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マートバル・シンハ・タパ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マートバル・シンハ・タパ

マートバル・シンハ・タパ英語: Mathabar Singh Thapaネパール語: माथवरसिंह थापा1798年 - 1845年5月17日)は、ネパールの政治家。同国首相1843年11月28日から1845年5月17日まで務めた。

生涯

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マートバル・シンハ・タパ

1843年ファッテ・ジャンガ・シャハに代わる形で首相となる。

だが、マートバル・シンハは王太子スレンドラを擁し、ラジェンドラ王に退位を勧めたため、王と第二正妃ラージャ・ラクシュミー・デビーを敵に回した[1]

そのため、1845年にマートバル・シンハはガガン・シンハ・カワース、ジャンガ・バハドゥル・クンワルらによって殺害された[2]。のち、ファッテ・ジャンガが首相に再任された。

脚注

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  1. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.535
  2. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.537

参考文献

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  • 佐伯和彦『ネパール全史』明石書店、2003年。 

関連項目

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