コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ムハンマド・ムルシー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ムハンマド・ムルシー
محمد مرسي

大統領公式肖像

任期 2012年6月30日2013年7月3日
副大統領 マフムード・メッキー

任期 2000年12月1日2005年12月12日

自由と公正党
初代 党首
任期 2011年4月30日2012年6月24日

出生 (1951-08-20) 1951年8月20日
エジプトの旗 エジプトシャルキーヤ県
アル・アドワ村
死去 (2019-06-17) 2019年6月17日(67歳没)
エジプトの旗エジプトカイロ
政党 ムスリム同胞団
自由と公正党
→無所属
配偶者 ナグラー・アリー・マフムード

ムハンマド・ムハンマド・ムルシー・イーサー・エル=アイヤートアラビア語: محمد محمد مرسي عيسى العياط‎, ラテン文字転写: Mohammed Mohammed Mursi Essa el Ayyat1951年8月20日 - 2019年6月17日)は、エジプト学者政治家学位工学博士南カリフォルニア大学1982年)。名前について日本語メディアは、モルシムルシ、一部中東専門家はムルスィーと表記している[1]。人民議会議員として自由と公正党党首を務めた。

概要

[編集]

アラブの春における民主化後では最初となるエジプト大統領に選出されるが[2][3][4]政教分離などの世俗的な価値観が浸透していた[5] にもかかわらずイスラム主義に基づいた統治を進めた結果、モハメド・エルバラダイら国内の世俗派から強い反発を受けた[6]。政権後半にはイスラム主義に基づいた新憲法制定を目指した事で大規模な反政府運動が発生し、最終的に政権担当能力を疑問視したアブドルファッターフ・アッ=シーシー国防大臣らによるクーデターにより解任され、身柄を拘束された(2013年エジプトクーデター)。その後死刑判決を受けるも、2016年11月の最高裁判決で死刑判決が事実上覆り、2017年終身刑にあたる禁錮20年の判決が下った。2019年6月17日に法廷の審問後に倒れ死去[7]。67歳没。

経歴

[編集]

生い立ち

[編集]

シャルキーヤ県アル=アドワ村の農家に生まれる[8]1975年カイロ大学工学部を卒業後、1978年に同大学で工学修士、1982年南カリフォルニア大学において工学博士を取得。1982年から1985年までカリフォルニア州立大学ノースリッジ校助教授となり、その間、エンジニアとしてアメリカ航空宇宙局(NASA)に勤務しスペースシャトルの開発業務に助手として参加していたこともある。1985年にエジプトに帰国しザガジグ大学の教授となり、2010年まで務めた[9]

2000年の人民議会選挙において無所属で当選し、2005年までムスリム同胞団議員団長を務めた。2011年の革命後にムスリム同胞団が母体となって設立された自由と公正党の党首に選ばれる。

2012年大統領選挙

[編集]

エジプト革命後に行われる大統領選挙には当初、自由と公正党は同胞団副団長だったハイラト・シャーテルを擁立した[10] が、シャーテルは2011年3月に服役を終えたばかりであった。大統領選挙出馬のためには刑期終了から6年以上経過している必要があるとして失格とされ[11]、異議申し立ても却下された。

2012年6月18日大統領選挙後の会見にて

その結果、シャーティルが失格となる可能性があったことから、念のため立候補の届け出をしていたムルシーが、自由公正党の候補となった。5月22日及び23日に行われた第一回目の投票で1位(得票数5,764,952票、得票率24.78%[12])となり、上位二人による決選投票へ駒を進めた[13]

第1回の得票率は25パーセントに満たなかったが、決選投票では、世俗、リベラル、左翼の諸勢力も、反アフマド・シャフィークのために結束[14]。決選投票翌日の6月18日には独自集計により勝利宣言を行った(対立候補のアフマド・シャフィーク元首相はこれを認めず)[15]。6月24日、選挙管理委員会により大統領選挙の勝者と正式に認定された[16]。得票数は13,230,131票(得票率51.73%)[17]。この当選に伴い、ムスリム同胞団及び自由と公正党から脱退した[18]

大統領として

[編集]

内政

[編集]
政権人事
[編集]

6月30日に最高憲法裁判所で宣誓を行い、大統領に就任した[19]。前述の通り穏健派とはいえイスラム主義政党からの当選であった事から、世俗派からの懸念が持たれていた。7月24日ヒシャーム・カンディール水資源灌漑大臣を首相に任命し、組閣を命じた[20]8月27日、女性1人、コプト1人、サラフィー主義者1人を含む4人の大統領補佐官と17人の大統領顧問を任命した[21]9月6日、中央監査局長に、改革派判事のヒシャーム・ゲニーナを任命した[22]。12月22日、諮問評議会(上院)の大統領任命枠90人を発表した。90人のうちの75%が非イスラーム主義系であり、12人のコプトが含まれている[23] など、議会や閣僚人事ではイスラム主義を弱める姿勢を見せた。

しかし一方で各地の知事や中央省庁に対しては自らの出身母体であるムスリム同胞団のメンバーを次々と幹部として送り込み、統制を進めていたため、身内びいきの人事として国民の反発を招いた[24][25]。また、知事職に関してもムスリム同胞団やイスラム主義者を任命し、軍の影響力を弱めようとした[26][27]。一方、官僚組織においては同胞団出身の人材は政治行政についての技能経験を持たない者ばかりだったため、政府機能が停滞することとなった[24][25]。取り分け情報通信技術省では局長級の幹部職に至るまでムスリム同胞団メンバーによって占められた事で決済業務が停滞し、インターネットサービスプロバイダへの許認可業務が完全にストップするなど各所で混乱が見られた[24]

アブドルメギード・マハムード検事総長の解任や、反ムルシー政権の裁判官を退任させるための定年引下げを試み、司法権からの反発を受け、アル=アズハル大学が持っていた人事権への介入などを画策したことから、宗教的権威からの反発も受けた[28]。そもそも司法は大統領選挙決選投票直前にイスラーム勢力が多数を占めた議会を、選挙法が違憲との理由で解散に追い込むなどしてきた旧政権支持の強い勢力であり、アズハルの総長アハマド・タイイブもムバーラクによって総長に任命された人物である事から、元々ムルシー政権とは距離を取っていた[29]

憲法
[編集]

8月12日、軍最高評議会が大統領選挙決選投票直前に発布した、大統領権限を縮小し自らに立法権などを付与することを定めた暫定憲法の破棄を発表するとともに、ムハンマド・フセイン・タンターウィー国防大臣兼軍最高評議会議長及びサーミー・ハーフィズ・アナーン英語版アラビア語版参謀総長、海軍、空軍、防空軍の司令官を解任した[30][31]。その上で、軍部の定めた暫定憲法に代わり大統領権限を強化した新たな暫定憲法を発表し、副大統領に破毀院幹部で反ムバーラク派として知られたマフムード・メッキー判事を任命した[32][33][34][35]。また、ムルスィー大統領は次回の人民議会選挙まで立法権を大統領が有するとする大統領令を発表した[36]。これら一連の動きは、一部エジプトメディアから、ムルシーによる軍最高評議会に対するクーデターと表現された[37]。一方で、このムルシーの決断は、大統領選挙を争ったアブドルモネイム・アブールフトゥーフをはじめとする幅広い政治家、政治勢力から歓迎された[38]

11月22日、次期人民議会選挙まで大統領の命令・決定を裁判所が一切覆すことは出来ないこと、憲法起草にあたっている憲法制定委員会と上院(諮問評議会)に対し裁判所が解散命令を出せぬようにすることなどを盛り込んだ大統領権限強化の暫定憲法の新条項を発表した。これに対して、反大統領派からは「新たなファラオと化した」(立憲党エル=バラダイ)など独裁化を懸念する批判の声があがり、翌23日にはこの決定に反発する抗議運動が各地で行われ、いくつかの都市では自由公正党の事務所が襲撃された[39][40]。新条項の内容は、大統領決定の憲法例や法令に異議申し立てが出来ず、司法機関から上院に当たる諮問評議会と憲法制定委員会の解散権をはく奪。また、大統領が国家と革命を守るために必要な措置を講じることが可能というもの[41]

新条項は、2011年から2012年にかけた行われた人民議会選挙でイスラーム主義勢力(同胞団だけでなくヌール党ワサト党も含む)が約7割を占める圧勝した結果としてイスラム主義者で起草委員が占められた新憲法起草員会に対し、裁判所が違憲判決を出すことを防ぐ目的であったが、新憲法案の採決及び大統領の承認の手続きを済ませたため当初の目的を達し有名無実化[42][43]。 12月8日には、大統領令が司法判断の対象になるとする新たな憲法令を出し、11月に出した憲法令を撤回した[44]。 しかし裁判所の介入を強権的に回避して作成された新憲法案に反発したリベラル派やコプト教徒、野党連合が拒否する中で、新憲法案への国民投票を強行[42][43]

その後、憲法起草委員会で採決された新憲法案が12月15日及び22日に国民投票にかけられ、63.8%の賛成を得て承認された[45] ものの、リベラル派やコプト教徒、野党などは憲法起草のやり直し及び大統領退陣を求め、国民投票を拒否しており、投票率は33%にとどまったと指摘する者があるが[42][46]、実際には反対派は直前になりボイコットから反対投票への呼びかけに戦略を転換しており[47]、33%という数字も2011年の憲法改正投票における投票率の41.2%[48] との比較から見ればさほど低いものではない。また、比較的反対派(世俗派)が強い都市部中心に行われた第1回投票で賛成票が多数を占め賛成派の勝利が確定的となったことから、イスラーム主義の支持が強い地方部中心の第2回投票での投票率が伸び悩んだ可能性もある。

経済・財政
[編集]

大統領としての任期中に2000億ドルの直接投資を受け入れるとの公約を掲げていたが、達成には程遠い状況となった[25]。大統領就任後の9か月間での直接投資はわずか14億ドルにとどまり、公約との間で極めて大きな乖離が生じていた[25]。また、燃料の安定供給を図るとの方針を打ち出したが、外貨不足により実現できず、燃料不足による停電が頻発、給油所には長蛇の列が生じるなど国民生活にも影響が及んだ[25]。さらに、ムバラク政権下の警察国家により抑えられていた政府活動、宗派対立、通常犯罪が増加し、治安が急速に悪化し、観光業収入や直接投資の急激な落ち込みで外貨不足となった。ムルシー政権下では、初めて外貨準備が150億ドルを下回り、輸入額の3倍を割り込む危機的状況となった。財政再建にも踏み切れなかったため国際通貨基金からの援助も得られないまま、通貨が急落し、食料品などの価格が急騰した。その結果、物価水準が一年で10%も上昇するなど混乱が生じ、失業率の上昇、経済成長率の鈍化、など経済指標は悪化の一途をたどった[25]。経済成長率は、ムバーラク政権崩壊直後にマイナス4.3パーセントまで落ち込んだのちも大きな改善を見せなかった。政権末期の2013年には既に危機的状況になっていた外貨準備がさらに悪化し、インフレーションも加速した[25][28]。また、ポピュリズム政策として少なくとも70億円に及ぶ債務免除を「国民へのプレゼント」として農民に対し行い財政状況をさらに悪化させたり、最低賃金を急激に上昇させ、経済的混乱に拍車をかけた[49]

以上のような報道や指摘があるが、インフレ率はムルシー政権成立前の2008年から2011年は全て10%以上の上昇を示しており、ムルシー政権成立後に上昇しているわけではない(2012年に限れば7.1%と改善している[50])。また、GDP成長率は、会計年度2012/13の1-3四半期(ムルシー政権発足後9ヶ月間)の成長率は2.3%であり、前年度同期の1.8%より上昇している[51]。さらに、観光客数は2012年は前年比17.1%増[52]、2013年1-3月期は政権発足以前の前年同期比で14.6%増となり[53] 観光収入も政権発足後9ヶ月間で前同期比で約14%増加し[54]、2013年上半期の輸出額は、前年同期比17%増となり[55] 貿易赤字も縮小ており、国際収支赤字は、政権発足後の9ヶ月(2012年7月-2013年3月)で、前年同期比81.2%縮小する[56] など、改善していた。また、外貨準備は、政権発足時の2012年6月(大統領就任は6月30日)の時点ですでに155.3億ドルの水準まで下落していたのであり[57]、2013年5月には外国からの支援もあって160億ドルの水準を回復していた[58]。また、歳出規模から見れば70億円は大きな額ではない。公務員の最低賃金引き上げが行われたのは、ムルシー政権発足1年も前の2011年6月のことである[59]

外交

[編集]
2012年7月31日アメリカ合衆国国防長官レオン・パネッタ(左)と
2013年3月3日アメリカ合衆国国務長官ジョン・ケリー(左)と

2012年6月30日の大統領就任後の演説で、パレスチナ人の権利獲得への支援を表明するとともにシリアでの流血停止を求めた[60]。当選後初の外遊先として7月11日サウジアラビアを訪問、アブドッラー国王と会談して資金援助を引き出した[61][62]

8月28日、イスラーム圏以外で初の外遊先として中国を訪問し[63]胡錦濤主席と会談[64]、翌29日には習近平副主席や温家宝首相と会談した[65]。この訪中はムルシーは、サウジ訪問と同様に巨額の融資や警察車両300台の供与などの中国の援助を取り付ける意味合いが強かったが[61][66]、つづくイラン・イスラーム革命後の1980年モハンマド・レザー・パフラヴィーの亡命受け入れやイスラエルの国家承認[67][68]をめぐって国交断絶したイランへの訪問(非同盟諸国会議出席のため)とあわせ、中東における地位低下を招いた前ムバーラク政権下の過度な対米追従外交から「バランスの取れた外交関係」への軌道修正と見られている[69]。また、ムルシーはシリア問題でイランも加えたエジプト・トルコ・サウディアラビアの主要関係四カ国による会議を提唱しており[61][70]シリアの友人たちに参加してアサド大統領の退陣を求めている一方で、外国による軍事介入には反対する姿勢を示していた[71]

9月の国連総会出席のため就任後初めて訪米し、26日には日本の野田首相と初めて会談した[72]

9月30日、大統領就任後初めてトルコを訪問し、同じイスラーム主義系である与党・公正発展党の年次大会に出席した[73]

11月14日、パレスチナガザ地区で、ハマースの軍事部門幹部アフマド・ジャアバリーがイスラエル軍によって殺害されたことについてイスラエルを批判し、駐イスラエル大使を召還した[74]。さらにヒシャーム・カンディール首相をガザに派遣し、ハマースとの連帯を示した。その一方で、ジャアバリー殺害によって激化したイスラエル・ハマース間の戦闘の停戦交渉を仲介し、11月21日停戦合意を実現させた[75]国連安全保障理事会は、21日に発表した報道声明において、停戦仲介を行ったムルシーを「強く称賛」[76]、アメリカのバラク・オバマ大統領も同日ムルシーに対する電話において、ムルシーの「停戦成立への尽力と、交渉での個人的な指導力」に謝意を表す[77] などムルシーの外交手腕は各方面から高く評価された。

2013年3月、エジプトの大統領としてはここ50年以上で初めてパキスタンを訪問した[78]

2013年5月、エジプトの大統領として初めてブラジルを訪問し、ルセフ大統領と会談した[79]

2013年6月の政権末期には内政の混乱から国民の目を逸らすため、エチオピアから、戦争の可能性を示唆してダム建設阻止を試みた[28][80]。エチオピアのダム建設問題はスーダンも取水量減少への警戒から反発している外交問題であり、「血流す覚悟」などと強硬な発言を行った[81]

エジプト・クーデター

[編集]

内政外政におけるさまざまな失政を受けて政権批判や、反政権デモが展開されたのに対し、エジプト政府は活動家やジャーナリストを、扇動容疑で逮捕し、2013年5月に国境なき記者団から、報道の自由の破壊者に指定された[82][83]。そして、6月には大統領への国民の支持率が25パーセントまで低下する事態となった[82][83]国防大臣アブドルファッターフ・アッ=シーシーから「もはや、あなたは大統領でない」[25] と諌められたが、それに対して「おまえを解任してやる」[25] と反発するなど、軍部とも対立することになり政情不安が深刻化した。2013年7月3日、軍部によるクーデターにより解任され[84]、拘束された[85]アメリカは政変の進展次第では軍事支援を中止するとしつつも、現時点ではクーデターと呼称する事を避けている。米国は国内法で、クーデターにより権力を奪取した政権には軍事援助しないと決めている。エジプトへの軍事援助を継続するためには、クーデターとは認められないのである[86]

サウジアラビアアブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ国王は軍事介入を高く評価し、アブドルファッターフ・アッ=シーシー国防大臣を「暗いトンネルからエジプトを救い出した」と称賛した[87]。サウジアラビア、クウェートアラブ首長国連邦は、エジプト軍に年額120億ドルの支援を行い、米国も13億ドルに及ぶ軍への支援を行った[88]。湾岸諸国でもカタールは同胞団を支援してきたが、サウジやUAEなどは同胞団伸張の自国に対する影響を警戒している[89]

権力を掌握したシーシーは、2014年6月3日、自ら大統領となった。また、ムスリム同胞団を「テロ組織」「テロリスト同胞団」と呼び弾圧し、自由と公正党を解散させ、資産を没収した。

2015年4月21日、首都カイロの刑事裁判所は、2012年の反政権デモ隊への「殺害を扇動した罪」の被疑で、ムルシーに禁錮20年の判決を言い渡した[90]。さらに5月16日、刑事裁判所は、2011年の反政府デモに際し、支持者らに刑務所を襲撃して囚人を脱獄させた被疑で、ムルシーおよびムスリム同胞団幹部・支持者ら105人(あわせて106人)を「死刑に値する」と表明した。エジプトでは、死刑判決は大ムフティー(最高イスラム法官)の意見を聞く必要があるため、この段階では判決ではない(ただし、裁判官は大ムフティーの意見に従う必要はない)。正式判決は6月2日を予定していたが[91][92][93][94]、当日になって判決を6月16日に延期すると発表した[95]

6月16日、刑事裁判所は脱獄幇助の被疑について、正式に死刑判決を下した。さらに、この死刑とは別に、パレスチナ自治区のハマースやレバノンヒズボラ、そしてイラン政府のためにスパイ活動を行った被疑でも終身刑となった。ムルシーは無罪を主張し、上訴する構えである[96]。この他、ムスリム同胞団幹部5人についても死刑判決が下された[97]。その後、2016年11月15日には破棄院(最高裁に相当)が脱獄幇助と警察署襲撃事件に対する死刑判決を覆し再審を命じている[98]

2019年6月17日、裁判での審理中に体調を崩し、カイロの病院に搬送されたがその日のうちに死去した[99]

家族

[編集]

妻ナグラーとの間に5人の子(息子4人、娘1人)がおり、長男・アフマドは、サウジアラビアで医師をしている。また、孫が3人いる[100]。4人の息子のうち、2人はアメリカ生まれで、エジプトとアメリカの二重国籍を保有している。

脚注

[編集]
  1. ^ “中東かわら版”. 中東調査会. (2012年7月26日). http://www.meij.or.jp/members/kawaraban/20120727173207000000.pdf 2012年8月15日閲覧。 
  2. ^ “Egypt's Islamist president to shake regional politics”. Oxford Analytica. (2012年6月25日). http://www.oxan.com/Analysis/DailyBrief/Samples/EgyptsIslamistPresidentMohammedMorsi.aspx 2012年7月21日閲覧。 
  3. ^ “Morsi is the President and 52% of Egypt celebrates”. Al Bwaba. (2012年6月25日). http://www.albawaba.com/blog_roundup/morsi-egypt-president-431162 2012年7月22日閲覧。 
  4. ^ “エジプト大統領にムルシ氏当選 初のイスラム主義大統領”. 朝日新聞. (2012年6月24日). http://www.asahi.com/international/update/0624/TKY201206240256.html 2012年6月25日閲覧。 
  5. ^ 池内恵 (2013年7月8日). “東京大学准教授・池内恵 「アラブの春」遠ざかるエジプト”. MSN産経ニュース (産経新聞). https://web.archive.org/web/20130709204850/http://sankei.jp.msn.com/world/news/130708/mds13070803340000-n4.htm 2013年10月6日閲覧。 
  6. ^ “実際に起こり得る「自由vs民主主義」の戦い”. フィナンシャル・タイムズ. (2013年7月9日). http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38191 2013年7月12日閲覧。 
  7. ^ Egypt's ousted president Mohammed Morsi dies in court(BBC )
  8. ^ Rooted to the land, Egypt’s uneasy new president faces daunting task”. The Daily Star. 2012年6月30日閲覧。
  9. ^ Dr. Mohammad Morsy”. Egypt State Information Service. 2012年8月13日閲覧。
  10. ^ “エジプト大統領選、イスラム組織が幹部擁立 選挙の軸に”. 朝日新聞. (2012年4月1日). http://www.asahi.com/international/update/0401/TKY201204010077.html 2012年7月1日閲覧。 
  11. ^ “エジプト大統領選、スレイマン前副大統領ら10候補が失格に”. AFPBB News (フランス通信社). (2012年4月16日). https://www.afpbb.com/articles/-/2871947?pid=8788728 2012年7月1日閲覧。 
  12. ^ After the dust settles: Mursi, Shafiq to face off in presidential showdown”. Ahramonline. 2012年5月29日閲覧。
  13. ^ エジプト大統領選:上位2氏が確定 来月の決選投票へ”. 毎日新聞. 2012年5月26日閲覧。
  14. ^ 「エジプト強制排除、国民は軍を支持 米も動けず」 日本経済新聞2013/8/18 0:55
  15. ^ “エジプト大統領選、イスラム主義候補が勝利宣言”. 読売新聞. (2012年6月18日). https://web.archive.org/web/20120621021713/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120618-OYT1T00555.htm 2012年6月19日閲覧。 [リンク切れ]
  16. ^ DAVID D. KIRKPATRICK (2012年6月24日). “Morsi Declared Winner of Egyptian Presidency [ムルシー氏、大統領選勝者として宣言される]” (英語). インターナショナル・ヘラルド・トリビューン. http://www.nytimes.com/2012/06/25/world/middleeast/mohamed-morsi-of-muslim-brotherhood-declared-as-egypts-president.html 2012年6月24日閲覧。 
  17. ^ “محمد مرسى رئيسا لمصر”. アハラム. (2012年6月24日). http://www.ahram.org.eg/The-First/News/157005.aspx 2012年6月25日閲覧。 
  18. ^ “モルシー氏の正体とは 米で工学博士号 旧体制との戦いのシンボル…”. 産経新聞. (2012年6月25日). https://web.archive.org/web/20120625181750/http://sankei.jp.msn.com/world/news/120625/mds12062523100011-n1.htm 2012年6月26日閲覧。 
  19. ^ “モルシ氏がエジプト大統領就任、歴史的意義強調”. 読売新聞. (2012年6月30日). https://web.archive.org/web/20120703004749/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120630-OYT1T00823.htm 2012年6月30日閲覧。 [リンク切れ]
  20. ^ 新首相にガンディール氏 エジプト大統領、組閣命じる”. 朝日新聞. 2012年7月25日閲覧。
  21. ^ “Morsi spokesman reveals names of presidential assistants, advisers”. Ahramonline. (2012年8月27日). http://english.ahram.org.eg/News/51401.aspx 2012年8月28日閲覧。 
  22. ^ “Egypt's Morsi appoints new head of public finance watchdog”. Ahramonline. (2012年9月6日). http://english.ahram.org.eg/News/52173.aspx 2012年9月8日閲覧。 
  23. ^ “Egypt President Decree to Appoint One-Third of 270-Member Shura Council”. Ikhwanweb. (2012年12月22日). http://www.ikhwanweb.com/article.php?id=30507 2012年12月23日閲覧。 
  24. ^ a b c 酒井圭吾「中東カオス――激震エジプト――ずさん統治悪循環生む――素人の局長・汚職が横行」『讀賣新聞』49360号、14版、読売新聞東京本社2013年7月6日、7面。
  25. ^ a b c d e f g h i 「中東遠のく春――生活苦なお民主化試練――エジプト、公約ほごに怒り」『日本経済新聞』45766号、14版、日本経済新聞社2013年7月7日、5面。
  26. ^ “Eight Islamists among 17 governors appointed by Morsi”. The Times of Israel. (2013年6月17日). http://www.timesofisrael.com/eight-islamists-among-17-governors-appointed-by-morsi/ 2013年9月7日閲覧。 
  27. ^ Egyptians angry over Islamist governor's militant links”. フランス24 (2013年6月18日). 2024年9月4日閲覧。
  28. ^ a b c 「「エジプト情勢 これからどうなる」② 横田貴之 日本大学准教授」横田貴之
  29. ^ “Mubarak appoints a new chief of Al Azhar”. The National. (2010年3月21日). http://www.thenational.ae/news/world/africa/mubarak-appoints-a-new-chief-of-al-azhar 2013年9月6日閲覧。 
  30. ^ “エジプト大統領、国防相と参謀総長解任 主導権争い激化か”. CNN.co.jp. (2012年8月13日). https://www.cnn.co.jp/world/35020384.html 2012年8月13日閲覧。 
  31. ^ “エジプト大統領が国防相解任、軍公布の暫定憲法も無効に”. ロイター. (2012年8月13日). https://jp.reuters.com/article/jpAntigovernment/idJPTYE87B00Z20120812/ 2012年8月13日閲覧。 
  32. ^ “エジプト大統領 権限移行で新暫定憲法”. NHK. (2012年8月13日). http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120813/k10014255811000.html 2012年8月20日閲覧。 [リンク切れ]
  33. ^ “エジプト大統領:軍と事前に協議し合意か 国防相解任など”. 毎日新聞. (2012年8月13日). http://mainichi.jp/select/news/20120813k0000e030214000c2.html 2012年8月13日閲覧。 [リンク切れ]
  34. ^ “エジプト大統領、国防相を解任 暫定憲法を破棄”. 日本経済新聞. (2012年8月13日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM1200J_S2A810C1FF1000/ 2012年8月13日閲覧。 
  35. ^ “エジプト大統領、国防相解任 憲法の「軍の立法権」停止”. 朝日新聞. (2012年8月13日). http://www.asahi.com/international/update/0813/TKY201208120564.html 2012年8月13日閲覧。 [リンク切れ]
  36. ^ エジプト”. 外務省 (2013年). 2024年9月4日閲覧。
  37. ^ “Egypt's Morsi's coup against SCAF: the hows and the whys”. Ahramonline. (2012年8月14日). http://english.ahram.org.eg/News/50324.aspx 2012年8月14日閲覧。 
  38. ^ “Morsi's Sunday surprise met with broad support by Egypt political forces”. Ahramonline. (2012年8月13日). http://english.ahram.org.eg/News/50261.aspx 2012年8月18日閲覧。 
  39. ^ “エジプト:大統領権限また強化 世俗派、反発し抗議デモ”. 毎日新聞. (2012年11月23日). http://mainichi.jp/select/news/20121124k0000m030084000c.html 2012年11月23日閲覧。 
  40. ^ “Egypt President Mursi defends new powers amid protests”. BBC NEWS. (2012年11月23日). https://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-20458148 2012年11月24日閲覧。 
  41. ^ エジプトでムバラク政権打倒後最大のデモ、株式市場は意外な動き 2012年11月28日
  42. ^ a b c 「エジプト大統領、憲法宣言撤回も国民投票実施譲らず」 Worldtimes2012/12/10
  43. ^ a b “ムスリム同胞団、80年経て手にした政権の座ははかなく エジプト”. AFPBB News (フランス通信社). (2013年7月4日). https://www.afpbb.com/articles/-/2954481?pid=11005922 2013年7月13日閲覧。 
  44. ^ “エジプトで新改正憲法令 大統領、「強権」を撤回”. 日本経済新聞. (2012年12月9日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0900T_Z01C12A2000000/ 2013年2月9日閲覧。 
  45. ^ “エジプト新憲法案、国民投票で承認”. 朝日新聞. (2012年12月26日). http://www.asahi.com/international/update/1226/TKY201212260365.html 2013年7月13日閲覧。 
  46. ^ 「なぜ、エジプトの大統領はクーデターで解任されたのか? 」宮田律Businesses Media誠
  47. ^ “エジプト国民投票、前半戦は憲法案賛成派が勝利”. AFPBB NEWS. (2012年12月16日). https://www.afpbb.com/articles/-/2916988?pid=10001146 2013年8月24日閲覧。 
  48. ^ “Egypt referendum strongly backs constitution changes”. BBC NEWS. (2011年3月20日). https://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-12801125 2013年8月24日閲覧。 
  49. ^ 「「エジプト情勢 これからどうなる」① 鈴木恵美 早稲田大学イスラーム」鈴木恵美
  50. ^ Inflation, consumer prices (annual %)”. World Bank. 2013年7月9日閲覧。
  51. ^ “Real GDP records a growth rate of 2.3%”. Daily News Egypt. (2013年9月15日). http://www.dailynewsegypt.com/2013/09/15/real-gdp-records-a-growth-rate-of-2-3/ 2013年9月17日閲覧。 
  52. ^ “CAPMAS says tourist numbers improved almost 20% in 2012”. Egypt Independent. (2013年3月13日). http://www.egyptindependent.com/news/capmas-says-tourist-numbers-improved-almost-20-2012 2013年7月10日閲覧。 
  53. ^ “'Booze and bikinis are welcome in Egypt' says tourism minister”. Daily Mail. (2013年5月6日). http://www.dailymail.co.uk/travel/article-2320139/Booze-bikinis-welcome-Egypt-says-tourism-minister.html 2013年7月10日閲覧。 
  54. ^ Press Release BOP Performance In July/March of FY 2012/2013”. Central Bank Of Egypt. 2013年8月19日閲覧。
  55. ^ “Egypt exports rise 17% year-on-year in H1/ 2013”. Ahramonline. (2013年8月10日). http://english.ahram.org.eg/News/78722.aspx 2013年8月14日閲覧。 
  56. ^ “Egypt's BOP deficit narrowed by 81.2 pct in 9 months”. Globaltimes.cn. (2013年6月20日). http://www.globaltimes.cn/content/790271.shtml#.Ud6F8-Wqky4 2013年7月11日閲覧。 
  57. ^ “Egypt’s foreign reserves resume decline in July”. Alarabiya English. (2013年7月6日). http://www.alarabiya.net/articles/2012/08/07/230969.html 2013年8月24日閲覧。 
  58. ^ “Foreign currency reserves rise to US$16 billion in May”. Egypt Independent. (2013年7月6日). http://www.egyptindependent.com/news/foreign-currency-reserves-rise-us16-billion-may 2013年8月24日閲覧。 
  59. ^ “Egypt sets LE1200 as minimum wage for government workers”. Ahramonline. (2013年9月18日). http://english.ahram.org.eg/News/81942.aspx 2013年9月19日閲覧。 
  60. ^ “Egypt’s Mursi backs Palestinians, Syrians”. Khaleej Times. http://www.khaleejtimes.com/displayarticle.asp?xfile=data/middleeast/2012/June/middleeast_June364.xml&section=middleeast&col= 2012年7月1日閲覧。 
  61. ^ a b c “エジプト大統領、全方位外交探る 中国・イラン歴訪”. 日本経済新聞. (2012年8月29日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM28066_Y2A820C1FF1000/ 2019年7月7日閲覧。 
  62. ^ “Egyptian President Mursi and Saudi King Abdullah discuss regional stability”. Al Arabiya. http://english.alarabiya.net/articles/2012/07/11/225853.html 2012年7月13日閲覧。 
  63. ^ 中国、エジプト外交にブレイクスルー”. ロシアの声. 2012年8月28日閲覧。
  64. ^ “胡主席、「エジプト大統領の訪問は両国関係を推進」”. 中国国際放送. (2012年8月28日). http://japanese.cri.cn/881/2012/08/28/161s197520.htm 2012年8月28日閲覧。 
  65. ^ “习近平会见埃及总统穆尔西”. 新京報網. (2012年8月29日). http://www.bjnews.com.cn/news/2012/08/29/219691.html 2012年8月29日閲覧。 
  66. ^ “China grants Egypt LE430 million”. Ahramonline. (2012年8月28日). http://english.ahram.org.eg/News/51490.aspx 2012年8月31日閲覧。 
  67. ^ Cairo Pays Homage To Iran's Last Shah Radio Farda. 2 August 2017日
  68. ^ Iran appoints ambassador to Egypt, first in 30 years Reuters. 19 April 2011
  69. ^ “エジプト:イランに接近…大統領、断交後初訪問へ”. 毎日新聞. (2012年8月23日). http://mainichi.jp/select/news/20120823k0000e030159000c2.html 2012年8月29日閲覧。 
  70. ^ 北川学 (2012年9月19日). “中東4カ国協議、月末に米で再協議へ シリア問題めぐり”. 朝日新聞. http://www.asahi.com/international/update/0919/TKY201209190875.html 2012年9月25日閲覧。 
  71. ^ “Morsi opposes foreign intervention in Syria”. The Daily Star. (2012年9月25日). http://www.dailystar.com.lb/News/Middle-East/2012/Sep-25/189129-morsi-opposes-foreign-intervention-in-syria.ashx#axzz27T09XZl1 2012年9月25日閲覧。 
  72. ^ “民主化努力に支援表明=野田首相、エジプト大統領と会談”. 時事通信. (2012年9月27日). http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012092700028 2012年9月27日閲覧。 
  73. ^ “Egypt's Morsi in Turkey: 'Arab Spring needs your support'”. Ahram online. (2012年9月30日). http://english.ahram.org.eg/News/54324.aspx 2012年9月30日閲覧。 
  74. ^ “エジプト:駐イスラエル大使召還 ハマス幹部殺害に抗議で”. 毎日新聞. (2012年11月15日). https://web.archive.org/web/20121116074044/http://mainichi.jp/select/news/20121115k0000e030144000c.html 2012年11月16日閲覧。 
  75. ^ “ガザ停戦成立、エジプト仲介 地上戦回避、経済封鎖緩和”. 朝日新聞. (2012年11月22日). http://www.asahi.com/international/update/1122/TKY201211211083.html 2012年11月22日閲覧。 
  76. ^ “ガザ:調停のエジプト大統領を「強く称賛」…国連安保理”. 毎日新聞. (2012年11月22日). http://mainichi.jp/select/news/20121122k0000e030180000c.html 2012年11月22日閲覧。 
  77. ^ “イスラエル:ガザ攻撃 停戦合意 米大統領、エジプトの指導力評価”. 毎日新聞. (2012年11月22日). http://mainichi.jp/select/news/20121122dde007030023000c.html 2012年11月22日閲覧。 
  78. ^ “Pakistan, Egypt to strengthen relations”. Dawn. (2013年3月19日). http://dawn.com/2013/03/19/pakistan-egypt-to-strengthen-relations/ 2013年3月19日閲覧。 
  79. ^ トピックス 2013年06月号”. 在ブラジル日本大使館. 2013年9月7日閲覧。
  80. ^ 「エジプトとエチオピアに「水戦争」も、ナイル上流の巨大ダムめぐり」 Reuters2013年 06月 11日
  81. ^ “ナイル川:水争い、激化 上流エチオピア、ダム計画 エジプト大統領「血流す覚悟」”. 毎日新聞. (2013年6月17日). オリジナルの2013年8月19日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20130819020137/http://mainichi.jp/select/news/20130617ddm007030006000c.html 2013年8月23日閲覧。 
  82. ^ a b 「エジプト:経済失政が命取り…クーデター」 Archived 2013-08-18 at Archive.is毎日新聞 2013年07月04日
  83. ^ a b アラン・グレシュ (2013年8月). “弾圧されるムスリム同胞団、イスラム政治勢力の危機”. ル・モンド・ディプロマティーク. https://jp.mondediplo.com/2013/08/article622.html 
  84. ^ エジプト政変 軍が大統領拘束、選挙呼びかけ”. 日本経済新聞社 (2013年7月4日). 2020年9月17日閲覧。
  85. ^ “エジプト軍クーデター 暫定政府樹立を宣言”. 東京新聞. (2013年7月4日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2013070402000277.html 2013年7月4日閲覧。 
  86. ^ “米政府、エジプト政変を「クーデター」と呼ばず”. CNN.co.jp. (2013年7月9日). https://www.cnn.co.jp/usa/35034435.html 2015年5月16日閲覧。 
  87. ^ “米大統領、エジプト軍に懸念 サウジ国王は支持表明”. 朝日新聞デジタル. (2013年7月4日). http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130704-00000019-asahi-int 2013年7月12日閲覧。 
  88. ^ 「焦点:エジプトめぐる米大統領の「誤算」、消え行く影響力」 ニューズウィーク2013年08月17日
  89. ^ “エジプト:同胞団政権の崩壊 周辺国の外交姿勢に変化”. 毎日新聞. (2013年7月13日). http://mainichi.jp/select/news/20130714k0000m030027000c.html 2013年7月14日閲覧。 
  90. ^ “モルシ元大統領に禁錮20年=12年の拷問関与-エジプト”. 時事通信社. (2015年4月21日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201504/2015042100763 2015年5月16日閲覧。 
  91. ^ “エジプト裁判所 モルシ元大統領「死刑に相当」 5月16日 20時57分”. 日本放送協会. (2015年5月16日). https://megalodon.jp/2015-0516-2324-15/www3.nhk.or.jp/news/html/20150516/k10010082101000.html 2015年5月16日閲覧。 
  92. ^ “Mohamed Morsi sentenced to death by Egyptian court”. Guardian. (2015年5月16日). http://www.theguardian.com/world/2015/may/16/mohammed-morsi-sentenced-death-egyptian-court-former-president 2015年5月16日閲覧。 (英語)
  93. ^ “Egypt sentences Mohamed Morsi to death”. Al Jazeera. (2015年5月16日). http://www.aljazeera.com/news/2015/05/egypt-sentences-mohammed-morsi-death-150516091845111.html 2015年5月17日閲覧。 (英語)
  94. ^ “モルシ前大統領「死刑相当」…刑務所襲撃に関与”. 読売新聞. (2015年5月17日). https://megalodon.jp/2015-0519-0454-49/www.yomiuri.co.jp/world/20150517-OYT1T50010.html 2015年5月19日閲覧。 
  95. ^ “判決16日に延期=モルシ元大統領裁判-エジプト”. 時事通信社. (2015年6月2日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201506/2015060200524 2015年6月6日閲覧。 
  96. ^ “モルシ元大統領、「スパイ行為」で終身刑 エジプト裁判所”. フランス通信社. (2015年6月16日). https://www.afpbb.com/articles/-/3051856 2015年6月17日閲覧。 
  97. ^ “エジプト:モルシ元大統領に死刑判決…刑務所襲撃に関与”. 毎日新聞. (2015年6月16日). https://web.archive.org/web/20150616194227/http://mainichi.jp/select/news/20150617k0000m030075000c.html 2015年6月17日閲覧。 
  98. ^ “エジプト最高裁、モルシ元大統領への死刑判決覆す判断”. AFPBB News (フランス通信社). (2016年11月15日). https://www.afpbb.com/articles/-/3108066?cx_part=topstory 2016年11月15日閲覧。 
  99. ^ モルシ前大統領が死去 出廷中に倒れ搬送 - AFPBB News 2019年6月18日
  100. ^ Son of Egypt’s President-elect Mursi to resume medical career in Saudi Arabia”. Al Arabiya. 2012年7月1日閲覧。

外部リンク

[編集]
公職
先代
ムハンマド・フセイン・タンターウィー
(代行、軍最高評議会議長)
エジプトの旗 エジプト・アラブ共和国大統領
2012年 - 2013年
次代
アドリー・マンスール
(暫定、最高憲法裁判所長官)
党職
先代
創設
自由と公正党党首
2011年 - 2012年
次代
ムハンマド・サアド・カタートニー
外交職
先代
ムハンマド・フセイン・タンターウィー
(代行)
非同盟諸国首脳会議事務総長
2012年
次代
マフムード・アフマディーネジャード