ミハウ・イェジー・ポニャトフスキ
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ミハウ・イェジー・ポニャトフスキ | |
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グニェズノ大司教、ポーランド首座大司教 | |
大主教区 | グニェズノ |
着座 | 1784年 |
離任 | 1794年 |
個人情報 | |
出生 |
1736年10月10日 ポーランド・リトアニア共和国、グダンスク |
死去 |
1794年8月12日 ポーランド・リトアニア共和国、ワルシャワ |
両親 |
父:スタニスワフ・ポニャトフスキ 母:コンスタンツィア・チャルトリスカ |
子供 | ピョトル・マレシェフスキ |
紋章 |
ミハウ・イェジー・ポニャトフスキ(ポーランド語:Michał Jerzy Poniatowskiミーハウ・イェージ・ポニャトーフスキ、1736年10月10日 - 1794年8月12日)は、ポーランドの貴族(シュラフタ)。ポニャトフスキ家出身で、1773年からプウォツク司教、1784年からグニェズノ大司教及びポーランド首座大司教を務めた。
概要
[編集]1736年、ポーランドのグダニスクで生まれた。父はスタニスワフ・ポニャトフスキで、ポーランド最後の国王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキは兄にあたる。ポーランド国民教育委員会の議長として、卓越した働きをした。1764年11月25日、ポーランド王国白鷲勲爵士を授与。1794年、ワルシャワで死去した。