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マルサン百貨店

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社小野武商店[3][4]

株式会社マルサン百貨店[4][3][5]
本社所在地 日本の旗 日本
岩手県水沢市(現・奥州市)東町40[4]

岩手県水沢市寺小路2[6]
設立 1952年昭和27年)2月27日[6]
業種 小売業
事業内容 百貨店[4][3]
代表者 小野武三郎(社長)[4][3]
資本金 190万円[3]

300万円[4]

800万円[4]

2400万円[4]

4000万円[4][3]
売上高 約27億円(1979年(昭和54年))[7]
従業員数 95[4]

142[3]

158[8]
決算期 2月[4]
主要株主 小野武三郎11%[5]
小野佐造6.4%[5]
小野進4.3%[5]
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(初代)マルサン百貨店[8]
店舗概要
所在地 岩手県水沢市東町40[4]
開業日 1952年(昭和27年)12月[8][9]
敷地面積 1,155 m²[10]
延床面積 1,320 m²[10] 
商業施設面積 1,046 m²[4]
前身 水沢警察署[9]
後身 水沢グランドホテル[7]
最寄駅 水沢駅[9]
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(2代目)マルサン百貨店[8]
店舗概要
所在地 岩手県水沢市字寺小路2[3][8][8][11]
開業日 1963年(昭和38年)11月[8][12]
閉業日 1987年(昭和62年)3月[14]
敷地面積 657 m²[3]
延床面積 5,443 m²[15] 
商業施設面積 3,581 m²[15]
営業時間 9:30 - 17:50[11]
前身 岩手県南バス[12][注 1]
最寄駅 水沢駅[16]
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マルサン百貨店(まるさんひゃっかてん)は、岩手県水沢市(現在の奥州市)にあった日本の百貨店である[4]

歴史・概要

[編集]

岩手県水沢市出身の小野武三郎[注 2]東京横山町の大島屋に10年務めたのち[4]1930年(昭和5年)に岩手県胆沢郡水沢町(のち水沢市、現・奥州市)東町40で[3]呉服商「小野武商店」を開いたのが始まりである[4]

1935年(昭和10年)前後から荒物・雑貨・化粧品などに徐々と取り扱いを拡げた[3]

第2次世界大戦中は創業者の小野武三郎は統制会社の理事も兼務していた[3]

1949年(昭和24年)春に石淵ダムの造成工事を担当していた西松建設の依頼で胆沢郡若柳村尿前に売店を開設して、約3,000人の工事関係者を相手に営業して大きな利益を上げ、百貨店開設資金を得たとされている[18]

1952年(昭和27年)2月27日[6]資本金195万円で「株式会社小野武商店」を設立して法人化し[3]、同年5月に食堂部を増設し[4]、同年12月に水沢警察署跡地に[12]マルサン百貨店」として小売部門を開店した[8]

1956年(昭和31年)3月に月賦販売を開始した[10]

1961年(昭和36年)8月に「株式会社マルサン百貨店」へ商号変更し[4][3]岩手県南バスから水沢市寺小路の土地を譲受した[8]

水沢市寺小路の[3]岩手県南バス跡地に[12]1963年(昭和38年)11月に鉄筋コンクリート造地下1階・地上4階建て塔屋1階・延べ床面積4,008m2の新店舗を建設して新装開店し[8]、大幅な増床により当時の水沢市で唯一の本格的な百貨店となって近隣の農村からも買い物客を集めた[3]。 この店舗は開業当時、岩手県南部では唯一のエレベーターのある百貨店で、岩手県では川徳に次いで2番目のものであった[7]

1965年(昭和40年)4月に第1次増改築が完成して売場面積を277m2した[8]

1968年(昭和43年)12月1日日本百貨店協会へ入会した[19]

1969年(昭和44年)6月に第2次増改築工事で全フロアを増床して、エレベーターなどの設備増強も行って新装開店した[8]

最盛期となった1979年(昭和54年)には売上高約27億円を上げたが[7]1980年(昭和55年)6月に三春屋が「ヤマニ三春屋」を開業し[20]、その影響で売上が伸び悩むようになった[7]

1985年(昭和60年)11月13日ショッピングシティメイプルが開業した際には[16]、当店は店舗近隣の土地取得が困難だったため[16]エンドーチェーンと資本提携して水沢駅東側の佐倉河に[7]売り場面積約1万m2[16]郊外型店舗を開設して対抗しようとした[7]。 しかし、駅前通りを商業振興の中心地と位置付ける商調協で売場面積を約3,000m2まで削減されてしまい[16]、計画を断念せざるを得なかった[18]。 その為、売場面積3,581m2の当店は、増床して売場面積を約8,100m2とした「ヤマニ三春屋」や売場面積12,865m2のショッピングシティメイプルを大きく下回ることになった[16]

それに加えて、1980年(昭和55年)から続いた冷害による当地の消費低迷の影響もあり、1985年(昭和60年)には売上高が2億円を割り込むことになった[7]

そこで、1986年(昭和61年)に赤字に転落したため、従業員の削減や食品部門の撤退などの再建策を進めたものの[7]1987年(昭和62年)3月に閉店となった[14]

年表

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  • 1930年(昭和5年) - 岩手県胆沢郡水沢町東町40で[3]呉服商「小野武商店」を創業[4]
  • 1935年(昭和10年)前後 - 荒物・雑貨・化粧品などに取り扱いを拡大[3]
  • 1949年(昭和24年)春 - 石渕ダムの造成工事を担当していた西松建設の依頼で胆沢郡若柳村尿前に売店を開設[18]
  • 1952年(昭和27年)
    • 2月27日[6] - 資本金195万円で「株式会社小野武商店」を設立して法人化[3]
    • 5月 - 食堂部を増設[4]
    • 12月 - 水沢警察署跡地に[12]小売部門として「マルサン百貨店」を開店[8]
  • 1953年(昭和28年)6月 - 資本金を300万円に増資[4]
  • 1956年(昭和31年)3月 - 月賦販売を開始[10]
  • 1957年(昭和32年)3月 - 資本金を800万円に増資[4]
  • 1961年(昭和36年)8月 - 「株式会社マルサン百貨店」へ商号変更し[4][3]、岩手県南バスから水沢市寺小路の土地を譲受[8]
  • 1962年(昭和37年)1月 - 資本金を2400万円に増資[4]
  • 1963年(昭和38年)
    • 5月 - 資本金を4000万円に増資[4]
    • 11月[8] - 水沢市寺小路に[3]鉄筋コンクリート造地下1階・地上4階建て塔屋1階・延べ床面積4,008m2の新店舗を建設して新装開店[8]
  • 1968年(昭和43年)12月1日 - 日本百貨店協会へ入会[19]
  • 1969年(昭和44年)6月 - 第2次増改築工事で全フロアを増床し、エレベーターなどの設備増強も行って新装開店[8]
  • 1979年(昭和54年) - 売上高約27億円を上げる[7]
  • 1985年(昭和60年) - 売上高が2億円を割り込む[7]
  • 1986年(昭和61年) - 赤字に転落し、食品部門から撤退[7]
  • 1987年(昭和62年)3月 - 閉店[14]

関連項目

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脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ 1962年(昭和37年)8月に岩手県南バスは水沢市片子沢に移転した[13]
  2. ^ 水沢商工会議所副会頭や[17]南岩手ナショナル製品販売株式会社社長も務めた[1]

出典

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  1. ^ a b 『日本繊維商社銘鑑 1970年版』 東京信用交換所、1969年10月1日。pp1666
  2. ^ 『日本繊維商社銘鑑 1970年版』 東京信用交換所、1969年10月1日。pp1665
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『全国繊維企業要覧 昭和43年版』 信用交換所大阪本社、1967年9月15日。pp1984
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 『日本繊維商社銘鑑 昭和39年版 下巻』 東京信用交換所、1964年。pp738
  5. ^ a b c d 『帝国銀行・会社要録 第45版』 帝国興信所、1964年。pp岩手県9
  6. ^ a b c d “マルサン百貨店,本金,東武宇都宮百貨店新加入”. 日本百貨店協会通報 740号 (日本百貨店協会) (1968年12月1日).pp6
  7. ^ a b c d e f g h i j k l 水沢市史編纂委員会編 『水沢市史 第五巻(近代2)』 水沢市史刊行会、1990年3月。 pp474
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “創立30周年特別企画 会員百貨店のあゆみから(その2)東北”. 日本百貨店協会通報 1000号 (日本百貨店協会) (1978年5月5日).pp62
  9. ^ a b c 水沢市史編纂委員会編 『水沢市史 第五巻(近代2)』 水沢市史刊行会、1990年3月。 pp436
  10. ^ a b c d 『全国百貨店専門店会商店会取引業者総覧 昭和32年版』 デパート新聞社、1957年3月15日。pp93
  11. ^ a b 『デパート・ニューズ調査年鑑 1969年度版』 デパート・ニューズ社、1969年6月15日。pp266-267
  12. ^ a b c d e 水沢市史編纂委員会編 『水沢市史 第五巻(近代2)』 水沢市史刊行会、1990年3月。 pp439
  13. ^ 水沢市史編纂委員会編 『水沢市史 第五巻(近代2)』 水沢市史刊行会、1990年3月。 pp438
  14. ^ a b c 水沢市史編纂委員会編 『水沢市史 第五巻(近代2)』 水沢市史刊行会、1990年3月。 pp442
  15. ^ a b 水沢市史編纂委員会編 『水沢市史 第五巻(近代2)』 水沢市史刊行会、1990年3月。 pp468-469
  16. ^ a b c d e f “岩手県南に吹き荒れる大型店旋風”. とうほく財界1986年1月号 (東日本出版) (1986年1月).pp38
  17. ^ 『河北年鑑 昭和59年版』 河北新報社、1983年11月1日。 pp583
  18. ^ a b c 水沢市史編纂委員会編 『水沢市史 第五巻(近代2)』 水沢市史刊行会、1990年3月。 pp475
  19. ^ a b 『日本百貨店協会統計年報 昭和43年度』 (日本百貨店協会) (1969年4月15日).pp9
  20. ^ 水沢市史編纂委員会編 『水沢市史 第五巻(近代2)』 水沢市史刊行会、1990年3月。 pp472-473