ヤロポルク・ヤロスラヴィチ
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ヤロポルク・ヤロスラヴィチ Ярополк Ярославич | |
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ノヴゴロド公 | |
ヤロポルクのノヴゴロドへの到着とノヴゴロドからの出発 | |
在位 | 1197年 |
死去 |
1212年以降 |
配偶者 | ヴァシリサ |
子女 | フセヴォロド |
家名 | リューリク家 |
父親 | チェルニゴフ公ヤロスラフ |
ヤロポルク・ヤロスラヴィチ(ロシア語: Ярополк Ярославич、? - 1212年以降)は、チェルニゴフ公ヤロスラフの子である。チェルニゴフ公国の分領公、ノヴゴロド公:1197年。聖名ガヴリイル。
ルーシの年代記(レートピシ)には二回の言及が見られる。すなわち、1197年にノヴゴロドを領有していたという記述と、1212年の項である。1212年には[1]、ヤロポルクは兄弟のロスチスラフと共に、チェルニゴフ公家のフセヴォロド(このときキエフ大公)を攻撃したムスチスラフの軍の捕虜となっている。
ヤロポルクの妻の名はヴァシリサといい、子にはフセヴォロドという人物がいた。また一説には、チェルニゴフ公アンドレイ(1263年没)はヤロポルクのひ孫であるというものがある。