マルコス・アントニオ・メネゼス・ゴドイ
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 |
マルコス・アントニオ・メネゼス・ゴドイ Marcos Antonio Menezes Godoi | |||||
ラテン文字 | Marcos / Lange | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1966年12月18日(57歳) | |||||
出身地 | ブラジル | |||||
身長 | 167cm[1] | |||||
体重 | 64kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW / MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
-1987 | サンパウロFC | |||||
1987-1991 | ヤンマーディーゼル | 74 | (20) | |||
1991-1992 | 松下電器/ガンバ大阪 | 8 | (1) | |||
通算 | 82 | (21) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マルコス・アントニオ・メネゼス・ゴドイ(Marcos Antonio Menezes Godoi、1966年12月18日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワードまたはミッドフィールダー(攻撃的MF)。ヤンマー時代の登録名は「マルコス」。松下やガンバ大阪時代の登録名は「ランジェ」。
来歴
[編集]ブラジルのサンパウロFCでフォワードとして契約したが出場機会には恵まれず[2]。1987年7月、日本サッカーリーグ (JSL) 1部のヤンマーディーゼル(現・セレッソ大阪)に移籍した[2]。『プラカール』誌によれば当初は2年間のレンタル移籍で、ヤンマー側はアマチュアであり交渉の際に金銭を用意できないため200万クルザード相当のトラクターを2台用意した[2]。
同年10月18日に行われたJSL1部第1節、本田技研戦でリーグ戦デビューを果たすと、この試合で初得点を記録した[3]。1987-88シーズンには5アシストを記録するなど左サイドからヤンマー攻撃陣を牽引[4]。9得点をあげたジョナスとともに、前期シーズンを3位で折り返す原動力となった[4]。
加入3年目の1989-90シーズンのリーグ戦では、第8節の日産自動車戦で2アシストを記録し勝利に貢献(3-0でヤンマーの勝利)[5]するなど好調さを維持し、専門誌から日産のレナトとともに前期リーグの外人MVPと評価された[6]。
1990年7月には同僚の伊藤裕二や梶野智幸とともにJSL選抜に選ばれ、JALカップのFCバルセロナ戦に出場[5]。1990-91シーズンのリーグ戦ではチーム最多の5得点をあげるも、シーズン前に浮沈のカギを握るとみられていたベテランの草木克洋が2得点、2年目のマウロが無得点に終わるなど結果を残せず[1]。リーグ11位となり2部降格が決定すると、1991-92シーズンからはJSL1部の松下電器へ移籍した[1]。
1992年、松下がプロ化によりガンバ大阪へ移行した後もチームに在籍し、Jリーグカップでは同年9月5日に行われた第1節の横浜マリノス戦[7]を含む全9試合に出場するも同年限りで退団した[8]。
個人成績
[編集]日本国内成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1987-88 | ヤンマー | 23 | JSL1部 | 19 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | 20 | 4 |
1988-89 | 16 | 5 | 4 | 1 | 0 | 0 | 20 | 6 | |||
1989-90 | 21 | 6 | 2 | 0 | 3 | 1 | 26 | 7 | |||
1990-91 | 10 | 18 | 5 | 0 | 0 | ||||||
1991-92 | 松下 | 18 | 8 | 1 | 0 | 0 | |||||
1992 | G大阪 | - | J | - | 9 | 0 | |||||
通算 | 日本 | J | - | 9 | 0 | ||||||
日本 | JSL1部 | 82 | 21 | ||||||||
総通算 | 82 | 21 |
現在は、日本国内成績のみ。
その他の公式戦
- 1990年
- コニカカップ 6試合1得点
選抜歴
[編集]- JSL選抜
- 通算2試合0得点(JALカップサッカー90・FCバルセロナ戦[5])
脚注
[編集]- ^ a b c d 日本サッカーリーグ 編『日本サッカーリーグ・Year book '91-'92』日本サッカーリーグ、1991年、39-41,121頁。
- ^ a b c “UMA TROCA DIFERENTE”. Placar Magazine (1987年7月13日). 2021年10月16日閲覧。
- ^ 「Result JSL1部」『サッカーマガジン』1988年1月号、ベースボール・マガジン社、222頁。
- ^ a b 「日本サッカーリーグ全史」編集委員会 編『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年、166-167頁。
- ^ a b c 日本サッカーリーグ 編『日本サッカーリーグ・イヤーブック '90→'91』日本サッカーリーグ、1990年、101,159頁。
- ^ 「Result JSL1部」『サッカーマガジン』1990年2月号、ベースボール・マガジン社、21頁。
- ^ “公式記録 ’92Jリーグ ヤマザキナビスコカップ 第1節第1日”. J.League Data Site. 2021年10月16日閲覧。
- ^ “ランジェ”. J.League Data Site. 2021年10月16日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- マルコス・アントニオ・メネゼス・ゴドイ - Transfermarkt.comによる選手データ
- マルコス・アントニオ・メネゼス・ゴドイ - J.League Data Siteによる選手データ