ヨネヤマママコ
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よねやま ままこ ヨネヤマママコ | |
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本名 | 米山 ママコ |
別名義 | 米山 曼舞子 |
生年月日 | 1935年3月15日 |
没年月日 | 2023年9月20日(88歳没) |
出生地 | 日本 山梨県南巨摩郡身延町 |
死没地 | 日本 埼玉県 |
職業 |
舞踏家 振付師 パントマイマー |
ジャンル |
舞台 映画 テレビドラマ |
活動期間 | 1954年頃 - 2023年頃 |
配偶者 | 岡田真澄(1960年 - 1961年) |
ヨネヤマ ママコ(1935年3月15日 - 2023年9月20日)は、日本のパントマイミスト、振付師、女優、モデル。本名は米山ママコ(よねやま ままこ)。米山 曼舞子(よねやま ままこ)名義での映画出演もある。
年譜
[編集]- 1935年 - 山梨県南巨摩郡身延町に生まれる。幼少より石井漠門下であった父よりバレエを習う。
- 1952年 - 東京教育大学(現:筑波大学)体育学部に入学。在学中に江口隆哉、大野一雄に師事。
- 1954年 - 初のパントマイム「雪の夜に猫を捨てる」発表。
- 1955年 - 初来日したマルセル・マルソーの公演をみる。
- 1956年 - 東京教育大学卒業。
- 1957年 - 今井重幸の阿佐ヶ谷スタジオでモダンダンスを教える。今井は彼女を現代舞台芸術協会に招き5年間指導する一方、バレー・マイムというジャンル名を考案してデビューに導いた。この頃、同スタジオにて土方巽と出会う。
- 1960年 - アメリカのUCLA、ACT劇団などでパントマイムを教えながら独自のメソッドを築く。
- 1972年 - 帰国し「ママコ・ザ・マイムスタジオ」を設立。 あらい汎らが参加。
- 1991年 - フランスのパリ郊外にアトリエを構える。この頃「パンカゴ」という表現形式(パントマイム・歌・語りの融合)を確立する。
- 1992年 - 蘆原英了賞を受賞。
- 2023年9月20日 - 老衰のため埼玉県の病院で死去[1][2]。88歳没。
人物
[編集]主な舞台
[編集]1958年 俳優座劇場、 劇団人間座・現代舞台芸術協会合同公演
- 状況そして状況(銀座ガスホール)
- 赤い繭(草月会館ホール) 草月コンテンポラリー・シリーズ6 作曲家集団12月の会
- 春乱舞(1975年、VAN99ホール)
- パープル・シアターの夕べ(1976年、東京金属健保会館)
- 月に憑かれたピエロ(シェーンベルク作、2004年、東京藝術大学奏楽堂)
映画
[編集]- 拳銃を磨く男 深夜の死角(1960年、東映)
- お姐ちゃんはツイてるぜ(1960年、東宝)
- 翔べイカロスの翼(1980年、映画センター)
- 里見八犬伝(1983年、東映 / 角川映画) - 船虫 役
- ご挨拶 第2話「佳世さん」(1991年、東映アストロ) - 白井秀子 役
- Beautiful Sunday(1998年、シネカノン) - 大久保絹代 役
- 来る(2018年、東宝) - 田原志津 役
- キャラクター(2021年、東宝)
テレビドラマ
[編集]その他のテレビ番組
[編集]- 私はパック(1958年、NHK) - パック 役(司会)
- クレージーキャッツショー(1958年、フジテレビ)
- 第10回NHK紅白歌合戦(1959年、NHK) - ゲスト
- ジェスチャー(1961年3月28日、NHK) - ゲスト
- NHK TV60ミニドラマ『ブラウン・カーン』(2013年、NHK総合) - おばあちゃん 役
振付
[編集]- ゆかいな海賊大冒険(1982年・1983年・1984年) ※ジャパンアクションクラブ(JAC)ミュージカル
著書
[編集]単著
[編集]- 砂漠にコスモスは咲かない(1977年、講談社)
共著
[編集]脚注
[編集]- ^ “パントマイマーのヨネヤマママコさん死去 日本のマイムの草分け”. 朝日新聞. (2023年9月23日) 2023年9月23日閲覧。
- ^ “ヨネヤマママコさん死去、88歳 パントマイムの第一人者”. 共同通信. (2023年9月23日) 2023年9月23日閲覧。
外部リンク
[編集]- ♪ ママコのパンカゴ ♪ - ウェイバックマシン(2016年8月16日アーカイブ分)(公式ブログ)
- ヨネヤマママコ - NHK人物録