マテイ・ステルネン
表示
マテイ・ステルネン Matej Sternen | |
---|---|
生誕 |
1870年9月20日 オーストリア=ハンガリー帝国 ヴェルト |
死没 |
1949年6月28日(78歳没) ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(現: スロベニア) リュブリャナ |
マテイ・ステルネン(スロベニア語: Matej Sternen, 1870年9月20日 - 1949年6月28日はスロベニアの画家である。印象派のスタイルの画家である。
略歴
[編集]中央スロベニア地方のVerd で生まれた。クルスコ(Krško)の学校で学んだ後、1881年にグラーツの商業学校で学んだ。1893年から1899年までウィーン美術アカデミーで学んだ[1]。ミュンヘンに移り、アントン・アズベの美術学校に入り、ナデジダ・ペトロヴィッチやイーゴリ・グラーバリ、アレクセイ・フォン・ヤウレンスキーといった東欧やロシアの画家たちと共に学んだ[2]。スロベニアからもリハルド・ヤコピッチやマティヤ・ヤーマがアズベの美術学校で学んでいた。
1905年にアズベが亡くなると、ミュンヘンを離れ、グラーツやウィーンで印象派のスタイルの作品を描いた。1907年にスロベニアに移り、リハルド・ヤコピッチとリュブリャナで絵画学校を開いた。イタリアを旅し、1909年にはパリに滞在した。1910年から2年間、イタリアとスロベニアの国境の町、ドゥイーノ=アウリジーナに住んだ。
その後、美術品修復の仕事を始め、後に美術品修復に専念した。第一次世界大戦、リュブリャナに戻り、リュブリャナ大学で絵画の教師になった。1924年から彼は絵画と修復の学校を運営した。
第二次世界大戦中、スターネンはクロアチアのナチスの支持者であったが、戦後、迫害されることはなかった。1949年にリュブリャナで亡くなった。
作品
[編集]-
靴紐を結ぶ女性 (1899)
-
赤毛の女性
-
赤い傘
-
コルセットをつける女性
脚注
[編集]参考文献
[編集]- A. C., Sternen, Matej, in Ausst. Kat.: Wege zur Moderne und die Ažbe-Schule in München, Museum Wiesbaden 1988, S. 128 Tomaz Brejc, Slovenski Impresionisti eropsko slikarstvo, Ljubljana 1982, S. 65–82