マリー・フォン・シュヴァルツブルク=ルードルシュタット
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マリー・フォン・シュヴァルツブルク=ルードルシュタット Marie von Schwarzburg-Rudolstadt | |
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メクレンブルク=シュヴェリーン大公妃 | |
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在位 | 1868年7月4日 - 1883年4月15日 |
全名 | マリー・カロリーネ・アウグステ(Marie Karoline Auguste) |
出生 |
1850年1月29日 シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯国、ルードルシュタット |
死去 |
1922年4月22日(72歳没) オランダ、デン・ハーグ |
埋葬 | ドイツ国、メクレンブルク |
結婚 | 1868年7月4日 ルードルシュタット |
配偶者 | メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ2世 |
子女 |
エリーザベト・アレクサンドリーネ フリードリヒ・ヴィルヘルム アドルフ・フリードリヒ ハインリヒ |
家名 | シュヴァルツブルク家 |
父親 | アドルフ・フォン・シュヴァルツブルク=ルードルシュタット |
母親 | マティルデ・フォン・シェーンブルク=ヴァルデンブルク |
マリー・フォン・シュヴァルツブルク=ルードルシュタット(Marie von Schwarzburg-Rudolstadt, 1850年1月29日 - 1922年4月22日)は、ドイツのシュヴァルツブルク=ルードルシュタット家の侯女で、メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ2世の3番目の妻。
生涯
[編集]シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯子アドルフ(1801年 - 1875年)とその妻のシェーンブルク=ヴァルデンブルク侯女マティルデ(1826年 - 1914年)の間の第1子、長女として、当時のメクレンブルク=シュヴェリーンに生まれた[1]。弟は最後のシュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯ギュンター・ヴィクトルである。1868年7月4日にルードルシュタットにおいて、フリードリヒ・フランツ2世と結婚した。夫はすでに2人の妻と死別しており、マリーより27歳年上だった[1]。夫妻は3男1女の4人の子女をもうけた[2]。
1922年、末息子ハインリヒの46歳の誕生日を祝うためにオランダのデン・ハーグを訪れていた際に亡くなった。遺骸はノールデインデ宮殿からデン・ハーグHS駅に運ばれ、列車でメクレンブルクに送られた。
子女
[編集]- エリーザベト・アレクサンドリーネ・マティルデ・アウグステ(1869年 - 1955年) - 1896年、オルデンブルク大公フリードリヒ・アウグストと結婚
- フリードリヒ・ヴィルヘルム・アドルフ・ギュンター(1871年 - 1897年)
- アドルフ・フリードリヒ・アルブレヒト・ハインリヒ(1873年 - 1969年)
- ハインリヒ・ヴラディーミル・アルブレヒト・エルンスト(1876年 - 1934年) - 1901年、オランダ女王ウィルヘルミナの王配
脚注
[編集]- ^ a b McNaughton, Arnold (1973) (English). The Book of Kings: A Royal Genealogy. Quadrangle/New York Times Book Co. p. 416. ISBN 978-0812902808
- ^ McNaughton, Arnold (1973) (English). The Book of Kings: A Royal Genealogy. Quadrangle/New York Times Book Co. p. 417. ISBN 978-0812902808