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ハムザ・ハス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハムザ・ハス
Hamzah Haz
生年月日 (1940-02-15) 1940年2月15日
出生地 オランダの旗 オランダ領東インドケタパン英語版
没年月日 (2024-07-24) 2024年7月24日(84歳没)
死没地 インドネシアの旗 インドネシア東ジャカルタ市
出身校 タンジュンプラ大学英語版
所属政党 開発統一党英語版
配偶者 アスマニア・ハス(2017年死去)
ティンティン・カルティニ(2021年死去)
ソラヤ・スミス
子女 ヌル・アグス・ハス
サイン

在任期間 2001年7月26日 - 2004年10月20日
大統領 メガワティ・スカルノプトゥリ

インドネシアの旗 インドネシア共和国
第10代国民福祉・貧困緩和担当調整大臣
在任期間 1999年10月29日 - 1999年11月26日
大統領 アブドゥルラフマン・ワヒド

インドネシアの旗 インドネシア共和国
第2代投資大臣
在任期間 1998年5月23日 - 1999年5月18日
大統領 ユスフ・ハビビ

開発統一党第4代総裁
在任期間 1998年12月2日 - 2007年2月1日
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ハムザ・ハスインドネシア語: Hamzah Haz, 1940年2月15日 - 2024年7月24日)は、インドネシア政治家。同国第9代副大統領、第10代国民福祉・貧困緩和担当調整大臣、第2代投資大臣、開発統一党英語版第4代総裁を務めた。

経歴

[編集]

1940年2月15日オランダ領東インドケタパン英語版にて誕生する。ハムザは、ボルネオ島の故郷ポンティアナックで新聞記者を務め、その後タンジュンプラ大学英語版で経済学を教えた。ハムザは、1968年から1971年までタンジュンプラ大学で講師を務めた[1]

1968年に、西カリマンタン州代表評議会議員となった後はジャカルタに移り、1971年にムスリムナフダトゥル・ウラマー党の一員としてジャカルタ選挙区を代表して国会議員となった。すべてのイスラム主義政党が一つに統合され、ナフダトゥル・ウラマーの政界離脱後、1973年にハムザは新しく結成された開発統一党英語版の党員となり、1989年から1998年まで開発統一党派の議長を務めた。ハムザは、26年間にわたって国民議会の議員を務め、インドネシア国会議員の中で最も長く在任した議員の一人となった。

ハムザは、スハルトの後任となったユスフ・ハビビ大統領の下で投資大臣を務めたが、その後辞任して1999年インドネシア議会選挙英語版で開発統一党を率い、再選された。11月30日に、アブドゥルラフマン・ワヒド大統領の内閣に入閣し、ワヒドの第一次内閣から最初に離脱し、わずか2か月で国民福祉・貧困緩和担当調整大臣を辞任した[2]。ワヒドは2001年7月23日に弾劾され、インドネシア第4代大統領の座を解かれ、後任には当時副大統領だったメガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリが就任した。

ハムザは、2001年の副大統領選でアクバル・タンジュン英語版と対戦し、340票対237票でアクバルに勝利した。2004年インドネシア大統領選挙英語版では、ハムザはアグム・グメラル英語版とともに大統領候補の一人となった。二人は、5人の候補者の中で最下位に終わり、総得票数のわずか3%しか獲得できなかった。

ハムザは、テロ組織であるジェマ・イスラミアの指導者アブ・バカル・バシルの友人であると報じられており、副大統領時代にハムザはバシルを公然と夕食に招き、アル=ムクミン・イスラム学校英語版にあるジハード主義のプサントレンを訪問している。

ハムザは2024年7月24日東ジャカルタ市マトラマンにあるテガラン・クリニックにて84歳で死去した[3]。息子の一人であるアグス・ハスは、死の前日の父親は身体的には健康で、死の前夜も父親と話していたことを明らかにしている。朝、ハムザの健康は突然悪化し、ドゥアー英語版の祈りを行おうとした時に、ハムザがその場しのぎの手すりとして使用していたワードローブの端から手が滑った後に転倒した。ハムザは、ボゴールのチサルアに建てられたモスク近くにある、私有の家族墓地に埋葬された[4]

脚注

[編集]
  1. ^ Hardiantoro, Alinda (2024年7月24日). “Meninggal Dunia, Ini Profil Wakil Presiden Ke-9 RI Hamzah Haz”. Kompas. 2024年8月12日閲覧。
  2. ^ [1] Archived 26 July 2008 at the Wayback Machine. Article titled "Profile: Hamzah Haz" at the BBC News Web site, 26 July 2001, accessed 6 April 2007
  3. ^ Mahendra, Rizky Adha. “Sosok Wapres Ke-9 Hamzah Haz di Mata Keluarga: Orang Tua yang Baik” (インドネシア語). detiknews. 26 July 2024時点のオリジナルよりアーカイブ2024年7月24日閲覧。
  4. ^ Rahayu, Lisye Sri. “Wapres Ke-9 Hamzah Haz Akan Dimakamkan di Bogor” (インドネシア語). detiknews. 24 July 2024時点のオリジナルよりアーカイブ24 July 2024閲覧。