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マレー人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マライ系から転送)
マレー人
Malay
Melayu
ملايو
マラッカのエンリケハムザ・ハスハン・トゥア
ハサナル・ボルキアDato Latマハティール・ビン・モハマド
サルマ・イスマイルP・ラムリーSurin Putsuwan
Sheikh Muszaphar ShukorTunku Abdul RahmanPengiran Anak Sarah
総人口
およそ2780万人
居住地域
マレーシアの旗 マレーシア14,749,378人 (2010年推定)[1]
ブルネイの旗 ブルネイ261,902人 (2010年推定)[2]
インドネシアの旗 インドネシア8,789,585人 (2010年推定)[3][4]
タイ王国の旗 タイ王国3,354,475人 (2010年推定)[5][6]
シンガポールの旗 シンガポール653,449人 (2010年推定)[7]
言語
マレー語インドネシア語ジャウィ語タイ語英語
宗教
イスラム教スンナ派(約99.9%)

マレー人(マレーじん)とは、本来はマレー半島スマトラ島東海岸、ボルネオ島沿岸部などに住んでマレー語を話し、マレー人と自称する人々(民族)のことを指し、マレー語ではムラユ Melayu と呼ぶ。漢字では馬来人と表記した。移住により南アフリカの人種構成にも影響を与えた。

広義にはマレーシアシンガポールブルネイインドネシアフィリピンタイ南部、カンボジアの一部など東南アジア島嶼部マレー諸島)の国々に住む人々の総称であるが、これは人種的な意味(南方系古モンゴロイドインドシナ人種オーストラロイドの混血であるインドネシア・マレー人種)で用いることが多い。

起源

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プロト・マレーモデル

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プロトマレーはオーストロネシア人を起源としており、紀元前2500年~紀元前1500年の間の長期にわたる移動の末、マレー半島に移住した[8]The Encyclopedia of Malaysia: Early Historyには、マレー人の起源について、3つの説が記載されている。

  • 雲南説(メコン川移住説)(1889年出版)- プロトマレーは雲南に起源を持つという説は R.H Geldern, J.H.C Kern, J.R Foster, J.R Logen, Slamet Muljana, Asmah Haji Omarによって支持されている。この仮説を支持する他の証拠として、マレー半島で見つかったの石器が中央アジアのものとよく似ていること、マレー人の習慣がアッサム地方の習慣によく似ていることがある。
  • 船乗り説(スンダ説)(1965年出版)- プロトマレーは海洋事情に精通し、かつ農業技術を持った船乗りであると信じられている。彼らは広大な海洋を島から島へ長距離航海し、今日のニュージーランドマダガスカルまで至った。そして、彼らは2000年近くにわたり、案内役、船員、労働者としてインド人、ペルシャ人、中国人の貿易に従事した。長年にわたって、彼らは多くの土地に定住し、多くの文化、信仰を取り入れた。
  • 台湾説(1997年出版)- 中国南部からの集団の移住が6000年前にあり、一部が台湾に移動(今日の台湾先住民がその子孫)し、その後フィリピンボルネオ(およそ4500年前)(今日のダヤク族他)に至った。この集団はさらに分かれ、スラウェシジャワスマトラへ至った。彼らはオーストロネシア語族に属す言語を話す。マレー半島に至ったのは最後であり、およそ3000年前のことである。ボルネオからは一部集団が Campa(今日のベトナム中南部)に約4500年前に移住した。ドンソン文化の担い手やホアビンヒアン文化の担い手がベトナムやカンボジアから移住してきた痕跡も存在する。これらの集団はみな、台湾起源の遺伝子と言語を有しており、台湾(先住民)の集団は中国南部に起源をたどることができる[9]

第二波マレー人

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第二波マレー人は青銅器時代にプロトマレーに続いてやってきたオーストロネシア人である。彼らはより高度な農耕技術と冶金に関する新たな知識を携えていた[10][11][11][12]。第二波マレー人は、先住者とは異なり遊牧民ではなく、en:kampongに定住した。彼らの暮らしは普段は河川沿いや海岸沿いに適合したものであり、概して、自給自足を行っていた。 紀元前1世紀の終わりまでに、kampongsは外の世界との交易を開始した[13]。第二波マレー人は今日のマレー人の直接の祖先と考えられている[14]

遺伝子分析

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現代のマレー人の遺伝子研究は、マレー人が複雑な遺伝的混合を経ていることを示している。遺伝子分析からは、マレー人は遺伝的に多様であり、内部の集団間で相当な変異があることが明らかになった。変異は長期間にわたる地理的隔離と独立した混合によっておこった可能性が考えられる。研究からは、典型的な単一の遺伝子構成ではなく、4つの祖先(オーストロネシア人、プロトマレー、東アジア人、南アジア人)に由来する構成成分をもつことが示されている。

マレー人の遺伝子を構成する最も大きな成分はオーストロネシア系先住民とプロトマレー由来のものである[15]。オーストロネシア人の構成成分は台湾のアミ族アタヤル族の人々と関連があり、東南アジア人のオーストロネシア系成分の遺伝子分析からは「出台湾」説が支持される。一方でその成分の多くは土着のものであり、台湾由来のものはもっと少ないと主張する人もいる[16][17]。プロトマレーは雲南から移住してきたことが遺伝的に証明されており、それは4000-6000年前である[18]。南アジア人 インド人との混合は古代(インドネシア・マレー人の一部では2250年前と推定されている)と考えられる。一方で東アジア人(中国人)との混合は最近(100-200年前)と考えられるが、ジャワでは一部15世紀よりも前に起こったようである[18]。その他にも少数の構成成分として、ネグリト(マレー半島の先住民)や中央アジア人やヨーロッパ人があり、彼らとの混合は175-1,500年前に起こったと推定される[15]

マレー人内においても、マレー半島の南部と北部で遺伝的にクラスターが異なっている[19]

Y-DNA

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マレー人のY染色体ハプログループは、以下となっている[20]

サブグループ

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マレー人はインドネシアにおいて、他の民族集団に囲まれて居住している。マレー人はインドネシアにおいて最も広範囲に広がっている民族の一つで、この図では緑色をマレー人、その他マレー系民族集団を濃い緑または薄い緑で記している。この図からはマレー人がスマトラ島の東海岸とカリマンタン島の沿岸部に居住しているのが判る。
集団名 歴史上の地域 主な居住地域
バンカ・ブリトゥン・マレー
 バンカ・ブリトゥン州
バンコク・マレー[22][23]  ミンブリー区ノーンチョーク区 ラムルークカー郡英語版
ムアンパトゥムターニー郡 アユタヤ県
ブンクル・マレー
 ブンクル州
ブラウ・マレー英語版
 ブラウ県英語版
ブルネイ・マレー[24][25][26][27] ブルネイの旗 ブルネイ
ラブアンの旗 ラブアンサラワク州の旗 サラワク州サバ州の旗 サバ州
ブギス・マレー[28]

[29]
(マレー人に同化したブギス族

  • リンギ・スルタン国(1700年-1777年)
  • セランゴール・スルタン国(1745年-現代)
セランゴール州の旗 セランゴール州ジョホール州の旗 ジョホール州パハン州の旗 パハン州
 リアウ州 リアウ諸島州
ダイリ・マレー
  • アサハン・スルタン国(1630年-1946年)
  • ダイリ・スルタン国(1630年-現代)
  • ランガット・スルタン国(1568年-現代)
  • スルダン・スルタン国(1728年-1946年)
 北スマトラ州
ジャンビ・マレー
 ジャンビ州
ジャワ・マレー[28][29]
(マレー人に同化したジャワ人
ジョホール州の旗 ジョホール州セランゴール州の旗 セランゴール州
ペラ州の旗 ペラ州ケダ州の旗 ケダ州
ジョホール・マレー[25][26][27] ジョホール州の旗 ジョホール州
ケダ・マレー英語版[25][26][27][30] ケダ州の旗 ケダ州プルリス州の旗 プルリス州ペナン州の旗 ペナン州
ペラ州の旗 ペラ州 サトゥーン県 トラン県
 クラビー県 プーケット県 パンガー県
 ラノーン県 ナコーンシータンマラート県
 パッタルン県 ソンクラー県 ヤラー県
 タニンダーリ管区
クランタン・マレー英語版[25][26][27]
  • チ・トゥ王国英語版(1世紀-6世紀)
  • クランタン・スルタン国(1267年-現代)
  • ジェムバル・スルタン国(1638年-1720年)
クランタン州の旗 クランタン州
Loloan Malay ジュンブラナ県
マラッカ・マレー[25][26][27] ムラカ州の旗 ムラカ州
ミナンカバウ・マレー[28][29]
(マレー人に同化したミナンカバウ人
  • ヌグリ・スンビランの首長領(1773年-現代)
ヌグリ・スンビラン州の旗 ヌグリ・スンビラン州セランゴール州の旗 セランゴール州
パハン・マレー[25][26][27]
  • パハン・スルタン国(1470年-現代)
パハン州の旗 パハン州
パレンバン・マレー
南スマトラ州
パタニ・マレー[25][26][27]

 パッターニー県 ヤラー県、 ナラーティワート県
 ソンクラー県 クラビー県ケダ州の旗 ケダ州
クランタン州の旗 クランタン州

ペラ・マレー[25][26][27] ペラ州の旗 ペラ州
ポンティアナック・マレー
  • ダンジュンプラ王国(880年-1590年)
  • Matamスルタン国(1590年-1948年)
  • ポンティアナック・スルタン国(1771年-1950年)
  • サンバス・スルタン国(1675年-1944年)
 西カリマンタン州
リアウ・マレー
  • リアウ-リンガ・スルタン国(1824年-1911年)
  • ビンタン・スルタン国
  • シアク王国英語版(1725年-1949年)
  • プララワン・スルタン国(1791-1946年)
  • Kuntu Kamparスルタン国(1234年-1933年)
  • イドゥラギリ・スルタン国(1298年-1963年)
  • ロカン・スルタン国(1569年-1940年)
 リアウ州 リアウ諸島州 リマプルコタ県英語版
 パサマン県英語版
サラワク・マレー英語版
  • サラワク・スルタン国(1598年-1641年)
サラワク州の旗 サラワク州
シンガポール・マレー シンガポールの旗 シンガポール
スリランカ・マレー スリランカの旗 スリランカ
タミアン・マレー
  • Bukit Karang Kingdom(1023年-1330年)
  • ベヌア・タミアン・スルタン国(1330-1528年)
 アチェ・タミアン県英語版
トレンガヌ・マレー[25][26][27]
  • トレンガヌ・スルタン国(1708年-現代)
トレンガヌ州の旗 トレンガヌ州

脚注

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  1. ^ Economic Planning Unit (Malaysia) 2010
  2. ^ CIA World Factbook 2012
  3. ^ Badan Pusat Statistika Indonesia 2010
  4. ^ Figure obtained based on the percentage of Malays in 2000 census and the total Indonesian population in 2010 census
  5. ^ CIA World Factbook 2012
  6. ^ World Directory of Minorities and Indigenous Peoples 2005
  7. ^ CIA World Factbook 2012
  8. ^ Ryan 1976, pp. 4–5
  9. ^ Barnard 2004
  10. ^ Murdock 1969, p. 278
  11. ^ a b https://books.google.at/books?id=QKgraWbb7yoC&pg=PA495&lpg=PA495&dq=mongoloids+in+southeast+asia&source=bl&ots=3YrTNe9cT_&sig=di2zXCW-rWjgtPtsMGfHh7pAqto&hl=de&sa=X&ved=2ahUKEwiO77fspcTcAhUlIMAKHcDACaQQ6AEwDXoECAMQAQ#v=onepage&q=mongoloids%20in%20southeast%20asia&f=false
  12. ^ Karl Anderbeck, "Suku Batin - A Proto-Malay People? Evidence from Historical Linguistics", The Sixth International Symposium on Malay/Indonesian Linguistics, 3 - 5 August 2002, Bintan Island, Riau, Indonesia
  13. ^ Jamil Abu Bakar 2002, p. 39
  14. ^ TED 1999
  15. ^ a b Lian Deng, Boon-Peng Hoh, Dongsheng Lu, Woei-Yuh Saw, Rick Twee-Hee Ong, Anuradhani Kasturiratne, H. Janaka de Silva, Bin Alwi Zilfalil, Norihiro Kato, Ananda R. Wickremasinghe, Yik-Ying Teo & Shuhua Xu (3 September 2015). “Dissecting the genetic structure and admixture of four geographical Malay populations”. Science Reports 5: 14375. doi:10.1038/srep14375. PMC 585825. PMID 26395220. https://www.nature.com/articles/srep14375. 
  16. ^ Albert Min-Shan Ko, Chung-Yu Chen, Qiaomei Fu, Frederick Delfin, Mingkun Li, Hung-Lin Chiu, Mark Stoneking, and Ying-Chin Ko (6 March 2014). “Early Austronesians: into and out of Taiwan”. American Journal of Human Genetics 94 (3): 426–436. doi:10.1016/j.ajhg.2014.02.003. PMC 3951936. PMID 24607387. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3951936/. 
  17. ^ Pedro A. Soares, Jean A. Trejaut, Teresa Rito, Bruno Cavadas, Catherine Hill, Ken Khong Eng, Maru MorminaAndreia Brandão, Ross M. Fraser, Tse-Yi Wang, Jun-Hun Loo, Christopher Snell, Tsang-Ming Ko, António Amorim, Maria Pala, Vincent Macaulay, David Bulbeck, James F. Wilson, Leonor Gusmão, Luísa Pereira, Stephen Oppenheimer, Marie Lin, Martin B. Richard (2016). “Resolving the ancestry of Austronesian-speaking populations”. Human Genetics 135: 309–26. doi:10.1007/s00439-015-1620-z. PMC 4757630. PMID 26781090. https://link.springer.com/article/10.1007%2Fs00439-015-1620-z. 
  18. ^ a b Wan Isa Hatin, Ab Rajab Nur-Shafawati, Mohd-Khairi Zahri, Shuhua Xu, Li Jin, Soon-Guan Tan, Mohammed Rizman-Idid, Bin Alwi Zilfalil, The HUGO Pan-Asian SNP Consortium (5 April 2011). "Population Genetic Structure of Peninsular Malaysia Malay Sub-Ethnic Groups". PLOS ONE. 6 (4): e18312. doi:10.1371/journal.pone.0018312. PMC 3071720 Freely accessible. PMID 21483678.
  19. ^ Boon-Peng Hoh,corresponding author Lian Deng, Mat Jusoh Julia-Ashazila, Zakaria Zuraihan, Ma’amor Nur-Hasnah, Ab Rajab Nur‐Shafawati, Wan Isa Hatin, Ismail Endom, Bin Alwi Zilfalil, Yusoff Khalid, and Shuhua Xu (22 July 2015). “Fine-scale population structure of Malays in Peninsular Malaysia and Singapore and implications for association studies”. Hum Genomics 9: 16. doi:10.1186/s40246-015-0039-x. PMC 4509480. PMID 26194999. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4509480/. 
  20. ^ Li, Hui, et al. (2008). "Paternal genetic affinity between western Austronesians and Daic populations." BMC Evolutionary Biology 2008, 8:146. doi:10.1186/1471-2148-8-146
  21. ^ a b 崎谷満『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』(勉誠出版 2009年)
  22. ^ Umaiyah Haji Omar 2003
  23. ^ Umaiyah Haji Omar 2007
  24. ^ IBP USA 2007, pp. 151–152
  25. ^ a b c d e f g h i Colling 1973, p. 6804
  26. ^ a b c d e f g h i Mohd. Aris Hj. Othman 1983, pp. 1–26
  27. ^ a b c d e f g h i M. G. Husain 2007, pp. 16, 33, 34
  28. ^ a b c Gulrose Karim 1990, p. 74
  29. ^ a b c Joseph & Najmabadi 2006, p. 436
  30. ^ Majlis Kebudayaan Negeri Kedah 1986, pp. 19–69

関連項目

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