コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ミラクルユートピア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミラクルユートピア
ミラクルユートピア(撮影時期不明)
欧字表記 Miracle Utopia[1]
品種 サラブレッド[2]
性別 [2][3]
毛色 栗毛[2]
生誕 1931年5月11日[2]
死没 (不明)
クラツクマンナン[2]
エミール[2]
母の父 Maori King[2]
生国 日本の旗 日本北海道室蘭市[2]
生産者 ユートピア牧場[2]
馬主 小林国威[2]
調教師 中村一雄(東京)[2][3]
競走成績
生涯成績 3戦3勝[2]
獲得賞金 10,000円[4]
テンプレートを表示

ミラクルユートピア(欧字名:Miracle Utopia、1931年5月11日生)は日本の競走馬、種牡馬。

4歳春に帝室御賞典を制し、東京優駿大競走(日本ダービー)の本命馬と目されたものの、競走直前の調教中に故障、3戦3勝で引退した。半姉に1933年東京優駿大競走でカブトヤマの2着であったメリーユートピア(父クイツケロ)がいる[5]。中村一雄厩舎に預託され、中村が調教を行い、全3戦にみずから騎乗した。

経歴

[編集]

デビュー前

[編集]

1931年5月11日、室蘭市のユートピア牧場で誕生する[2]

父クラツクマンナン(Clackmannan)は、日本の馬匹改良のため、帝国競馬協会が政府の購買官に嘱託して購入した英国馬である[6][7]。本馬は、日本に輸入後、政府に寄贈され、日高種馬牧場に繋養された[6]。クラツクマンナンの母は、イギリス牝馬クラシック三冠を達成した名牝、プリティーポリーPretty Polly)であった[8]。クラツクマンナンは日本において種牡馬として成功を収め、1933年には、父系別の獲得賞金総額で第一位となっている[9]。母エミール(Emile)は、1929年3月に、馬主の小林国威がオーストラリアから輸入した牝馬であった[2]

ミラクルユートピアは、1933年秋に東京競馬場の中村一雄騎手兼調教師に預託された[2]

競走馬時代

[編集]

1934年1月6日に阪神競馬場 (鳴尾)でデビューすると、新呼馬戦[10]、新呼馬優勝戦[11]をともにレコードで圧勝し[12]、優駿の候補馬と評判になった[13][14]。その後、同年4月の帝室御賞典(東京競馬倶楽部)に出走[12]。5頭立ての競走となったが[15]、前年東京優駿大競走を制してダービー馬となったカブトヤマと、後の東京優駿大競走2着馬のテーモアを破ってレコード勝ちを収めた[12]

そして、迎えた東京優駿大競走は、ミラクルユートピアや、駿足のフレーモア、テーモアが出走するとあって、出走馬は少なく11頭立てで争われる予定であった[16][17]。最大の人気を背負い[18]、「ダービーの優勝はまず不動[16]」と見られていたミラクルユートピアであったが、競走当日にアクシデントが発生する。この日の早朝、ミラクルユートピアは、競走前の最終調整として、内馬場のダートコースを軽めに走る調教を行っていたが、第4コーナーで前に少し躓き左前肢を脱臼[19]、骨折[注 1][2]してしまった[20][21]。この「世界のダービー史上でもかつてない不幸な出来ごと[16]」により、ミラクルユートピアは東京優駿大競走を出走取消となったばかりか、競走生命まで絶たれてしまい、そのまま引退となった[17]。本馬が不出場となった競走は、1着から3着までを尾形景造調教師の管理馬が独占する結果となり、優勝馬はフレーモアであった[16]

種牡馬時代

[編集]

引退後は、室蘭市のユートピア牧場で種牡馬入り[2]。1938年には千葉県鎌ケ谷村に移り[2]、1944年まで供用された[22]。主要競走を勝った産駒として、フアンタスト(1943年横濱記念秋)[23]、ミツカゼ(1948年目黒記念春)[24]がいる。また、母父としてキヨフジ(母リガーユートピア、1951年優秀牝馬)を出した[25]。自身の出場できなかった日本ダービーにも、ダイユートピア(1940年23着)、アヤニシキ(1947年1番人気4着)、タカフブキ(1948年7着)等5頭の産駒を送り出したが、勝利馬は出なかった[16]

その他産駒として、マイユートピア、ミラユートピアがいるが、これらは、それぞれミラクルユートピアの母であるエミール、半姉のメリーユートピアとの仔である[注 2][26][27]

競走成績

[編集]

以下の内容は、『競馬成績書 昭和9年 春季』[10][11][15]及び『日本ダービー25年史』[28]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場) 頭数 人気 着順 タイム 着差 騎手 斤量
[kg]
勝ち馬/(2着馬)
1934. 1. 06 鳴尾 新呼 芝1800m(良) 9 1人 1着 R1:54.0/5 7馬身 中村一雄 55 (セントパーク)
1. 14 鳴尾 優勝 芝2000m(良) 6 1人 1着 R2:06.0/5 9馬身 中村一雄 55 (グロリア)
4. 15 東京 帝室御賞典 芝2000m(良) 5 1人 1着 R2:07.2/5 1/2馬身 中村一雄 57 (テーモア)
4. 22 東京 東京優駿 芝2400m(不) 10 - 取消 - - - - フレーモア
  • タイム欄のRはレコード勝ちを示す

種牡馬成績

[編集]

主要競走優勝産駒

[編集]
  • フアンタスト(1943年横濱記念秋)[24]
  • ミツカゼ(1948年目黒記念春)[23]

母の父としての産駒

[編集]
  • キヨフジ(1951年優駿牝馬)[25]

血統表

[編集]
ミラクルユートピア血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 セントサイモン系
[§ 2]

*クラツクマンナン
Clackmannan
1919 鹿毛
父の父
Lomond
1909 鹿毛
Desmond St.Simon
L'Abbesse de Jouarre
Lowland Aggie Alloway
Agnes Sarum
父の母
Pretty Polly
1901 栗毛
Gallinule Isonomy
Moorhen
Admiration Saraband
Gaze

*エミール
Emile
1925 青毛
Maori King
1906 黒鹿毛
Merriwee Bill of Portland
Etra Weenie
Indian Queen Stepniak
Ranee Nuna
母の母
Enileme
1909 鹿毛
Gauleon Gozo
Industry
Emeline Osculator
Emeline
母系(F-No.) (FN:C1) [§ 3]
5代内の近親交配 St. Simon S4 x М5、Nellie, Emily M5 x M5 [§ 4]
出典
  1. ^ 『サラブレッド系種牡馬名簿』第1巻[2]、『サラブレッド血統書』第1巻[26]netkeiba.com[29]
  2. ^ netkeiba.com[29]
  3. ^ netkeiba.com[29]
  4. ^ netkeiba.com[29]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『サラブレッド系種牡馬名簿』第1巻によれば、左前肢第二指骨骨折[2]
  2. ^ マイユートピアについて、『サラブレッド系種牡馬名簿』第1巻には「本馬ハ父ミラクルユートピアナルヲ以テ弟馬ニシテ且産駒ナリ」と記されている[2]

出典

[編集]
  1. ^ 馬匹血統登録書』 第拾參卷、日本競馬会、1938年、220頁。doi:10.11501/1869367https://dl.ndl.go.jp/pid/1869367/1/1402023年11月22日閲覧 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u サラブレッド系種牡馬名簿』 第1巻、日本競馬会、1941年、131-132頁。doi:10.11501/1067255https://dl.ndl.go.jp/pid/1067255/1/722023年11月22日閲覧 
  3. ^ a b 藤田太『科学的に見た競馬新戦術』曉山閣出版部、1934年、181頁。doi:10.11501/1232767https://dl.ndl.go.jp/pid/1232767/1/1062023年11月22日閲覧 
  4. ^ 競馬成績書 昭和9年 春季』帝国競馬協会、1934年、173頁。doi:10.11501/1035021https://dl.ndl.go.jp/pid/1035021/1/922023年11月22日閲覧 
  5. ^ 『Gallop 臨時増刊 日本ダービー70年史』産業経済新聞社、2004年、22-23頁。 
  6. ^ a b クラツクマンナン號」『審驥輯』 第1輯、審驥社、1932年。doi:10.11501/1014844https://dl.ndl.go.jp/pid/1014844/1/112023年11月22日閲覧 
  7. ^ 社団法人帝国競馬協会事業概要』帝国競馬協会、1931年、20-21頁。doi:10.11501/1094409https://dl.ndl.go.jp/pid/1094409/1/252023年11月22日閲覧 
  8. ^ 護蹄』 第7巻第9号、蹄学研究会、1926年、44-45頁。doi:10.11501/918656https://dl.ndl.go.jp/pid/918656/1/292023年11月22日閲覧 
  9. ^ 畜産学年報』 第1輯、日本畜産学会、1934年、277頁。doi:10.11501/1134025https://dl.ndl.go.jp/pid/1134025/1/1532023年11月23日閲覧 
  10. ^ a b 競馬成績書 昭和9年 春季』帝国競馬協会、1934年、3頁。doi:10.11501/1035021https://dl.ndl.go.jp/pid/1035021/1/72023年11月22日閲覧 
  11. ^ a b 競馬成績書 昭和9年 春季』帝国競馬協会、1934年、13頁。doi:10.11501/1035021https://dl.ndl.go.jp/pid/1035021/1/122023年11月22日閲覧 
  12. ^ a b c 尾形藤吉『競馬ひとすじ : 私と馬の六十年史』徳間書店、1967年、155頁。doi:10.11501/2514623https://dl.ndl.go.jp/pid/2514623/1/812023年11月22日閲覧 
  13. ^ 藤田太『科学的に見た競馬新戦術』曉山閣出版部、1934年、182-183頁。doi:10.11501/1232767https://dl.ndl.go.jp/pid/1232767/1/1072023年11月22日閲覧 
  14. ^ 堀田至広『競馬及競馬法史』帝国競馬協会、1936年、12頁。doi:10.11501/1228629https://dl.ndl.go.jp/pid/1228629/1/172023年11月22日閲覧 
  15. ^ a b 競馬成績書 昭和9年 春季』帝国競馬協会、1934年、55頁。doi:10.11501/1035021https://dl.ndl.go.jp/pid/1035021/1/332023年11月22日閲覧 
  16. ^ a b c d e 日本ダービー25年史』日本中央競馬会、1959年、33頁。doi:10.11501/8799731https://dl.ndl.go.jp/pid/8799731/1/432023年11月22日閲覧 
  17. ^ a b 『Gallop 臨時増刊 日本ダービー80年史』産業経済新聞社、2013年、92頁。 
  18. ^ 畜産学年報』 第2輯、日本畜産学会、1935年、272頁。doi:10.11501/1134033https://dl.ndl.go.jp/pid/1134033/1/1472023年11月22日閲覧 
  19. ^ 三月 ミラクル種牡馬となる」『競馬年鑑 昭和11年版 第2版』競馬研究会、1935年、5頁。doi:10.11501/1026556https://dl.ndl.go.jp/pid/1026556/1/62023年11月22日閲覧 
  20. ^ 日本ダービー25年史』日本中央競馬会、1959年、143頁。doi:10.11501/8799731https://dl.ndl.go.jp/pid/8799731/1/1532023年11月22日閲覧 
  21. ^ 競馬ひとすじ : 私と馬の六十年史』徳間書店、1967年、156頁。doi:10.11501/2514623https://dl.ndl.go.jp/pid/2514623/1/822023年11月22日閲覧 
  22. ^ 国営競馬統計 昭和25年』農林省畜産局競馬部、1951年、138頁。doi:10.11501/2526356https://dl.ndl.go.jp/pid/2526356/1/1042023年11月22日閲覧 
  23. ^ a b 日本競馬史』 第3巻、日本中央競馬会、1968年、248頁。doi:10.11501/2527148https://dl.ndl.go.jp/pid/2527148/1/138202-11-22閲覧 
  24. ^ a b 日本競馬史』 第3巻、日本中央競馬会、1968年、159頁。doi:10.11501/2527148https://dl.ndl.go.jp/pid/2527148/1/932023年11月22日閲覧 
  25. ^ a b キヨフジ”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2023年11月22日閲覧。
  26. ^ a b サラブレッド血統書』 第1巻、日本競馬会、1941年、167頁。doi:10.11501/1067256https://dl.ndl.go.jp/pid/1067256/1/932023年11月22日閲覧 
  27. ^ サラブレッド血統書』 第1巻、日本競馬会、1941年、524頁。doi:10.11501/1869473https://dl.ndl.go.jp/pid/1869473/1/2762023年11月22日閲覧 
  28. ^ 日本ダービー25年史』日本中央競馬会、1959年、84-85頁。doi:10.11501/8799731https://dl.ndl.go.jp/pid/8799731/1/942023年11月22日閲覧 
  29. ^ a b c d ミラクルユートピア 5代血統表”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2023年11月22日閲覧。
  30. ^ フソウ”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2023年11月22日閲覧。
  31. ^ 重賞優勝馬 エンプレス杯競走優勝馬 距離2,100m”. www.nankankeiba.com. 南関東4競馬場. 2023年11月22日閲覧。
  32. ^ ガガーリン”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2023年11月22日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 藤田太『科学的に見た競馬新戦術』曉山閣出版部、1934年
  • 『日本ダービー25年史』日本中央競馬会、1959年
  • 尾形藤吉『競馬ひとすじ:私と馬の六十年史』徳間書店、1967年
  • 『Gallop 臨時増刊 日本ダービー70年史』産業経済新聞社、2004年
  • 『Gallop 臨時増刊 日本ダービー80年史』産業経済新聞社、2013年

外部リンク

[編集]