マーク・ゴジック
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Mark Godik | |||||
ロシア語 | Марк Годик | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ロシア | |||||
生年月日 | 1939年8月5日(85歳) | |||||
没年月日 | 2020年4月12日(80歳没) | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マーク・アレクサンドロヴィチ・ゴジック(ロシア語: Марк Александрович Годик[1]、1939年8月5日[2] - 2020年4月12日[要出典])は、ロシア出身の教育者、サッカー指導者。
来歴
[編集]1958年タシュケント鉄道輸送技術者研究所で学び、1961年ГЦОЛИФК(現体育スポーツ青少年観光ロシア国立大学)入学、1963年その大学院へ進む[3]。1969年から1974年までГДОИФК им. П. Ф. Лесгафта(現レズガフト記念体育文化スポーツ健康民族国立大学)で助教授であった[3]。
一方でソビエト連邦サッカー連盟(現ロシアサッカー連合)へスタッフ入りしソ連代表コーチを歴任し、その後はロシア代表コーチとして1994 FIFAワールドカップを経験する。この時に代表スタッフとしてパヴェル・サディリンやガジ・ガジエフと知り合う[4]。
また年度は不明だが2年間、UAEアル・アインFCアカデミー監督として着任し、UAEの全国大会少年部で優勝を飾っている[5]。
その後、ウクライナFCシャフタール・ドネツクのコーチとして活躍する[5]。2000年、シャフタール退団を決意していたところへサディリン監督に誘われPFC CSKAモスクワコーチに就任する[5]。
2002年、ガジエフのサンフレッチェ広島監督就任に伴い、コーチ(フィジオセラピスト)として来日する[2]。同年6月、ガジエフが退任したこと[6] を機に、コーチを退任した。
帰国後も研究者として活躍し、2007年からロシアサッカー連合科学方法論評議会の会長を務める[3]。
略歴
[編集]- 1958年 - 1961年 : タシュケント鉄道輸送技術者研究所
- 1961年 - 1965年 : 体育スポーツ青少年観光ロシア国立大学)
- 1969年 - 1974年 : レズガフト記念体育文化スポーツ健康民族国立大学助教授
- ????年 - 1991年 : サッカーソビエト連邦代表コーチ
- 1991年 - ?年 : サッカーロシア代表コーチ
- ?年 - ?年 : アル・アインFCサッカースクール監督
- 1998年 - 2000年 : FCシャフタール・ドネツクコーチ
- 2000年 - 2001年 : PFC CSKAモスクワコーチ
- 2002年 : サンフレッチェ広島F.Cコーチ
- 2007年 - 現在 : ロシアサッカー連合科学方法論評議会会長
脚注
[編集]- ^ ロシア語ラテン翻字: Mark Aleksandrovich Godik
- ^ a b “ゴジック”. サンフレッチェ広島公式. 2002年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月6日閲覧。
- ^ a b c d レズガフト記念体育文化スポーツ健康民族国立大学、2013年7月6日。
- ^ “ЧМ. Отборочный турнир. Ответный стыковой матч. ИТАЛИЯ - РОССИЯ”. sport-express.ru (1997年11月13日). 2013年7月6日閲覧。
- ^ a b c “Марк ГОДИК: ТРЕНЕР, КОТОРЫЙ ВРЕМЕННО ВОЗГЛАВИТ ЦСКА”. sport-express.ru (2000年11月15日). 2013年7月6日閲覧。
- ^ “ガジエフ監督、退団へ”. 中国新聞 (2002年7月17日). 2002年8月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月6日閲覧。
参考資料
[編集]- Годик Марк Александрович - レズガフト記念体育文化スポーツ健康民族国立大学
- 02.2.10 - ウェイバックマシン(2007年2月14日アーカイブ分) - Sanfrecce Diary