ムスティエ=ヴァンタドゥール
Moustier-Ventadour | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏 |
県 (département) | コレーズ県 |
郡 (arrondissement) | チュール郡 |
小郡 (canton) | エグルトン小郡 |
INSEEコード | 19145 |
郵便番号 | 19300 |
市長(任期) |
ダニエル・ブイジュ (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes de Ventadour |
人口動態 | |
人口 |
500人 (2011年) |
人口密度 | 17人/km2 |
住民の呼称 | Moustiérois/Moustiéraux |
地理 | |
座標 | 北緯45度23分46秒 東経2度06分20秒 / 北緯45.3961度 東経2.1056度座標: 北緯45度23分46秒 東経2度06分20秒 / 北緯45.3961度 東経2.1056度 |
標高 |
平均:m 最低:390m 最高:689m |
面積 | 29.85km2 (2 985ha) |
ムスティエ=ヴァンタドゥール (Moustier-Ventadour)は、フランス、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、コレーズ県のコミューン。
地理
[編集]ムスティエ=ヴァンタドゥールは中央高地の中にあり、エグルトンの南東に位置する。
歴史
[編集]ムスティエ=ヴァンタドゥールには、今もヴァンタドゥール城がたっている。この建物は11世紀終わりから1350年まで子爵のものであった。フィリップ6世の時代に単なる領主が治める地から伯爵領へ転換された。
16世紀、ヴァンタドゥール領は公領となり、フランス貴族である公爵が治めることとなった(1578年)。ムスティエ=ヴァンタドゥールには12世紀からクリュニー会の修道院があった。村の礼拝堂には、聖職者が聖務に行くため往来を可能にするドアが残っていた。修道院の建物は現在完全に失われている。
16世紀、城と村の領主となったのはロアン家であった。
フランス革命時代、国民公会のデクレにより、村はムスティエ=ラ=リュゼージュ(Moustier-la-Luzège)と改名させられていた。
経済
[編集]ヤギの生乳から作られるチーズが数種類(ル・ヴァンタドゥール、ラ・トリュフ・ド・ヴァンタドゥール、ル・ビスカルー、ブリケット・ド・ヴァンタドゥール、ラ・トム・ド・ヴァンタドゥール、フイユ・デュ・リムーザン)、ムスティエ=ヴァンタドゥールの周辺で生産されている。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2011年 |
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444 | 355 | 316 | 302 | 383 | 416 | 438 | 500 |
参照元:1999年までEHESS[1]、2004年以降INSEE[2][3]
史跡
[編集]リュゼージュ川を見下ろす岩の上に12世紀に要塞城が建てられた。そこは100年以上、オック語文化創造の中心であった。子爵エブル2世はトルバドゥールの首領であったとみなされ、彼の弟子にはベルナール・ド・ヴァンタドゥールがいた。
百年戦争中に要塞城はイングランド軍によって攻略され、一部が破壊された。18世紀に城は打ち捨てられ、1969年まで廃墟のままであった。現在は再建作業中である。