ミニコンピュータ
ミニコンピュータ (mini computer) は、コンピュータの種類の一つである。「ミニコン」とも略称した。
概要
[編集]コンピュータの黎明時代を過ぎた1960年代に、コンピュータはメインフレームを指した。メインフレームは運用に大規模な設備を必要とする大型コンピュータだが、研究室や設計室などの環境で使用できる小型のコンピュータをミニコンピュータ (ミニコン) と称した。
小型ミニコン本体で家庭用冷蔵庫の半分程度、大型ミニコン本体で家庭用冷蔵庫よりも大きいものもある。磁気テープ装置、拡張ハードディスク、各種入出力装置などを加えると、より大規模になる。
1960年代に登場したディジタル・イクイップメント社 (DEC) のPDPシリーズ[注釈 1]がミニコンピュータ (ミニコン) の先駆けとなり、PDP-8やPDP-11はミニコンの代表的機種となった。
当初は、主に科学技術計算などの専門分野での演算業務や、工場などの各種機器や通信の制御を行うために利用された。次第に高性能化・高機能化が進み、メインフレームから置き換えが可能となりダウンサイジングに影響した。ミニコンの多くは仕様を公開し、UNIXなどのサードパーティによるシステムソフトウェアの拡充と普及など、オープンシステム化にも影響した。
1970年代後半に登場した、32ビットアーキテクチャの高性能・高機能なミニコンは「スーパーミニコンピュータ(スーパーミニコン)」と呼ばれた。
ミニコンピュータは欧米では単に "mini" とも呼ばれた。最も大型なメインフレームから、最も小型なマイクロコンピュータまで、様々なマルチユーザーコンピュータがある中で、ちょうど中間に位置するものを指した。現在は、"mini"に代わりミッドレンジシステム[注釈 2]、ワークステーション、サーバと称する。
日本ではオフィスコンピュータ市場が発達した。サイズなどの意味ではミニコンピュータと同じだが、歴史的経緯から「ミニコンピュータ」と「オフィスコンピュータ」は別の製品カテゴリとされた。
歴史
[編集]1960年代:起源 - 1970年代:市場の拡大
[編集]トランジスタ技術と磁気コアメモリ技術の使用によって可能になった「小さな」第3世代コンピュータを定義するために、「ミニコンピュータ」という用語が1960年代に登場し発展してきた。この用語は同時期のミニスカートや小型自動車(ミニカー)などと共に欧米で流行した。その形状は1つから数個の大型冷蔵庫程度のキャビネットで構成されている。一方、当時のメインフレームは部屋全体を占めるほどのサイズであった。最初に商業的に成功を収めたミニコンピュータはDEC社の12ビットのPDP-8であり、1964年に16,000ドルで発売された。
1960年代終盤は、ミニコンピュータに7400シリーズなどの標準ロジックICが使われた。ALUは74181が使われた。74181は4ビットで、「ビットスライス」アーキテクチャが当時の主流であった。他にも7400シリーズはデータセレクタ、マルチプレクサ、3状態バッファ、メモリなどがあり、CPUプロセッサはこれらを組み合わせて構成されており、肉眼でそのシステムのアーキテクチャを知ることができた。メーカの保証から外れるが技術力のあるユーザなら配線をカットし電線をハンダ付けして「CPUにパッチを当てる」こともできた。1980年代はミニコンピュータにVLSIが使われ、ハードウェア構造は徐々に分かりにくくなった。
1970年代から1980年代にかけてパーソナルコンピュータが発展すると、ミニコンピュータは低能力のマイクロコンピュータと高容量のメインフレームの間の領域を占めた。当時のパーソナルコンピュータはシングルユーザー向けの比較的単純なマシンで、CP/MやMS-DOSなど単純なオペレーティングシステムを搭載した。ミニコンピュータは高度なマルチユーザー・マルチタスクのオペレーティングシステム(VMSやUNIX)を用いた。初期のミニコンピュータは16ビットマシンであったが、高性能な32ビットマシンが登場すると「スーパーミニコンピュータ(スーパーミニコン)」と呼ばれた。
1980年代後半から1990年代:ミニコンからパソコンへ
[編集]安価なマイクロプロセッサベースのハードウェアの登場と、安価で容易に展開可能なLANシステムが登場し、ミニコンピュータは凋落した。エンドユーザーは柔軟性のないミニコンピュータ業者や「データセンター」などのIT部門へ依存を嫌い、ミニコンピュータとダム端末は、1980年代後半にワークステーションとPC/AT互換機をネットワーク接続したシステムに置換された。
1990年代は、広く普及したx86、特に32ビット化したi386以降のプロセッサで動作する様々なUNIX系オペレーティングシステムが開発され、ミニコンピュータからPCネットワークへの変化は決定的となり、ワークステーションもPCにおきかわりつつあった。Microsoft Windowsもサーバ向けに進化して、Windows NTでは基本的なマルチタスク機能などサーバに必要とされる機能が備えた。
マイクロプロセッサがより強力になると、メインフレームもCPUとしてマイクロプロセッサ[注釈 3]を採用し、メインフレームとミニコンピュータの区別も無意味になった。
DECはIBMに次ぐ2位の地位にいたこともある主要なミニコンピュータ製造業者であったが、UNIXサーバやPCにミニコンピュータ市場が侵食されると、DECなど多数のミニコンピュータ業者が苦境に陥り。DECは1998年にコンパックに買収された。
コンピュータ業界に与えた影響
[編集]パーソナルコンピュータやサーバのCPUやオペレーティングシステムは、物理的にもアーキテクチャ上もミニコンピュータの特徴を受け継いでいる。
ソフトウェアも、初期のパソコン用OSであるCP/Mは、DECのPDP-11のOS(RSTS/Eなど)をマイクロプロセッサ向けに実装し、MS-DOSも受け継いでいる。Windows NTの設計チームはDECでVAX用のVMSを設計していた人物(デヴィッド・カトラー)に率いられている。
こんにち広く使われているLinuxは、間接的にだがUNIXの影響の下にある。UNIXはミニコンピューターと共に育ったシステムである。
主なミニコンピュータ
[編集]- CDC 160A (CDC) - CDC 1604 のI/Oプロセッサとして使われた12ビットマシン
- PDP、VAXシリーズ (DEC)
- Nova、Eclipse (データゼネラル|DG)
- HP 2100/HP3000シリーズ (ヒューレット・パッカード|HP)
- SPC-16シリーズ (ジェネラル・オートメーション|GA)
- TI-9X0シリーズ (テキサス・インスツルメンツ|TI)
- V-xxシリーズ (バリアン|Varian Data Machines)
- Level 6/DPS 6/DPS 6000シリーズ (ハネウェル-ブル)
- System/3, System/34, System/36, System/38, AS/400 (IBM)
- Series/1 (IBM)
日本のミニコンピュータ
[編集]日本のメーカーにより製造された主なミニコンピュータ
- FACOM-230シリーズ, Aシリーズ (富士通)
- HITAC-10/20シリーズ (日立製作所)
- NEAC 3200シリーズ、MSシリーズ (日本電気)
- TOSBACシリーズ (東芝)
- MELCOMシリーズ (三菱電機)
- OKITACシリーズ (沖電気)
- MACC-7 (松下通信工業。後のパナソニック モバイルコミュニケーションズ)[1]
「…AC」、「…COM」と付く名前が多いが、「AC」は「Automatic Computer」、「COM」は「COMputer」に由来している。メインフレームの名前を引き継いだものも多い。
日本のミニコンピュータは、事務処理用として大型機や小型機が提供され、大型制御用は米英国と提携してライセンス生産などを行なっていた。しかし匹敵する小型の制御用は無く、米国製を輸入して利用されていたPDP-8を、各社とも寸法や必要機能を参考に作っていった。技術的には大きな困難はなくその後の工場プラント等の自動化に広く貢献した。その後マイクロコンピュータへと世界的に移って行った。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “MACC-7-コンピュータ博物館”. 情報処理学会. コンピュータ博物館. 情報処理学会. 2021年8月16日閲覧。 “"日本のコンピュータ ミニコンピュータ"”