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ムツヘタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ムツヘタ
მცხეთა
ムツヘタの町並み
ムツヘタの町並み
位置
ムツヘタの位置(ジョージア内)
ムツヘタ
ムツヘタ
ムツヘタ (ジョージア)
ムツヘタの位置(コーカサス山脈内)
ムツヘタ
ムツヘタ
ムツヘタ (コーカサス山脈)
ムツヘタの位置(西南アジア内)
ムツヘタ
ムツヘタ
ムツヘタ (西南アジア)
行政
ジョージア (国)の旗 ジョージア
  ムツヘタ=ムティアネティ州
 地区 ムツヘタ地区英語版
 町 ムツヘタ
地理
面積  
  町域 ? km2
標高 460 m
人口
人口 (2020年現在)
  町域 7,584人
その他
等時帯 ジョージア時間 (UTC+4)

ムツヘタグルジア語: მცხეთა, Mtskheta)はジョージア(グルジア)、ムツヘタ=ムティアネティ州古都首都トビリシから北西に20km。人口は7,940人(2014年)。クラ川アラグヴィ川の合流地点の近くに町が広がる。ムツケタと表記される場合がある。

歴史

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紀元前6世紀に成立した西部グルジアのコルキス王国東側の内陸部は、同じころアカイメネス朝ペルシアの一部であったが、紀元前4世紀から紀元前3世紀にかけて、ムツヘタを首都とするイベリア王国(カルトリ王国)が成立した[1][2]伝説によれば、最初のイベリア王はマケドニア王国アレクサンドロス3世に対抗したとされるパルナヴァズ1世である。その領域は今日の中部グルジアのカルトリ(カルタリニア)、東部グルジアのカヘティ、西南グルジアのサムツヘとその周辺であり、ここは、ギリシャ文明の影響が直接及ばない地域であった[3]。住民は、西方のアナトリア・コルキス方面から流入してきた人びとと土着民との融合によって生じた人びとであった[3]。ムツヘタはクラ川・アラグヴィ川英語版の合流点近くに立地し、現在は町全体が世界文化遺産に登録されている[3][4]。中世に著述された『グルジア年代記』によれば、この頃にグルジア文字(カルトリ文字)が考案されたとしており、この文字はアラム文字の強い影響下に成立したと考えられ、ヘブライ文字アラビア文字などと同系である。なお、「ムツヘタ」の地名はこの地をひらいた首長ムツヘトスに由来するといわれている[4]

ムツヘタは、5世紀の王ヴァフタング1世(ワフタング・ゴルガサリ)がトビリシに遷都するまで、イベリア王国(紀元前3世紀-紀元後6世紀)の首都であった。

観光

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町を見下ろす山上に位置するジワリ修道院6世紀)と、町の中心に位置するスヴェティツホヴェリ教会11世紀)が有名。サムタヴロ尼僧修道院(10世紀)には、336年キリスト教を国教化した王ミリアンとその妻ナナの墓、聖ニノの十字架、博物館がある。

ムツヘタのいくつかの宗教建造物は「ムツヘタの歴史的建造物群」の名で、ユネスコ世界遺産に登録されている。付近には、アルマジ砦(紀元前3世紀)など、多くの遺跡が分布している。

姉妹都市

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脚注

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参考文献

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  • 池田嘉郎 著「グルジア(Georgia)」、山川出版社編集部 編『世界各国便覧』山川出版社〈新版世界各国史 28〉、2009年7月。ISBN 978-4-634-41580-5 
  • 二宮書店編集部 編「ジョージア」『データブック・オブ・ザ・ワールド2016年版』二宮書店、2016年1月。ISBN 978-4-8176-0399-9 
  • デヴィッド・マーシャル・ラング 著、菅原崇光(訳) 訳「グルジア:歴史」、フランク・B・ギブニー 編『ブリタニカ国際大百科事典ティビーエス・ブリタニカ、1973年3月。 
  • 「ムツヘタ」『地球紀行世界遺産の旅』小学館、1999年10月。ISBN 4-09-102051-8 

関連項目

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座標: 北緯41度50分38.8秒 東経44度43分21.9秒 / 北緯41.844111度 東経44.722750度 / 41.844111; 44.722750