モルドムサ・コンガンチエフ
表示
モルドムサ・コンガンチエフ(ロシア語: Молдомуса Ташболотович Конгантиев, ラテン文字転写: Moldomusa Tashbolotovich Kongantiyev、1958年3月31日 - 2022年2月12日[1])は、キルギス共和国の政治家、内務官僚。内務相(在職:2008年 - 2010年)。民警少将。
経歴
[編集]オシ州(現ジャララバード州)マイリ・サイ市出身。キルギス人。
- 1979年~1985年 - マイリ・サイ市執行員会内務課の民警官、当直補佐、当直民警
- 1985年~1988年 - ウズゲンスキー地区執行委員会内務課の区域監察官、捜査係
- 1988年~1990年 - カラ・スイスキー地区執行委員会内務課の捜査係
- 1990年~1991年 - バザール・コルゴンスキー地区執行委員会内務課の先任捜査係
- 1991年~1995年 - ジャラル・アバド市内務局の経済犯罪対策課長、副局長
- 1995年~1999年 - ジャラル・アバド州内務局勤務
- 1999年~2000年 - 内務省オシ州・ジャラル・アバド州地域間局の課長
- 2000年~2001年 - ジャラル・アバド州スザクスキー地区内務課人事担当副課長
- 2001年~2004年 - ジャラル・アバド市輸送機関内務部の班長、内務課長
- 2004年~2005年 - ジャラル・アバド州内務局輸送民警の戦列課長
- 2005年 - ビシュケク市内務局長
- 2005年 - 内務次官
- 2005年~2008年 - ビシュケク市内務局長
2008年1月14日、内務相。
2010年キルギス騒乱後、内務相を解任され、集会への発砲の責任を問われて指名手配された。4月26日、モスクワで逮捕。
パーソナル
[編集]妻帯。娘は、ジョゴルク・ケネシュ代議員アラプバイ・トロノフの息子に嫁いだ。兄のカムバラルィ・コンガンチエフは、キルギス共和国検事総長。
「ビリム・ベルー・オトリチニギ」(キルギス共和国教育優秀者)胸章を受章。
脚注
[編集]- ^ ОСМОНАЛИЕВА, Бактыгуль (2022年2月12日). “Скончался экс-глава МВД Молдомуса Конгантиев” (ロシア語). 24.kg. 2022年3月18日閲覧。