲都指揮使司達魯花赤、餘如故」
  4. ^ 宮2018397
  5. ^ 檀上2020,25頁
  6. ^ 『元史』巻138列伝25馬札児台伝,「至元三年、議進爵封王、辞以兄伯顔既封秦王、兄弟不宜並王、乃拝太保、分枢密院、往鎮北辺。至鎮、辺民歳有徭役、悉蠲除之、後為定例。六年、伯顔既罷黜、召拝太師・中書右丞相。奏罷各処船戸提挙・広東採珠提挙二司。兼領右衛阿速軍、又兼領群牧監。未幾、以疾辞、帝優詔起之。其請益堅、遂以太師就第。明年、以其子脱脱為右丞相、而封馬札児台為忠王。至正七年、別児怯不花讒于帝、詔安置甘粛、以疾薨、年六十三」

参考文献

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  • 檀上寛『明の太祖 朱元璋』ちくま学芸文庫、2020年
  • 宮紀子『モンゴル時代の「知」の東西』名古屋大学出版会、2018年
  • 元史』巻138列伝25馬札児台伝
  • 新元史』巻200列伝97康里脱脱伝