ラウル1世・ド・トゥアール
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ラウル1世・ド・トゥアール Raoul I de Thouars | |
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トゥアール副伯 | |
在位 | 1004年 - 1014年 |
死去 |
1014年 |
配偶者 | アランブルジュ |
子女 |
エメリー ティエリー オデアルド |
家名 | トゥアール家 |
父親 | エルベール1世・ド・トゥアール |
母親 | イルドガルド・ドルネー |
ラウル・ド・トゥアール (Raoul I de Thouars, ? - 1014年)は、トゥアール副伯(在位:1004年 - 1014年)。
生涯
[編集]ラウルは先代のトゥアール副伯であった父エルベール1世とオルネー(フランス語版)副伯カドゥロン1世の娘イルドガルドの三男であった。
2人いた実兄エメリー3世とサヴァリー3世の死後、ラウルは1004年にトゥアール副伯位を継承した。ラウルの君主アキテーヌ公ギヨーム5世は、同じく自分の家臣でありラウルと敵対していたリュジニャン卿ユーグ4世の双方が力を付けないよう、二枚舌を駆使しバランスを取る政策を取った。
ギヨーム5世は、ラウルの娘オデアルドとリュジニャン卿ユーグ4世との結婚を阻止しようと、ジョスラン1世・ド・パルトネーの未亡人をユーグ4世の花嫁に薦め差し出した。しかし、ギヨームは自分で花嫁を薦めておきながら、結婚の完遂を阻止したため、トゥアール副伯ラウルとリュジニャン卿ユーグ4世、アキテーヌ公ギヨーム5世の間で三つ巴の戦争が起こった。
ラウルは1014年末、リュジニャン卿ユーグ4世の所領を破壊している最中に死去した。ラウルの次兄サヴァリー3世の長男で甥にあたるジョフロワ2世がトゥアール副伯を継いだ。
結婚と子女
[編集]ラウルはアランブルジュ(もしくはアスリーヌ)という名の妻と結婚し、エメリーとティエリーという2男、そして1015年ごろにリュジニャン家のユーグ4世と結婚した娘オデアルドの3子をもうけている。