ラスティ・ライアル
マイナー時代 (2013年4月16日) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | オクラホマ州ポンカシティ |
生年月日 | 1983年3月16日(41歳) |
身長 体重 |
188 cm 91 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 三塁手、二塁手 |
プロ入り | 2005年 MLBドラフト14巡目 |
初出場 |
MLB / 2009年8月10日 NPB / 2011年4月12日 |
最終出場 |
MLB / 2010年10月3日 NPB / 2011年9月3日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ラスティ・アレン・ライアル(Rusty Allen Ryal, 1983年3月16日 - )は、アメリカ合衆国オクラホマ州出身の元プロ野球選手(内野手)。
1991年から1992年まで中日ドラゴンズに所属していたマーク・ライアルを父に持つ。
来歴
[編集]2005年のMLBドラフトで、アリゾナ・ダイヤモンドバックスから14巡目で指名され入団。入団後しばらくはマイナーリーグ暮らしを続けていた。
2009年シーズンは3Aで打率.290、17本塁打、70打点を記録し、8月10日にメジャーデビューを果たした。同年8月15日のドジャース戦に代打で出場したライアルは、打球をドジャース先発・黒田博樹の頭部へ直撃させてしまう。ライアルは「あなたにけがをさせてまで、メジャーにしがみついていたくない」と黒田に謝罪の手紙を送ったが、黒田は「僕が引退したとき、彼に当てられたと胸を張れる選手になってほしい」と返答した[1]。
2010年はメジャーで104試合に出場し、打率.261、3本塁打、11打点の成績を残した。12月23日に読売ジャイアンツと契約[2]。
2011年は開幕から正三塁手としてスタメン起用されたが、攻守ともに目立った結果を残せず5月13日に登録抹消された。6月中旬には再登録されたが、下旬に再び登録抹消。8月下旬に小笠原道大の故障により再昇格したものの、9月3日の東京ヤクルトスワローズ戦において代打で見逃し三振に倒れた後、試合終了前に無断でベンチから姿を消したとして罰金を科された[3]。この試合以降一軍出場はなく、10月1日には球団から戦力外通告を受けた[4]。この件の他にも使った場所を自分で整備しない、マウンドへの集合があってもそれを怠るなど、素行の悪さはチームメイトからも批判されていた[5]。33試合の出場で打率.198、0本塁打、4打点、OPS.478という成績だった。この年の巨人はライアル以外にも、セス・グライシンガー、カルロス・トーレス、シーズン途中に獲得したジョシュ・フィールズ、東日本大震災の影響でシーズン前に無断帰国しそのまま解雇されたブライアン・バニスター(ライアルと同じくNPB助っ人外国人二世)といった外国人選手が結果を残せず、優勝を逃した原因の一つに挙げられた。11月16日にはアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。
2012年、AAA級リノでは64試合の出場で打率.241、4本塁打、OPS.634の成績に終わり7月25日に解雇された。27日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結ぶ。AAA級グウィネットでは28試合の出場で打率.287、2本塁打、OPS.759の成績を残した。
2013年1月2日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶ。9月1日にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへトレードで移籍するが、11月5日に解雇。
2014年はアトランティック・リーグのシュガーランド・スキーターズに所属。6月4日、フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結ぶも、7月17日に放出された。
選手としての特徴
[編集]確実性の高い打撃に定評がある中距離打者[6][7]。守備では内野の全ポジションをこなせる器用性が魅力[7]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2009 | ARI | 30 | 68 | 59 | 11 | 16 | 6 | 2 | 3 | 35 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 1 | 2 | 21 | 0 | .271 | .353 | .593 | .946 |
2010 | 104 | 222 | 207 | 19 | 54 | 7 | 1 | 3 | 72 | 11 | 0 | 3 | 1 | 0 | 8 | 0 | 6 | 67 | 3 | .261 | .308 | .348 | .656 | |
2011 | 巨人 | 33 | 101 | 96 | 6 | 19 | 4 | 0 | 0 | 23 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 31 | 2 | .198 | .238 | .240 | .478 |
MLB:2年 | 134 | 290 | 266 | 30 | 70 | 13 | 3 | 6 | 107 | 20 | 0 | 3 | 1 | 1 | 14 | 1 | 8 | 88 | 3 | .263 | .318 | .402 | .721 | |
NPB:1年 | 33 | 101 | 96 | 6 | 19 | 4 | 0 | 0 | 23 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 31 | 2 | .198 | .238 | .240 | .478 |
- 2013年度シーズン終了時
記録
[編集]- NPB
- 初出場・初先発出場:2011年4月12日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(宇部市野球場)、7番・三塁手として先発出場
- 初安打:同上、4回裏に石川雅規から右前安打
- 初打点:2011年4月29日、対横浜ベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、5回表に篠原貴行から中前適時打
背番号
[編集]- 8 (2009年 - 同年途中)
- 4 (2009年途中 - 2010年)
- 33 (2011年)
脚注
[編集]- ^ 黒田博樹の“男気伝説” 広島復帰を決断した右腕が米国でも見せた心意気 - Full-Count
- ^ “巨人“新助っ人”は元中日ライアルの息子”. Sponichi Annex (2010年12月23日). 2011年10月1日閲覧。
- ^ “巨人:ライアルに罰金”. 毎日jp (2011年9月6日). 2011年10月1日閲覧。
- ^ “ライアルを解雇=プロ野球・巨人”. 時事通信 (2011年10月1日). 2011年10月1日閲覧。
- ^ “【巨人】素行悪さが目立ったライアル、温厚ラミレスもあきれ顔…いろんな意味でG党の心に残る外国人打者ランキング”. スポーツ報知 (2020年5月9日). 2022年7月3日閲覧。
- ^ “巨人 ライアル獲得を発表、父は元中日選手 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年4月10日閲覧。
- ^ a b “【巨人】大田の壁!三塁手ライアルを獲得 - 野球ニュース”. nikkansports.com. 2022年4月10日閲覧。