ヤンスク・カヒッゼ
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ヤンスク・カヒッゼ | |
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基本情報 | |
生誕 |
1936年5月26日 グルジア・ソビエト社会主義共和国 バグダーティ区オブチャ |
死没 |
2002年3月7日(65歳没) ジョージア トビリシ |
学歴 | トビリシ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 指揮者 |
ヤンスク・カヒッゼ(グルジア語: ჯანსუღ კახიძე, ラテン文字転写例:Jansug[1] Kakhidze, 1936年5月26日 – 2002年3月7日)は、旧ソ連・グルジア共和国出身の指揮者[2]。
経歴
[編集]1936年、バグダーティ区オブチャに生まれた。合唱指揮者を目指してトビリシ音楽院に入学したが、その後オーケストラの指揮者に志望を変更。その後モスクワに出て、マルケヴィチの指導を受けた。
1957年に声楽アンサンブル「Shvidkaca」を創設し、第6回モスクワ世界青年音楽祭とブリュッセルの国際コンクールに優勝、グルジア国立合唱団の音楽監督となる。1962年にはトビリシ国立歌劇場の指揮者に就任。1973年からトビリシ交響楽団の芸術監督を長くつとめ、また1998年からトビリシ国立歌劇場の芸術監督、首席指揮者を兼任した。
ソ連邦の崩壊以降は欧州でも活動し、1990年にはフランスに進出し、パリ管弦楽団を指揮したベルリオーズの「ファウストの劫罰」は高い評価を受けた。その後もイギリスでロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、アメリカでボストン交響楽団、ワシントン・ナショナル交響楽団を指揮するなど、各国で成功を収めた。1986年にレニングラード・フィルハーモニー交響楽団と来日している。晩年にはシュトゥットガルト放送交響楽団にもリムスキー=コルサコフで客演した。
家族・親族
[編集]- 息子:ヴァクタン(ヴァフタング)も指揮者である。
評価・業績
[編集]グルジアを代表する指揮者であり、1965年にはソ連人民芸術家の称号を受けた。フランスのル・モンド紙は「スラヴのカラヤン」と評した。同郷のギヤ・カンチェリとの親交が深く、七つの交響曲すべてを録音し、数多くの初演を任されている。
脚注
[編集]- ^ Djansug, Dzhansug等の異表記が混在する。(典拠管理参照)
- ^ oyecinema.com