ヨネイ
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒104-0061 東京都中央区銀座2丁目8番20号 ヨネイビル |
設立 | 1897年2月 |
業種 | 卸売業 |
法人番号 | 1010001060074 |
代表者 | 取締役社長 大田 健治 |
資本金 | 9億円 |
売上高 |
169億2,300万円 (2024年3月期)[2] |
営業利益 |
9億5,100万円 (2024年3月期)[2] |
経常利益 |
10億8,000万円 (2024年3月期)[2] |
純利益 |
2億100万円 (2024年3月期)[2] |
純資産 |
63億4,300万円 (2024年3月期)[2] |
総資産 |
521億7,800万円 (2024年3月期)[2] |
従業員数 | 130名 |
決算期 | 3月末日 |
主要株主 |
三菱商事株式会社 株式会社明治ゴム化成 キリンホールディングス株式会社 コベルコ建機株式会社 |
主要子会社 |
ヨネイテクノサービス株式会社 エムシー中国建機株式会社 マイ・ロジネット株式会社 |
外部リンク | http://www.yonei.co.jp/ |
株式会社ヨネイ(英名:YONEI&CO.,LTD.)は、三菱傍系の企業で、機材・機器類関連を主に取り扱う複合専門商社。三菱商事系。
概要
[編集]同社は建設機械・産業機械・工業用資材・映像機器・制御装置の5分野を主体とした専門商社。
匿名組合「磯野商会」(1897年(明治30年)2月、創始者磯野計、共同事業者米井源次郎)として設立したこともあり、日本国内における食品卸の名門・明治屋が設立を主導し、同社とは創業者もおおむね一致している。尚、三菱グループとの関係は後述のキリンビール(初代)や明治ゴム化成の設立に協力したことも背景にある。
また、この関係上から明治年間は暫く磯野・米井両家からの企業トップ輩出となっていたが、やがて磯野家が明治屋グループの経営にシフトしていったことから、後者の米井家が経営を主導(のちに米井商店へ社名変更、1917年(大正6年))。米井商店は京橋区銀座3丁目に社を構え、大阪、神戸、横浜に支店を持つほか、台北、ロンドン、グラスゴーを含む国内外に多数の代理店を有していた[3]。
戦後は資本増強や拠点拡大を行うようになり、1984年(昭和59年)に社名を現社名へと変更した。また、1997年2月に創業100周年を迎える、世紀をまたいだ数少ない商社でもある。
ヨネイビルディング
[編集]1930年竣工の本社ビル(東京都中央区銀座2丁目8−20)は、施工清水組(現・清水建設)、設計森山松之助による地上6階・地下1階から成る鉄骨鉄筋コンクリート造の建物で、中世ロマネスク風のデザインをもつ壮麗・瀟洒なものだった[4]。1階は重厚な石貼の外壁に螺旋模様が施されたアーチ窓、2階以上の外壁はテラコッタ・タイルで隙間なく覆われていた[4]。タイルの剥離が見られたため、1984年に2階以上の外壁や窓の改修が行われ見た目は様変わりしたが、銀座柳通りに今もあり、1階は内部が改装されて洋菓子店アンリ・シャルパンティエ銀座店として使われている[4]。