ミロ美術館
ミロ美術館 | |
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施設情報 | |
正式名称 | ジョアン・ミロ財団現代美術研究センター |
専門分野 | 現代美術 |
収蔵作品数 | 10,000点超 |
館長 | ロサ・マリア・アレ |
建物設計 | ホセ・ルイ・セルト |
開館 | 1975年6月10日 |
位置 | 北緯41度22分07秒 東経2度09分36秒 / 北緯41.36861度 東経2.16000度座標: 北緯41度22分07秒 東経2度09分36秒 / 北緯41.36861度 東経2.16000度 |
外部リンク | https://www.fmirobcn.org/en/ |
プロジェクト:GLAM |
ミロ美術館(ミロびじゅつかん、カタルーニャ語: Fundació Joan Miró, Centre d'Estudis d'Art Contemporani)は、ジョアン・ミロの作品を主に収めた、バルセロナのムンジュイックの丘にある現代美術館。個人美術館としては世界最大であり、バルセロナの人々からは「ミロからの贈り物」と呼ばれている[1]。
沿革
[編集]この美術館は、ミロが1968年に構想し、親友のジョアン・プラッツと共に設立したものである[2]。ミロは芸術家たち、特に若い世代に現代美術の試みを促すような、新しい施設を作りたいと考えていた。またミロの友人たちも、ミロの作品を収めた美術館が故郷に無いことを残念に思っていた[3]。無償で設計を担当したホセ・ルイ・セルトは[3]、誰もが建物にアクセスし鑑賞ができるよう配慮し、また来館者が建物内を自然に進んでゆけるよう中庭とテラスを設けた。屋内は外光を充分に取り入れ、開放的な雰囲気である[4]。
ムンジュイックの丘に建てられたミロ美術館は、1975年6月10日に開館した。初代館長のジョアキン・ゴミスはセルト同様ミロの親友であり、ミロは役員の一員となった。ミロ美術館は、美術館という枠組に対する新しい視点、そしてバルセロナの人々がいかに自らの文化遺産に触れられるかを体現するものだと宣言された[5]。
ミロの当初の構想に従い、若い実験芸術家たちの作品をプロモートするため、エスパイ13 (Espai 13) という名の部屋が建物内に作られている[3][6]。建物は1986年に増築され、講堂と図書館が加わった。ミロ美術館は単にミロの作品を所蔵・展示するにとどまらず、現代芸術活動のセンターともなっている[7]。
ミロの作品
[編集]施設内の多くの作品はミロ自身によって寄贈された[8]。初期と晩期の作品が多い[9]。主なものを以下に挙げる。
- The wing of the lark ... - 1967年
- Hermitage of San Juan Huerta - 1917年
- Street Pedralbes - 1917年
- Portrait of a boy - 1919年
- Painting (the white gloves) - 1925年
- Flame in space and Naked woman - 1932年
- Character - 1934年
- Man and Woman in Front of a Pile of Excrement(『排泄物の山を前にした男と女』) - 1935年
- Naked woman climbing a staircase(『階段を昇る裸婦』) - 1937年
- No - 1937年
- The Morning Star(『朝の星』) - 1940年
- Barcelona Series(『バルセロナ・シリーズ』) - 1944年
- The Diamond smiles at twilight - 1947年-1948年
- The Caress of a Bird(『鳥の愛撫』) - 1967年
- The gold of the azure(『蒼天の金』), 1967年
- Painting on white to a solitary cell I, II, III - 1968年
- Figure in front of the sun - 1968年
- Catalan peasant by moonlight - 1968年
- Project for a monument to the city (moon, sun and star)(『月・太陽・星』) - 1968年
- Character - 1970年
- May 1968(『1968年5月』) - 1968年-1973年
コレクション
[編集]美術館の所蔵品数は一万点を超える[1]。ミロ以外には、ピーター・グリーナウェイ、エドゥアルド・チリーダ、ルネ・マグリット、マーク・ロスコ、アントニ・タピエス、アントニオ・サウラの作品がある。またアレクサンダー・カルダーの『4枚の翼』と『水銀の泉』もある。後者では泉を作るために液体状の水銀が使われている。水銀は有毒であるため、鑑賞者とガラスで隔てられている[8]。この作品は、1937年パリ万博のスペイン館で、ピカソの『ゲルニカ』やミロの『刈り入れ人』と共に展示されていたものである[10]。すなわち水銀鉱床地かつスペイン内戦の激戦地となっていたアルマデンを暗示した作品であり、共和派のシンボルとみなされた[11]。
この美術館は、作品に関する各言語のウィキペディア記事を鑑賞者が読めるよう、QRペディアを使用している[12]。
脚注
[編集]- ^ a b NHK (2005) p.52
- ^ Bryant, Sue (2008). Barcelona p.78. pp. 128. ISBN 9781847731043
- ^ a b c NHK (2005) p.57
- ^ 村田 (2007) pp.55-56
- ^ Sert. P.8
- ^ 村田 (2007) p.56
- ^ 佐々木 (1989) p.1099
- ^ a b “Fundació Joan Miró” (英語). barcelona.de. 2011年10月9日閲覧。
- ^ 木村ら (1994) p.790
- ^ カトィヤー (2011) p.8
- ^ カトィヤー (2011) p.108
- ^ Hinojo, Alex (2011年5月11日). “QRpedia Codes at Fundació Joan Miró”. The GLAM-Wiki Experience. 2011年8月25日閲覧。
参考文献
[編集]- Bruno Zevi (2010), Josep Lluís Sert: Fundació Joan Miró, Barcelona: Polígrafa, ISBN 9788434312456
- Rosa Maria Malet; Fundació Joan Miró (Barcelona, Spain) (1999-01-01), Fundació Joan Miró: guia, Skira, ISBN 978-84-7254-762-9 2011年10月3日閲覧。
- NHK「世界美術館紀行」取材班『NHK世界美術館紀行』 4巻、日本放送出版協会、2005年。ISBN 978-4140810415。
- 木村三郎(編)、千足伸行(編)、森田義之(編)、島田紀夫(編)、千葉成夫(編) 編『西洋絵画作品名辞典』三省堂、1994年。ISBN 978-4385154275。
- 村田栄一『石も夢みるスペインロマネスク』社会評論社、2007年。ISBN 978-4784509058。
- 佐々木英也(監) 編『オックスフォード西洋美術事典』講談社、1989年。ISBN 978-4062009799。
- バルバラ・カトィヤー『マジョルカのミロ』安發和彰(訳)、岩波書店〈岩波アート・ライブラリー〉、2011年。ISBN 978-4000089906。
関連項目
[編集]- モンジュイック・サーキット(かつてこの地にあったレース場)
外部リンク
[編集]- “Fundació Joan Miró” (カタルーニャ語). 2011年10月9日閲覧。 - 美術館の公式サイト
- “Joan Miro Foundation in Barcelona, Spain” (英語). Muselia. 2011年10月9日閲覧。
- Danee Gilmartin (2010年12月25日). “Joan Miró Will Brighten Your Christmas” (英語). MuseumChick. 2011年10月9日閲覧。