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森山松之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森山松之助
生誕 1869年7月15日
(旧暦明治2年6月7日
日本の旗 日本 大阪市東区平野町
(現・大阪市中央区
死没 (1949-04-02) 1949年4月2日(79歳没)
日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学
職業 建築家
所属 森山松之助建築事務所
建築物 台湾総督府
片倉館

森山 松之助(もりやま まつのすけ、明治2年6月7日1869年7月10日)- 昭和24年(1949年4月2日)は、日本統治時代台湾で活躍した建築家大阪市出身。台湾総督府営繕課在任中、台湾の多くの官庁建築を手がけたことで知られる。

略歴

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外交官・貴族院議員を務めた森山茂の子として明治2年(1869年)に大阪市東区平野町(現 大阪市中央区平野町)に生まれる。(なお、叔父に五代友厚がいる。)学習院攻玉社を経て、明治26年(1893年)第一高等学校を卒業後、東京帝国大学工科大学建築学科において辰野金吾のもとで学び、明治30年(1897年)に卒業。大学院、明治31年(1898年)第一銀行建築係嘱託、明治33年(1900年)東京高等工業学校の建築学講座担当を経て、明治39年(1906年)に台湾に渡り、大正10年(1921年)までの間、台湾総督府営繕課技師として多くの官庁建築を手がけた。大正元年(1912年)には欧米各国視察のため出張している。その後日本に帰国し、大正11年(1922年)に東京に森山松之助建築事務所を開設し、多くの民間建築等を設計した。

作品

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名称(旧称) 名称(現名称) 所在地 状態 備考
/台北水道水源地喞筒室 自來水博物館 1908年 台北市 中華民国の旗 台湾 市定古跡
/台北市電話交換局 1908年 台北市 中華民国の旗 台湾 現存せず 1968年解体。跡地は台肥大楼
/台南郵便局 1909年 台南市 中華民国の旗 台湾 現存せず
/総督官邸・改築 台北賓館 1912年 台北市 中華民国の旗 台湾 国定古跡
/台中州庁 台中市政府 1913年 台中市 中華民国の旗 台湾 市定古跡
/専売局 台湾菸酒公司本社 1913年 台北市 中華民国の旗 台湾 国定古跡
/台南地方法院 旧台南地方法院 1913年 台南市 中華民国の旗 台湾 国定古跡
/台北州庁 監察院 1915年 台北市 中華民国の旗 台湾 国定古跡
/台南州庁 国立台湾文学館 1916年 台南市 中華民国の旗 台湾 国定古跡
/台湾総督府 総統府 1919年 台北市 中華民国の旗 台湾 国定古跡 実施設計を担当
鉄道部 鉄道部 1920 年 台北市 中華民国の旗 台湾 国定古跡
/久邇宮 聖心女子大学パレス 1924年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本 重要文化財
/本所公会堂 両国公会堂 1926年 13東京都墨田区 日本の旗 日本 現存せず 跡地は刀剣美術館
/新宿御苑台湾閣 1927年 13東京都新宿区 日本の旗 日本 都選定歴史建造物
/旧蜂須賀 オーストラリア大使館 1927年 13東京都港区 日本の旗 日本 現存せず
/片倉館会館・浴場・渡廊下 1929年 20長野県諏訪市 日本の旗 日本 重要文化財
/東京歯科医学専門学校 東京歯科大学水道橋校舎 1927年 13東京都千代田区 日本の旗 日本 現存せず
/米井商店本社ビル ヨネイビルディング 1930年 13東京都中央区 日本の旗 日本 改装後現存 [1]
/東京弁護士会館 1932年 13東京都千代田区 日本の旗 日本 現存せず

脚注

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  1. ^ ヨネイビルディングオフィスマーケット 2003年9月号

参考文献

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  • 『20世紀台灣建築』(李乾朗 著、2001年、玉山社(台湾))
  • 『全調査 東アジア近代の都市と建築』(藤森照信・汪坦 監修、1996年、筑摩書房)
  • 『新版日本近代建築総覧』(日本建築学会 編、1994年、技報堂出版)
  • 『日本の美術』第448号(田中禎彦 著、2003年、至文堂)
  • 『近代建築ガイドブック [関東編]』(東京建築探偵団 著、1982年、鹿島出版会)
  • 『大正人名辞典II 下巻』(1989年、日本図書センター、底本『大衆人事録 昭和3年版』(1927年、帝国秘密探偵社))

外部リンク

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  • ウィキメディア・コモンズには、森山松之助に関するカテゴリがあります。