マティルド・ド・ブルゴーニュ (1150-1192)
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マティルド・ド・ブルゴーニュ Mathilde de Bourgogne | |
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出生 |
1150年 フランス王国、フォントヴロー |
死去 |
1192年2月6日 フランス王国、フォントヴロー修道院 |
埋葬 | フランス王国、フォントヴロー修道院 |
配偶者 | イスーダン領主ウード2世 |
ヌヴェール伯ギー | |
ピエール・ド・フランドル | |
ドルー伯ロベール2世 | |
子女 |
ギヨーム5世 アニェス イド シビーユ |
家名 | ブルゴーニュ家 |
父親 | グリニョン伯レーモン・ド・ブルゴーニュ |
母親 | モンパンシエ女領主アニェス・ド・ティエール |
マティルド・ド・ブルゴーニュ(フランス語:Mathilde de Bourgogne, 1150年 - 1192年2月6日)またはマオー・ド・ブルゴーニュ(Mahau de Bourgogne)は、ブルゴーニュ家出身のフランス貴族の女性。
生涯
[編集]マティルドはグリニョン伯およびイスーダン伯レーモン・ド・ブルゴーニュ(1125年 - 1156年6月28日)とモンパンシエ女領主アニェス・ド・ティエール(1130年頃 - 1227年、1145年頃結婚)の娘として、フォントヴローで生まれた[1]。父レーモンはブルゴーニュ公ユーグ2世の息子で、マティルドの伯父はブルゴーニュ公ウード2世、従兄弟はユーグ3世である。
1165年にイスーダン領主ウード2世(1167年没)と結婚したが、ウード2世は結婚の2年後に死去した。
1168年ごろにヌヴェール伯ギーと結婚し、以下の子女が生まれた。
1175年、フランドル伯ティエリー・ダルザスとシビーユ・ダンジューの三男ピエール(1140年頃 - 1176年8月3日)と結婚した。ピエールは若年でカンブレー司教とされていたが、1175年にマティルドと結婚するため司教位を退いた。2人の間には1女が生まれた。
- シビーユ(1176年頃 - 1236年)[1]
1178年にドルー伯ロベール2世と結婚したが、1181年に離婚した[2]。
マティルドは1192年にフォントヴロー修道院で死去し[1]、同修道院に埋葬された。
脚注
[編集]- ^ a b c d “Mathilde de Bourgogne”. mount-royal.ca. 2017年5月10日閲覧。
- ^ “Mathilde de Bourgogne”. gw.geneanet.org. 2023年7月21日閲覧。