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ラスティ・トーレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラスティ・トーレス
Rusty Torres
1973年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アグアディーヤ(現:プエルトリコの旗 プエルトリコ自治連邦区)
生年月日 (1948-09-30) 1948年9月30日(76歳)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手
プロ入り 1966年 ドラフト54巡目
初出場 1971年9月20日
最終出場 1980年8月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ラスティ・トーレス・エルナンデス(Rosendo "Rusty" Torres Hernandez, 1948年9月30日 - )は、1970年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。主なポジションは外野手プエルトリコ・アグアディーヤ生まれ。右投げ、スイッチヒッター。主にインディアンス、エンゼルスなどでレギュラーをつとめた。

来歴・人物

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球歴

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トーレスは幼少の頃プエルトリコから移住し、ブルックリンの街中でスティックボールで遊んでいたのが野球との最初の出会いだったという。1966年、18歳の時にドラフトでニューヨーク・ヤンキースに入団、22歳になった1971年のシーズン終盤にメジャーデビューを果たした。翌1972年は80試合に出場したが打率.211と打てず、グレイグ・ネトルズらとの交換でインディアンスにトレードに出された。インディアンスで2年過ごしたあとフランク・ロビンソンの交換要員でエンゼルスに移るが、1975年は出場機会がなく、1977年オフにフリーエージェントとなる。その後ホワイトソックスとロイヤルズに所属し1980年まで出場した。1980年オフにはパイレーツと契約したものの試合には出場せず、そのままメジャーでの経歴を終えた。

野球選手引退後は、"Winning Beyond Winning"という財団を設立して教育も含めた若いアスリートの援助を行っている。幼少の頃のエピソードから、2002年には『スティックボールの殿堂入り』の表彰を受けた。

2012年、野球教室に来ていた8歳の女児にいたずらをしたとして逮捕され、懲役3年の刑を受けた[1]

3度の没収試合

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トーレスが現役だった1971年から1980年の間、メジャーリーグでは4試合が没収試合となっているが、トーレスはそのうちの3試合に関わっている。

その1-1971年9月30日
既にテキサスへの移転を発表していたワシントン・セネタース(現テキサス・レンジャーズ)は、この日ヤンキースとRFKスタジアムでセネタースとしての最後の試合を行っていた。ヤンキースの3番で出場していたトーレスは2回に本塁打を打つなど2安打の活躍をしていた。しかし7対5でセネタースがリードして迎えた9回表ヤンキースの攻撃中に、この試合の記念品になりそうなものを求めるファンが多数フィールドに乱入して、スタジアムの土やベースなどを持っていってしまったため、主審のジム・オドムが没収試合を宣言、試合はヤンキースの勝ちとなった。
その2-1974年6月4日
当時クリーブランド・インディアンスに所属していたトーレスは、この試合3対5でリードされていた9回裏に代打として出場、シングルヒットを放ち、チームは土壇場で同点に追いついた。しかしこの日のイベントだった「10セントのビール」に酔った観客が多数フィールドに乱入して収拾がつかなくなり、試合は没収となった。椅子などで殴られ怪我をした関係者も多数出たが、この時トーレスは二塁ベース上にいた。
その3-1979年7月12日
この日予定されていたタイガース対ホワイトソックスのダブルヘッダー第1試合に、トーレスはホワイトソックスの外野手として出場、2回に安打を放ち、この試合のホワイトソックス唯一の得点を挙げている。しかしこの日の第1試合終了後行われたイベントで観客がフィールドにあふれ、暴動まがいの騒ぎを起こしたため第2試合が没収された。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1971 NYY 9 26 26 5 10 3 0 2 19 3 0 1 0 0 0 0 0 8 0 .385 .385 .731 1.115
1972 80 219 199 15 42 7 0 3 58 13 0 4 1 0 18 3 1 44 2 .211 .280 .291 .571
1973 CLE 122 376 312 31 64 8 1 7 95 28 6 5 7 4 50 5 3 62 7 .205 .317 .304 .622
1974 108 169 150 19 28 2 0 3 39 12 2 1 4 2 13 1 0 24 2 .187 .248 .260 .508
1976 CAL 120 309 264 37 54 16 3 6 94 27 4 4 8 1 36 3 0 39 4 .205 .299 .356 .655
1977 58 89 77 9 12 1 1 3 24 10 0 1 1 1 10 0 0 18 2 .156 .250 .312 .562
1978 CWS 16 51 44 7 14 3 0 3 26 6 0 1 1 0 6 0 0 7 0 .318 .400 .591 .991
1979 90 203 170 26 43 5 0 8 72 24 0 0 8 0 23 1 2 37 4 .253 .349 .424 .772
1980 KC 51 80 72 10 12 0 0 0 12 3 1 3 0 0 8 0 0 7 1 .167 .250 .167 .410
MLB:9年 654 1522 1314 159 279 45 5 35 439 126 13 20 30 8 164 13 6 246 22 .212 .301 .334 .635

出典・外部リンク

[編集]
  1. ^ [1]