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メラワティの丘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
メラワティの丘
Bukit Malawati
メラワティの丘の位置(マレーシア内)
メラワティの丘
メラワティの丘 (マレーシア)
位置 北緯3度20分31秒 東経101度14分46秒 / 北緯3.34194度 東経101.24611度 / 3.34194; 101.24611座標: 北緯3度20分31秒 東経101度14分46秒 / 北緯3.34194度 東経101.24611度 / 3.34194; 101.24611
所在地 マレーシアの旗 マレーシアセランゴール州の旗 セランゴール州クアラ・セランゴール
プロジェクト 山
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メラワティの丘(メラワティのおか、ブキット・メラワティ[1][注 1]マレー語: Bukit Malawati[2]〈Melawati[1][3]英語: Malawati〈Melawati〉 Hill[4])は、マレーシアクアラ・セランゴールに位置するヒルフォート: hillfort〈丘の上の[5]〉)が築かれたマレー語: Bukit)である[3]。メラワティの丘は、地元で人気の観光名所であり[3]クアラ・セランゴール評議会英語版により管理される[4]

ヒルフォートは、マラッカ海峡に流れ出るセランゴール川英語版河口にあって、インドネシアスマトラ島との海峡の双方に見晴らしの良い位置にあり、戦略的に重要な地点を占めていた。メラワティの丘の歴史的史跡として、古い灯台16世紀初頭のにさかのぼるメラワティ要塞(マレー語: Kota Malawati〈Melawati[3]英語: Malawati〈Melawati[6]〉 Fort[4])などが知られるほか[3]、メラワティの丘には、3人の初期セランゴールのスルタン英語版霊廟もある[4]

歴史

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当初の砦は、16世紀初頭、マラッカ王国14世紀[7]1400年頃〉-1511年[8])のスルタンマームド・シャー英語版(在位1488-1511年[9])の命令により、現地のマレー人によって構築された。17世紀末頃にかけてブギス族の入植者がマレー半島西海岸に定着し始め、1743年にセランゴール初のラージャ (マレー語: Yang di-Pertuan Besar〈Yamtuan Besar〉) となった Raja Lumu(在位1743-1766年)が、サラフディン・シャー英語版(在位1766-1782年)としてセランゴールの初代スルタンに就いた[10]

1782年にサラフディンの後を継いだスルタン、イブラヒム・シャー英語版(在位1782-1826年)は[11]、オランダ(オランダ海上帝国)の進攻に備えての防衛措置として、要塞を一層強固なものにした。それにも関わらず、要塞は1784年7月[4]13日に強襲され、クアラ・セランゴールはオランダ軍に占領された[12]。このディルク・ファン・ホーヘンドルプ英語版率いる激烈な軍事作戦は、当時オランダの拠点であったムラカ(マラッカ)のファモサ要塞英語版に対して、イブラヒムの同盟者であるラジャ・ハジ・フィサビッリラー英語版が行なった一連の襲撃に対する報復として実施された。ラジャ・ハジは戦いのなか殺されたが、オランダ側はラジャ・ハジに海上支援を供与したイブラヒム・シャーに報復を望んでいた。オランダ東インド会社 (VOC) は、その後、艦隊をクアラ・セランゴールに派遣し、スルタン・イブラヒム・シャーに向けて攻撃を仕掛けた。進攻するファン・ホーヘンドルプのオランダ東インド会社の大型艦隊は、2週間にわたり水上から大砲で要塞を攻撃し、スルタン・イブラヒム・シャーの勢力を付近のジャングルに追いやった。イブラヒム・シャー自身はブルナム英語版に逃れ、その後パハンに避難した。

イブラヒムの逃走の後、オランダ勢は要塞を占領し、1797年にかけてオランダ領東インドの総督ウィレム・アーノルド・アルティング英語版にちなんで要塞の名を、アルティングスバーグの砦[13]マレー語: Kubu Altingsburg[14]英語: Fort Altingburg)に変更した。その後、スルタン・イブラヒムは、1785年1月28日に兄弟の Dato' Penggawa Permatang Mahabijaya 〈Penggawa Tua〉および Bendahara Adb の助けを借りて戻り、要塞を奪還した[4]。後に要塞はクラン戦争英語版(セランゴール内戦、1867-1873年[15])のうちに破壊された。

史跡・見所

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メラワティの丘のシルバールトン類(: Selangor silvered langur)とカニクイザル

メラワティの丘(ブキット・メラワティ)は、クアラ・セランゴール自然公園[16]カンポン・クアンタン英語版[17]ホタル公園[18]などその他の観光名所の近くに位置する[3]。メラワティの丘(ヒルフォート)で有名なものに、路面列車の乗り物(トラム)、スルタンの霊廟、それに博物館などがある[3]

マラッカ海峡を展望するメラワティの丘は、サルが集まる場所としても有名であり、丘上にいるシルバールトン英語版(シルバーリーフモンキー)類(: Selangor silvered langur[注 2])は、よくヒトに慣れている[21]。また、カニクイザルも生息する[22]

クアラ・セランゴール灯台

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クアラ・セランゴール灯台は、アルティングスバーグ灯台(マレー語: Rumah Api Altingsburgh)としても知られ、灯台は当初、1794年オランダ領マラッカ英語版1641-1824年[23])の時代に建てられた。その後、イギリス領マラヤ1874[24]-1946年)の1907年に再改築された後、1910年より再び本格稼動を開始した。完全に機能する灯台は、今日、メラワティの丘の特徴的景観の1つを呈している。灯火標高73メートルで、現在は電気で作動する。毎15秒に2閃光し、光達距離は最大56キロメートルとなる[14]

バトゥ・ハムパル(板石)

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バトゥ・ハムパル(マレー語: Batu Hampar〈板石〉、英語: The Bedrock)は、縦横 5フィート (1.5 m)・厚さ 1.5フィート (0.5 m)[14]ほどの方形の石で、台座に支えられ[25]、メラワティの丘の中庭 30フィート (9.1 m) 四方の場所に置かれている[14]。伝承によれば、板石は死刑執行の場であり、斬首に使用されたといわれる[14]。また、セランゴールの第4代スルタン、アブドゥル・サマド英語版(在位1857-1898年)は、板石に座って沈む夕日を眺めていたとも伝えられる[25]

メラワティ要塞

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メラワティの丘のヒルフォートを固めた大砲

メラワティ要塞(マレー語: Kota Malawati)の大砲は、18世紀のセランゴール第2代スルタン、イブラヒム・シャー英語版の治世のうちに築造された要塞を[4]取り囲むように固める防備の輪として拡充された[26]

毒井戸

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毒井戸(マレー語: Perigi Beracun)は、地元の伝承によれば、裏切り者の拷問のために使われたものとされる。犯罪者は、刑罰としての高さまでラテックスタケノコなどの刺激物を混ぜ合わせた水溶液剤で満たされた井戸に入れられた。現在は安全のために鉄格子で覆われている。

スルタンの霊廟

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スルタンの霊廟(マレー語: Makam Diraja)は、セランゴールの当初の3人のスルタン、サラフディン・シャー、イブラヒム・シャー、ムハンマド・シャー[4][26]ならびにその妻、および同族のマフムド・シャー英語版の墓所となる。一般には公開されていない。

クアラ・セランゴール地区歴史博物館

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クアラ・セランゴール地区歴史博物館(マレー語: Muzium Sejarah Daerah Kuala Selangor英語: Kuala Selangor District Historical Museum)は、灯台からあまり遠くないところに位置し[27]、かつてクアラ・セランゴール地区の官邸であった古いの建物を利用して開館している。セランゴールの初代スルタン、サラフディン (Raja Lumu) の時代に始まる墓石、武器、砲弾などの遺物、ジオラマの展示のほか、初期の通貨、スルタンに関するものなどクアラ・セランゴールやセランゴールの歴史について紹介される。火-日曜日9:30-17:30開館。無料[28]

脚注

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注釈

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  1. ^ 日本語標記として、ムラワティ(マラワティ)の丘、ブキ(ブキッ)・ムラワティ(マラワティ)などとも記される。
  2. ^ シルバールトン英語版の亜種 T. cristatus selangorensis[19]もしくは別種 T. selangorensis として、英名 Selangor silvered langur(セランゴールシルバールトン)に分類される[20]

出典

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  1. ^ a b 『MALAYSIA マレーシアでのバードウォッチング』マレーシア政府観光局、観光文化省、マレーシア、2014年、12頁。 
  2. ^ Bukit Malawati” (マレー語). Majlis Perbandaran Kuala Selangor. MPKS. 2022年7月1日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g Bukit Malawati”. visitselangor.com. 2022年7月1日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h Malawati Hill” (英語). Kuala Selangor Municipal Council. MPKS. 2022年7月1日閲覧。
  5. ^ 小学館ランダムハウス英和大辞典
  6. ^ Rajendra, Edward (2015年11月2日). “Abandoned facilities in Kota Malawati disappoint visitors”. The Ster. Star Media Group. 2022年7月1日閲覧。
  7. ^ 南出眞助「年代記と地理書からみたマラッカ王国」(PDF)『追手門学院大学国際教養学部紀要』第43号、追手門学院大学国際教養学部、2008年1月29日、69-86頁、ISSN 1882630X2022年7月1日閲覧 
  8. ^ マラッカ王国”. コトバンク. 2022年7月1日閲覧。
  9. ^ Mahmud Shah”. Britannica. 2022年7月1日閲覧。
  10. ^ Ahmad Farhan Abdullah Zakaria & Mohd. Samsudin (2019-07). “Pembentukan Istilah dan Stratifikasi Aristokrat Melayu Selangor Era Sultan Salehuddin, Sultan Selangor Pertama, 1766-1782 (The Formation of the Terms and Stratification of the Selangor Malay Aristocracy in the Era of Sultan Salehuddin, First Sultan of Selangor, 1766-1782) (マレー語) (PDF). Akademika: Journal of Southeast Asia Social Sciences & Humanities 89 (2): 67-81. ISSN 0126-5008. http://ejournals.ukm.my/akademika/article/view/26663/9683 2022年7月1日閲覧。. 
  11. ^ Jamilah Mohamad; Goh Hong Ching (2015). Land Use Dynamics and Governance in Sungai Selangor Watershed. University of Malaya Press. p. 11. ISBN 978-983-100-831-7. https://books.google.co.jp/books?id=f6V0EAAAQBAJ&printsec=frontcover&hl=ja&source=gbs_ge_summary_r&cad=0#v=onepage&q&f=false 2022年7月1日閲覧。 
  12. ^ Sejarah Kesultanan Selangor (History of Sultanate Selangor)” (マレー語). Kerajaan Negeri Selangor. 2022年7月1日閲覧。
  13. ^ 「地球の歩き方」編集室 編『マレーシア ブルネイ』(2020-2021年版)ダイヤモンド・ビッグ社〈地球の歩き方 D19〉、2019年、114頁。ISBN 978-4-478-82410-8 
  14. ^ a b c d e Mohd Haidi Mohd Kasran; Rozeha Harun; Mohd Hairul Izwan Mohd Kasran (2021-09). “Tinggalan Warisan Monumen di Kota Melawati: Satu Penilaian Semula (Monument Heritage Remainders in Kota Melawati: A Review) (マレー語) (PDF). Jurnal Arkeologi Malaysia: Malaysia Journal Of Archaeology 34 (2): 113-128. ISSN 0128-0732. http://arkeologimalaysia.org.my/jurnalarkeologi/index.php/jurnalarkeologi/article/view/247 2022年7月1日閲覧。. 
  15. ^ Selangor Civil War”. Britannica. 2022年7月1日閲覧。
  16. ^ Kuala Selangor Nature Park” (英語). Kuala Selangor Municipal Council. MPKS. 2022年7月1日閲覧。
  17. ^ Kg. Kuantan Fireflies” (英語). Kuala Selangor Municipal Council. MPKS. 2022年7月1日閲覧。
  18. ^ カンポンクアンタン蛍公園”. セランゴール州政府観光局 (2020年). 2022年7月1日閲覧。
  19. ^ Roos, Christian; Nadler, Tilo; Walter, Lutz (2008-06). “Mitochondrial phylogeny, taxonomy and biogeography of the silvered langur species group (Trachypithecus cristatus)”. Molecular Phylogenetics and Evolution 47 (2): 629–636. doi:10.1016/j.ympev.2008.03.006. PMID 18406631. https://www.researchgate.net/publication/5445311 2022年7月1日閲覧。. 
  20. ^ Roos, Christian; Boonratana, Ramesh; Supriatna, Jatna; Fellowes, John R.; Groves, Colin P.; Nash, Stephen D.; Rylands, Anthony B.; Mittermeier, Russell A. (2014). “An updated taxonomy and conservation status review of Asian primates”. Asian Primates Journal 4 (1): 2−38. ISSN 1979-1631. http://static1.1.sqspcdn.com/static/f/1200343/25106535/1403670682630/2014June24_APJ_Vol4_1.pdf?token=EY6Cm%2BAdyf9lSBug8Jv%2BeF%2B%2BPDM%3D 2022年7月1日閲覧。. 
  21. ^ Badrul Munir Md-Zain; Norlinda Mohd-Daut; Shukor Md-Nor (2009–2010). “Characterizing Silvered Leaf Monkey–Visitor Interactions at Bukit Malawati, Kuala Selangor, Malaysia” (PDF). The Journal of Wildlife and Parks (Perhilitan) 26: 83–94. http://www.wildlife.gov.my/images/document/penerbitan/jurnal/JWP%202009-2010%20VOLUME%2026/JWP%202009-2010%20VOL%2026_12.pdf 2022年7月1日閲覧。. 
  22. ^ 今年の干支! 可愛い猿と触れ合おう マラッカ海峡が望めるムラワティの丘”. MTown.my (2016年7月29日). 2022年7月1日閲覧。
  23. ^ マラッカ”. コトバンク. 2022年7月1日閲覧。
  24. ^ 坪井祐司「英領マラヤにおけるマレー人概念の土着化: スランゴル州におけるマレー人エリート層の形成」(PDF)『東洋学報』第93巻第2号、東洋文庫、2011年9月、246-221 (01-026)、ISSN 0386-9067、AN00169858、2022年7月1日閲覧 
  25. ^ a b Batu Hampar” (英語). Selangor.travel (2021年8月8日). 2022年7月1日閲覧。
  26. ^ a b Muzium Sejarah Daerah Kuala Selangor” (マレー語). KualaSelangor.My. 2022年7月1日閲覧。
  27. ^ Escapy Travel Magazine (2020年). “Kuala Selangor District Historical Museum”. 2022年7月1日閲覧。
  28. ^ Kuala Selangor District Historical Museum”. Selangor.travel (2021年8月3日). 2022年7月1日閲覧。

外部リンク

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