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ヤルマリ・ルオココスキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヤルマリ・ルオココスキ
Jalmari Ruokokoski
自画像 (1912)
生誕 (1886-12-03) 1886年12月3日
ロシア、サンクトペテルブルク
死没 1936年4月1日(1936-04-01)(49歳没)
フィンランド、ヘルシンキ
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ルオココスキ作、ラップランドの人物 (1919)

ヤルマリ・ルオココスキ(Joel Jalmari (Jali) Ruokokoski、1886年12月3日 - 1936年4月1日)は、ロシア生まれのフィンランドの画家である。表現主義のスタイルの人物画を描き、フィンランドにおける表現主義の美術家グループ「11月グループ(Marraskuun ryhmä)」の正式なメンバーではなかったが、その展覧会にも出展した[1][2][3]

略歴

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ロシアのサンクトペテルブルクで生まれた。父親はフィンランドのサヴォ出身の靴職人で[4]、ヤルマリ・ルオココスキが13歳の時、家族とヘルシンキに移った。ヘルシンキの工芸学校(Taideteollisuuskeskuskoulussa、後のヘルシンキ芸術デザイン大学)で学んだ後、1903年から1906年の間フィンランド美術協会の美術学校(Suomen taideyhdistyksen piirustuskoulu)で学んだ。後に美術家グループ「11月グループ」の中心的役割をはたすティコ・サリネン(Tyko Sallinen: 1879-1955)と知り合った[1]。1905年にヘルシンキのフィンランド芸術家協会展(Suomen taiteilijain näyttely)に初めて出展し、雑誌などにイラストを描いて収入を得るようになった。1907年にカフェで知り合った女性と婚約し、彼女をモデルに作品を描くが婚約はすぐに破綻した。

1909年に当時16歳であったサーカスの綱渡りの女性と結婚し、ティコ・サリネンが結婚の立ち合い人を務めた。結婚相手をモデルにし、多くのサーカスを題材にした作品を描いたが1913年に離婚することになった。

1910年にパリに旅し、印象派の画家と知り合った。1913年にはデンマークのヘルシンゲルで美術収集家で仕立て屋のNiels-Peder Rydengの家に住み、滞在先の家族の肖像画など5週間で60点の表現主義の絵画を描いたとされる[5]。フィンランドに帰国後、アテネウム美術館で展覧会を開いて成功を収めた。

1916年から1918年の間は、ヘルシンキの北のヒュヴィンカーにスタジオを開いて活動した[6] 。1914年に建てられたヒュヴィンカーの映画館(Hyvinkään Elävien Kuvien Teatteri)の装飾画も描き、この作品は現在も残っている。

1918年にモデルであった女性と再婚し、5人の子供が生まれた[4]。ルオココスキは画家として成功したが、収入はパーティーなどで浪費したとされる。 1919年までフィンランド芸術家協会展に出展し、1916年から何度か、ストックホルムやコペンハーゲン、ヨーテボリ、オスロ、ミラノやローマなど国外の展覧会にした。

経済的に困難に直面した後、静物画や風景画などを手早く描いたり、雑誌のための簡単な挿絵を描いて収入を補った。1924年に骨董店を経営するが1年で閉店した。[4]

1935年にヘルシンキとサヴォンリンナで最後の展覧会を開催した後、がんのためヘルシンキで入院し、翌年49歳で亡くなった。

作品

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脚注

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  1. ^ a b Mäcklin, Harri (8 August 2020). “Miksi Jalmari Ruokokoski, taitava taidemaalari, jäi ystävänsä Tyko Sallisen varjoon?”. Helsingin Sanomat. https://www.hs.fi/kulttuuri/art-2000006595014.html 18 August 2020閲覧。 
  2. ^ Ruokokoski, Jalmari (1886 - 1936)”. Kansallisbiografia (14 February 2008). 18 August 2020閲覧。
  3. ^ Jalmari Ruokokoski (1886–1936)”. Oravien aarteita. Jyväskylän taidemuseon Holvi. 18 August 2020閲覧。
  4. ^ a b c Biography @ Oravien Aarteita (Taidemuseo)
  5. ^ Niels-peder Rydeng and his art collection @ the Obro Art Gallery.
  6. ^ Humala ja Krapula @ the Hyvinkää website.

参考文献

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  • Leonard Bäcksbacka, "J. Ruokokoski - Ungdomsverk", Konstsalongens förlag, 1943
  • Leonard Bäcksbacka, "J. Ruokokoski - Bohemen - Bravurkonstnären", Konstsalongens förlag, 1944
  • Lea Bergström, Pirjo Hämäläinen-Forslund and Raisa Laurila-Hakulinen, Minä, Jalmari Ruokokoski, Hyvinkään taidemuseo, 1997 ISBN 951-96217-8-4
  • Marina Catani and Anja Luther, Jalmari Ruokokoski 1886-1936: teoksia yksityiskokoelmista (works from private collections), Didrichsenin taidemuseo, 1996