マックス・クルーゼ (彫刻家)
マックス・クルーゼ Max Kruse | |
---|---|
生誕 |
1854年4月14日 ドイツ、ベルリン |
死没 |
1942年10月26日 ドイツ、ベルリン |
マックス・クルーゼ(Carl Max Kruse、 1854年4月14日 - 1942年10月26日)はドイツの彫刻家である。ベルリン分離派のメンバーとして活動した。
略歴
[編集]ベルリンで生まれた。1874年から1877年の間、シュトゥットガルトの工科大学(現在のシュトゥットガルト大学)で建築を学んだ後、プロイセン美術アカデミーでフリッツ・シャーパー(Fritz Schaper: 1841-1919)やアルベルト・ヴォルフ(Albert Wolff: 1814-1892)に彫刻を学んで1879年に卒業した。1881年のアカデミーの展覧会に出展した「マラトンランナー(Der Marathonläufer)」で金メダルを受賞し、プロイセン美術アカデミーのローマ賞を受賞し、奨学金を得て1881年から1882年の間、ローマ留学した[1]。
最初の結婚の後、1902年に舞台美術家としても働き、女優をしていたケーテ・ジーモン(Katharina Simon、Käthe Kruse:1883–1968)と知り合い愛人関係になった。2人の娘が生まれたが、結婚したのは1909年になってからである[2]。ケートは1905年にクルーゼに勧められて人形つくりをはじめ、有名な人形デザイナーになった。
クルーゼは1907年に教授資格を得て、1908年にベルリン分離派に加わり、理事も務めた。1913年に王立美術アカデミーの会員に選ばれた。ベルリンでアルトゥール・レヴィン=フィンケ(Arthur Lewin-Funcke)が創立した美術学校(Studienateliers für Malerei und Plastik)で彫刻を教えた。
彫刻家としての作品にはペルセポネーの像やルートヴィヒ・ウーラントの像がある。
発明にも興味を持ち、「Lithophan(透し絵陶板)」の製作法や彫刻のための位置測定装置の特許を取得している。
ケーテとの間の同名の息子、マックス・クルーゼ(Max Kruse: 1921–2015) は「ウルメル・シリーズ」などで知られる児童文学者になった。
作品
[編集]-
"Siegerbote von Marathon" クレーフェルトに設置された複製
-
ルートヴィヒ・ウーラントの像(複製)
-
ペルセポネー(Berlin-Neukölln)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Fritz Stahl: Max Kruse. Wasmuth, Berlin 1924.
- Max Kruse. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 22: Krügner–Leitch. E. A. Seemann, Leipzig 1928, S. 18–19.
- Kruse, Max. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der bildenden Künstler des XX. Jahrhunderts. Band 3: K–P. E. A. Seemann, Leipzig 1956, S. 128.
- Carl-Peter Steinmann: Sonntagsspaziergänge 2. Entdeckungen in Charlottenburg, Friedrichshain, Gesundbrunnen, Grunewald, Karlshorst, Prenzlauer Berg, Transit Verlag Berlin 2010, ISBN 978-3-88747-286-3.