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ラキ火山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラキ火山
標高 1,725 m
所在地 アイスランドの旗 アイスランド
位置 北緯64度03分53秒 西経18度13分34秒 / 北緯64.06472度 西経18.22611度 / 64.06472; -18.22611
山系 大西洋中央海嶺
種類 単成火山
最新噴火 1784年
ラキ火山の位置(アイスランド内)
ラキ火山
プロジェクト 山
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ラキ火山(ラキかざん、: Lakiアイスランド語: Lakagígar(ラーカギーガル)、「反芻する火口」の意[注釈 1])はアイスランド南部の単成火山スカフタフェットル国立公園内のキルキュバイヤルクロイストゥルの近くにある。

ラキはグリムスヴォトン火山エルトギャゥカトラ火山などと火山帯を構成している。この火山帯は北東 - 南西方向に横たわり、ミールダルスヨークトル氷河ヴァトナヨークトル氷河の間に位置している。

934年に大規模な噴火を起こしている。1783年にはその横のグリムスヴォトン火山と相次ぎ噴火し、大量の溶岩火山灰を発生させた。火山爆発指数(VEI)=6。

934年の噴火

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934年、大規模な噴火が発生し、19.6 km3玄武岩溶岩が噴出して、エルトギャゥ断層の一部となった。これは人類史上においても大きな噴火の一つである。

1783年の噴火

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1783年6月8日地下水マグマに触れて水蒸気爆発が発生し、長さ26kmにわたり130もの火口が誕生した。割れ目噴火である。しかし噴火規模は次第に収まり、プリニー式噴火ストロンボリ式噴火、そして溶岩流を主体とするハワイ式噴火へと変わっていった。

この噴火はスカフタ川の炎(Skaftáreldar または Síðueldur)と呼ばれ、約15 km3の玄武岩溶岩と0.91 km3テフラ(火山灰など)を発生した[2]溶岩噴泉は高さ800-1400mに達したと推定される。溶岩の噴出は5か月で終わったが、噴火自体は断続的に1784年2月7日まで続いた。

ラキ火山近郊のグリムスヴォトン火山でもまた1783年から1785年の間に噴火が起きている。双方の噴火により、800万トンのフッ化水素ガスと1億2000万トンの二酸化硫黄ガスが噴出し、付近の羊の80%、50%以上の牛と馬を殺し、住民の21%の命を奪った飢饉が発生した。

噴煙は噴火対流によって高度15kmにまで達した。この粒子の影響で、北半球全体の気温が下がった。ヨーロッパでは「ラキのもや」と呼ばれた。イギリスでも火山灰が降り、1783年の夏は「砂の夏」(sand-summer)と呼ばれた[3]

この噴火は火山爆発指数 (VEI) で8段階(8が最大規模)中の6と評価されている[4]

アイスランド国内への影響

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この噴火は、アイスランドには壊滅的な被害をもたらした。噴火後の飢饉で21%の住民が死亡した[5]。そしての約80%、の50%、の50%が、放出された800万トンものフッ素化合物により歯のフッ素症骨のフッ素症が原因で死んだ[6][3]

溶岩が流れ出すと氷河が溶け出して洪水のような水が下流域の集落に流れ込み、21の村が破壊され、241人が亡くなった[7]

教区聖職者ヨーン・ステイングリームソン(Jón Steingrímsson)は「火の説教(eldmessa)」で有名になった。溶岩流が襲った時、小さな町キルキュバイヤルクロイストゥルの全住民が礼拝中だった。人々が教会に留まっていると、溶岩は町の近くで止まった。この事件をステイングリームソン自身が次のように伝えている。

数週間前、空から多くの毒が降って来た。灰、火山毛硫黄硝酸カリウムを含んだが混ざり合い、地面に吸い込まれていった。家畜が牧草地、草の上を歩き回るだけで、口、鼻、脚が山吹色に染まり、赤肌となった。水は生暖かくなり、水色に染まり、底の砂利は灰色になっていった。あらゆる植物は枯れ、腐り、灰色になり、その範囲は燃え広がるが如く広がり、居住地域に迫ってきた。 — Rev. Jón Steingrímsson, Fires of the Earth, The Laki Eruption (1783-1784) ISBN 9979-54-244-6.[注釈 2]

ヨーロッパへの影響

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空気中に1億2000万トンもの二酸化硫黄が放出された。これは、1991年ピナトゥボ山噴火に匹敵し、ヨーロッパにおける2006年工業製品生産量の3倍に相当する[3]。この二酸化硫黄粒子は西ヨーロッパ全体に広がり、1783年から1784年の冬までの間に何万もの人が死んだ。

1783年の夏は記録的な猛暑で、アイスランド上空に巨大な高気圧が発生し、南東方向に風が吹いた。毒の雲はデンマーク=ノルウェーベルゲンスカンディナヴィア半島先端)に到達し、6月17日にはボヘミアプラハに、6月18日にはベルリンに、6月20日にはパリに、6月22日にはル・アーヴルに達した。6月23日にはイギリスに達した。あまりにが深かったため、船が港から出られなかった。また、太陽は「血の色 (blood coloured)」と呼ばれた[9]

人々は硫黄化合物のガスを吸い込み、肺の柔組織が腫れ上がったため、呼吸困難になった。フランス中部のシャルトル市の死者数は8月と9月に40人ずつ増加し、局地的死亡率が5%ずつ上昇した。一方イギリスの記録では、屋外労働者の死者が増加し、ベッドフォードシャー州リンカンシャー州など東部沿岸の死亡率が2~3倍になった。8月、9月にイギリスで中毒死した人は23,000人と推測されている。

このもやはを含んだ激しい雷雨を引き起こし、秋に収まるまでに多くの牛が死んだ。さらに1784年の冬には寒波をもたらした。ハンプシャーセルボーン英語版に住むギルバート・ホワイトは、氷点下の気温が28日間続いたと記し、以下の記録を残している。

1783年の夏は驚くべき恐ろしき現象の前触れだった。小石が激しく降り注ぎ、雷雨が襲った。独特のもや、くすぶった霧が発生し、数週間にわたって王国の多くの郡を驚かせ、苦しめた。ヨーロッパの他の地域でも同じようなことが何箇所でも起こった。それは異様な風景であり、今までに人類が体験したすべての経験と異なっていた。6月23日から7月20日までの日記を読み返して、私は気付いた。その期間、さまざまな方位から風が吹いたが、その風で空気が入れ替わることは無かった。正午の太陽はまだら模様で、と同程度の明るさしかなかった。太陽の色は、まるで錆びた土か、部屋の床のようだった。しかし日の出、日の入の際には、燃えるような血の赤色を見せた。気温が上がり、肉屋で売られている肉も2日で駄目になった。蝿が頭にたかるため、馬は半狂乱になり、言うことを聞かなくなった。人々は太陽の怒りによるものだと迷信的になった; [...] —  Gilbert White - The Natural History and Antiquities of Selborne, Letter LXV (1789).

この寒さでイギリスの死者数はさらに8000人増えたと推測される。さらに春の雪解けで、ドイツと中央ヨーロッパでは激しい洪水被害を記録した[3]

ラキ火山の影響は、その後数年にわたってヨーロッパに異常気象をもたらした。フランスではこの影響で、1785年から数年連続で食糧不足が発生した。その原因は、労働者数の減少、旱魃、冬と夏の悪天候であった。1788年には猛烈な嵐が起こり、農作物が大被害を受けた。これにより生じた貧困と飢饉は、1789年フランス革命の大きな原因のひとつになった。

なお、ラキ火山の噴火は異常気象の原因の1つにすぎない。グリムスヴォトン火山もまた1783年から1785年にかけて噴火しており、最近の研究では1789年から1793年にかけてエルニーニョが発生したとする説もある[10]

北アメリカへの影響

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北アメリカの1784年の冬は、長く、寒かった。ニューイングランドでは大雪になり、チェサピーク湾では氷点下の日が記録的に続いた。チャールストン湾 (en) ではスケートができるほどだった。南部も雪雲に襲われ、ニューオーリンズではミシシッピ川が凍りつき、メキシコ湾にも氷が浮かんだ[11][12]

ベンジャミン・フランクリンは、1784年にこう書き遺している。

1783年の夏の数ヶ月、太陽が北半球を暖めるはずだった時、全ヨーロッパと北アメリカの大部分が霧に覆われていた。この霧はなかなか晴れなかった。その霧は乾燥していたため、日光が当たって雨に変わるということもほとんどないようだった。その霧を通ると、日光は非常に弱くなった。レンズで光を集めても、茶色の紙を燃やすだけの熱量にはならなかった。そのため、夏効果で地球が暖められることはほとんどなく、地面は早くから凍りついた。そのため、初雪さえ融けることがなく、雪は降り積もっていった。そのため気温はますます下がり、風も強くなり、1783年~1784年の冬は過去にないほどの厳しい寒さになった。 この霧の原因はまだ確認されていない。[...]あるいは、はるかアイスランドのヘクラ[注釈 3]や、その他の島の火山からもたらされた可能性もある。その煙が北半球に広がっていくことがあるのかどうかは、まだよく分かっていない — Benjamin Franklin - "Meteorological imaginations and conjectures" in Mem. Lit. Philos. Soc. Manchester 2, 373–377 (1784).

その他地域への影響

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アフリカではモンスーンの風力が弱まり、中央部のサヘルでは1日の降雨量が1 - 3mm減少した。そのため、ナイル川の流量が減った[13]

日本への影響

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日本では、同じ1783年天明3年)に起きた浅間山天明大噴火と重なって冷害が発生し、合わせて天明の大飢饉の原因になった可能性があるといわれている。

脚注

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注釈

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  1. ^ Laki は反芻胃、gígar は噴火口[1]
  2. ^ ステイングリームソンの自伝は英訳もされている[8]
  3. ^ なお、現在の記録では、ヘクラは1783年には噴火しておらず、その前の噴火は1766年のことだった。ヘクラはラキの火口から東へ45マイルの位置にあり、グリムスヴォトン火山は75マイル北東の位置にある。31マイル南東にあるカトラ火山は、28年前の1755年に噴火したことで有名だった。

出典

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  1. ^ 浅井、森田「アイスランド地名小辞典」(1980)
  2. ^ Smithsonian Institution Global Volcanism Program: Grímsvötn
  3. ^ a b c d BBC Timewatch: "Killer Cloud", broadcast 19 January 2007
  4. ^ [Brayshay and Grattan, 1999; Demarée and Ogilvie, 2001]
  5. ^ Gunnar Karlsson (2000), Iceland's 1100 Years, p. 181
  6. ^ http://www.sciencemag.org/cgi/content/summary/306/5700/1278
  7. ^ 石弘之 2012年 102ページ
  8. ^ A Very Present Help in Trouble: The Autobiography of the Fire-Priest ISBN 0-8204-5206-8.
  9. ^ BBC Timewatch: "Killer Cloud", broadcast 19 January 2007 needs a better citation
  10. ^ Richard H. Grove, “Global Impact of the 1789–93 El Niño,” Nature 393 (1998), 318-319.
  11. ^ Wood, C.A., 1992. "The climatic effects of the 1783 Laki eruption" in C. R. Harrington (Ed.), The Year Without a Summer? Canadian Museum of Nature, Ottawa, pp. 58– 77.
  12. ^ アーカイブされたコピー”. 2009年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月30日閲覧。
  13. ^ Luke Oman, Alan Robock, Georgiy L. Stenchikov, and Thorvaldur Thordarson, "High-latitude eruptions cast shadow over the African monsoon and the flow of the Nile" in Geophysical Research Letters, Vol. 33, L18711, 2006, doi:10.1029/2006GL027665.

関連項目

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参考文献

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  • Brayshay, M and Grattan, J. - "Environmental and social responses in Europe to the 1783 eruption of the Laki fissure volcano in Iceland: a consideration of contemporary documentary evidence" in Firth, C. R. and McGuire, W. J. (eds) Volcanoes in the Quaternary. Geological Society, London, Special Publication 161, 173-187, 1999
  • Grattan, J., Brayshay, M. and Sadler, J. - "Modelling the distal impacts of past volcanic gas emissions: Evidence of Europe-wide environmental impacts from gases emitted during the eruption of Italian and Icelandic volcanoes in 1783" in Quaternaire, 9, 25-35. 1998.
  • Grattan, D., Schütenhelm, R. and Brayshay, M. - "Volcanic gases, environmental crises and social response" in Grattan, J. and Torrence, R. (eds) Natural Disasters and Cultural Change, Routledge, London 87-106. 2002.
  • Grattan, J.P. and Brayshay, M.B. - "An Amazing and Portentous summer: Environmental and social responses in Britain to the 1783 eruption of an Iceland Volcano" in The Geographical Journal 161(2), 125-134. 1995.
  • Richard B. Stothers - "The great dry fog of 1783" in Climatic Change, 32, 79–89, 1996.
  • Thorvaldur Thordarson and Stephen Self - "Atmospheric and environmental effects of the 1783–1784 Laki eruption; a review and reassessment" in J. Geophys. Res., 108, D1, 4011, doi:10.1029/2001JD002042, 2003.
  • 石弘之著『歴史を変えた火山噴火 ー自然災害の環境史ー』刀水書房 2012年 ISBN 978-4-88708-511-4

外部リンク

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