ユーリエ
本社所在地 | フランス ドゥー=セーヴル県 セリゼ |
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設立 | 1920年 |
業種 | 製造業 |
事業内容 | 自動車の車体製造 |
代表者 | Paul Quéveau |
従業員数 | 260名(研究開発)、1,100名(製造部門) |
外部リンク | Heuliez |
ユーリエ(Heuliez)は、フランスにかつて存在した、自動車メーカー向けに車体や部品の設計・製造を請け負う会社である。既存車種への追加バリエーションとしてのオープンカー(コンバーチブル)やステーションワゴン、またリムジンといった少量生産車を得意としていたが、2013年に事業終了した。
なお名称は日本国内において自動車雑誌を中心に「ユーリエ」とカナ表記され当記事もそれに準じるが、本来のフランス語発音はウリエーズが近い。
概要
[編集]1920年にアドルフ・ウリエーズ(ユーリエ)(Adolphe Heuliez)により創立され、当初は馬車を製造していた。1925年には早くも最初の自動車プジョー・177Bを組み立てた。アドルフはバスを製造する支社も設立したが、後にこれは売却された。
近年の主力製品は35万セットが生産されたプジョー・206 CC向けの収納式ハードトップであり、オペル・ティグラのような完成車も生産していた。1985年以来45万台以上の車を生産し2,000名以上の従業員を雇用してきたが、ティグラの販売不振により541名を解雇しなければならず、オペルはユーリエに2006年末までに1日の生産台数を200台から50台へ削減するよう求めている。
2007年10月に債務免除を申し出て[1]、2008年7月にインドのアージェンタム・モーターズ(Argentum Motors)が60%を買い取り、その後5年間でさらに1,000万ユーロを投資することを約束したが、合意は成立しなかった。
ユーリエは今後5年以内にプジョー・407 マカレナ(Macarena)試作車に似た4ドアのコンバーチブルを生産しようと計画していた。
ユーリエの主力生産工場はドゥー=セーヴル県のセリゼ(Cerizay)にあった。
2013年10月31日、事業活動終了。
ユーリエの生産車リスト
[編集]- プジョー・604 リムジン(1978 - 1984年)
- シトロエン・ヴィザ クロノ(1984年)
- シトロエン・ヴィザ ミレ・ピステ(1984年)
- シトロエン・ヴィザ コンバーチブル(1984年)
- シトロエン・BX ブレーク(1985 - 1993年)
- シトロエン・BX 4CT(1986年)
- シトロエン・CX ブレーク(1989 - 1991年)
- シトロエン・XM ブレーク(1992 - 1999年)
- シトロエン・エグザンティア ブレーク(1995 - 2000年)
- オペル・ティグラ ツイントップ(2004 - 2009年)
- プジョー・206 CC(2001 - 2007年)
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プジョー・604 リムジン(1978 - 1984年)
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シトロエン・ヴィザ ミレ・ピステ(1984年)
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シトロエン・ヴィザ コンバーチブル(1984年)
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シトロエン・BX ブレーク(1985 - 1993年)
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シトロエン・BX 4CT(1986年)
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シトロエン・CX ブレーク(1989 - 1991年)
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シトロエン・XM ブレーク(1992 - 1999年)
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シトロエン・エグザンティア ブレーク(1995 - 2000年)
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オペル・ティグラ ツイントップ(2004 - 2009年)
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プジョー・206 CC(2001 - 2007年)
近年の完成車生産
[編集]- オペル・ティグラ ツイントップ(2004 - 2009年)
2004年6月からユーリエは自社で設計したオペル・ティグラ ツイントップの生産をしていた。この車は収納式ハードトップを備え、200台/日の割合で生産されていた。ユーリエは自社のロゴ(馬車の車輪と大文字のHの組み合わせ)を左右の前部フェンダーに貼り付けていた。生産は2009年の夏に終了した。
電気自動車
[編集]- ユーリエ・ミア(Heuliez Mia 、以前の名はFriendly) - 航続距離97〜240km(60〜150マイル)で最高速度約105km/h (65mph)[2]。
- ユーリエ・ポンディシェリー(Heuliez Pondicherry) - 近距離電気自動車 アーバン・ピックアップ。
関連項目
[編集]- アクティヴ・ホイール(Active Wheel) - コンセプトカーのユーリエ・ウィル(Heuliez WILL)に使用されている。