ユリアン・ファワト
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ユリアン・ファワト Julian Fałat | |
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自画像 | |
生誕 |
1853年7月30日 Tulyholove |
死没 |
1929年7月9日 Bystra, Bielsko County |
ユリアン・ファワト(Julian Fałat、1853年7月30日 - 1929年7月9日)はポーランドの画家である。ポーランドを代表する風景画家、水彩画家である。
略歴
[編集]現在のウクライナのリヴィウ近くのTuligłowachに生まれた。クラクフ美術学校(現在のヤン・マテイコ美術アカデミー)で、ヴワディスワフ・ウシュチュキェヴィチに学んだ後、ミュンヘン美術院で学んだ。1885年から何度も、ヨーロッパ各地やアジアまで旅し、各地のスケッチを後の画作に生かした。1886年にニャスヴィシュの、プロイセン王国の貴族、アントニ・ヴィルヘルム・ラジヴィウの領地に狩に来ていた、ドイツの当時皇太子、ヴィルヘルム2世と出会い、皇太子に招かれて、何度か狩に同行した。
皇帝となったヴィルヘルム2世の宮廷画家に1889年になり、ベルリンで暮らし、歴史画などを描いた。1895年にクラクフに戻った。この頃からフランスの印象派の影響を受けた画風となった。1900年にクラクフ美術学校の教授に任じられると、美術学校に印象派の経験に基づく教育の改革を行った。クラクフ美術友好協会(Kraków Society of Friends of Fine Arts)の会長も務めた。1904年にデュッセルドルフで開かれた国際美術展の運営に参加した。
作品
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思索する人(Zamyslona),(1902)
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Gabriela Zapolska-文学者(1898)
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デンブノの城
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朝のクラクフ
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鹿狩りの後
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Mikoszewiceの教会(1911)
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農作業 (1913)
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家の前の娘 (c.1905)
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熊狩の帰り (1892)
参考文献
[編集]- Fałat Julian. In: Österreichisches Biographisches Lexikon 1815–1950 (ÖBL). Band 1, Verlag der Österreichischen Akademie der Wissenschaften, Wien 1957, S. 283.