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ヤフヤー・ムウタスィム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヤフヤー・ムウタスィム
ムワッヒド朝第8代アミールカリフ
在位 1227年 - 1229年

死去 1236年
王朝 ムワッヒド朝
父親 ムハンマド・ナースィル
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ヤフヤー・ムウタスィムアラビア語:أبو زكرياء المعتصم يحي بن الناصر, Yahya al-Mu`tasim, ? - 1236年)は、ムワッヒド朝第9代アミールカリフ、在位:1227年 - 1229年)。第4代カリフムハンマド・ナースィルの子でユースフ2世は兄。

1227年に叔父でカリフのアブドゥッラー・アーディル暗殺したシャイフたちに擁立(初めアーディルの弟イドリース・マアムーンがカリフ候補に上がったが撤回された)、モロッコマグリブ)・マラケシュでカリフとして宣言された。だが翌1228年、マアムーンがイベリア半島アンダルス)からモロッコに上陸、1229年から1230年の内戦でムウタスィムに勝利してムワッヒド朝の支配を握った。敗れたムウタスィムは山地に逃れた[1][2][3]

再起を図りマラケシュを占領、1232年に奪還に向かったマアムーンは急死したが、息子のアブドゥル・ワーヒド2世が戦闘を継続した。ムウタスィムはアトラス山脈に逃れて抵抗したが、1236年に敗死した[4][5]

脚注

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参考文献

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  • 余部福三『アラブとしてのスペイン』第三書館、1992年。
  • D・T・ニアヌ編、宮本正興責任編集『ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻上 12世紀から16世紀までのアフリカ同朋舎出版、1992年。
  • D.W.ローマックス著、林邦夫訳『レコンキスタ 中世スペインの国土回復運動刀水書房、1996年。
先代
アブドゥッラー・アーディル
ムワッヒド朝第8代アミール
1227年 - 1229年
次代
イドリース・マアムーン