ヤロポルク・アンドレエヴィチ
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ヤロポルク・アンドレエヴィチ Ярополк Андреевич | |
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出生 |
12世紀前半 |
家名 | リューリク家 |
父親 | ヴォルィーニ公アンドレイ・ドブルィー |
母親 | トゥゴルカンの孫娘 |
ヤロポルク・アンドレエヴィチ(ロシア語: Ярополк Андреевич、生没年不明)は、キエフ大公ウラジーミル・モノマフの孫、ヴォルィーニ公アンドレイ・ドブルィーの子にあたる人物である[1]。
1157年、トゥーロフ公ユーリーに対するキエフ大公イジャスラフの遠征軍に参加し、トゥーロフを攻めた。攻囲軍は10週間の間トゥーロフを囲んだが、軍馬の病死・欠乏によって撤退を余儀なくされた。1159年もしくは1160年の冬には[2]、ヴォルィーニ公ムスチスラフに加勢して再びユーリーの守るトゥーロフを攻めたが、またも陥すことができず撤退した。
出典
[編集]- ^ Ярополк Андреевич
- ^ Бережков Н. Г. Хронология русского летописания