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ラファエル・ファーカル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラファエル・ファーカル
Rafael Furcal
ロサンゼルス・ドジャースでの現役時代
(2010年6月26日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 ダハボン州ロマ・デ・カブレラ英語版
生年月日 (1977-10-24) 1977年10月24日(47歳)
身長
体重
5' 8" =約172.7 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投
ポジション 遊撃手
プロ入り 1996年 アマチュア・フリーエージェントとしてアトランタ・ブレーブスと契約
初出場 2000年4月9日 コロラド・ロッキーズ
最終出場 2014年6月21日 ニューヨーク・メッツ
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ラファエル・アントニオ・ファーカルRafael Antonio Furcal, 1977年10月24日 - )は、ドミニカ共和国ダハボン州ロマ・デ・カブレラ英語版出身の元プロ野球選手遊撃手)。右投両打

経歴

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ブレーブス時代

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1996年11月9日、アトランタ・ブレーブスと契約。

1998年にはルーキーリーグで66試合に出場し60盗塁を記録し、リーグ記録を更新した[1]

1999年は全てのマイナーリーグで最多となる96盗塁を記録し、二塁手から遊撃手へコンバートされた[2]

2000年4月9日にメジャーデビューを果たした。ベテランのウォルト・ワイスと出場機会を分け合いながら、二塁手としても出場した。6月13日から6月29日にかけて故障者リストに入ったものの131試合に出場し、40盗塁を記録し、盗塁の球団新人記録を更新した(1966年アトランタ移転後)[3]。オフにリック・アンキールジェイ・ペイトンらを抑えて新人王を受賞した[4]

2001年は左肩の故障に悩まされ、7月6日がこの年の最後の試合となった。

2002年はリーグ2位の8三塁打を記録し、4月21日にはMLBタイ記録、ランス・ジョンソン英語版以来8年ぶりとなる1試合で3三塁打を記録している[5]

2003年は130得点をあげ、デール・マーフィーの131得点に次ぐ1900年以降の球団記録2位を記録した。[6]オールスターに初めて出場し、8月10日の対カージナルス戦で、MLB史上12回目となる無補殺三重殺を成功させた[6]

2004年10月7日、ヒューストン・アストロズとのディビジョンシリーズ第2戦でサヨナラ本塁打を記録した[7]が、5試合の末シリーズ敗退した。

2005年10月31日にFAとなった。

ドジャース時代

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2005年12月19日に3年総額3900万ドルでロサンゼルス・ドジャースと契約した[8]

2006年は4月の打率が.198と低迷したが、1番打者として起用され続け、オールスター以後は打率.339、11本塁打を記録した。[9]。キャリアを通じて自身最高の打撃成績で、打率.300・15本塁打・63打点・37盗塁・OPS.814などを記録し、MVP投票では14位だった[10]

2007年は開幕直前の3月22日に足首を痛めたため故障者リスト入りとなり、4月13日にメジャー復帰した[11]。5月13日から15日まで、3試合連続で4安打を記録した。この記録は過去55年間で4人しか達成していない[11]。9月15日にはこの年のMLBでケニー・ロフトンしか達成していない1試合4盗塁をしている。

2008年、ドジャースとの3年契約を満了し、フリーエージェントとなったファーカルには再契約を狙うドジャース、オークランド・アスレチックスアトランタ・ブレーブスなど複数の球団が獲得に興味を示した。12月16日に古巣ブレーブスと合意したと報じられたが決裂し、17日に一転してドジャースと3年3000万ドルの再契約に合意、正式契約となった。

2009年は150試合に出場し、「彼が戻ってきたことで打線が生き返った」と監督のジョー・トーリを喜ばせたが、打率.269、9本塁打、OPS.711、12盗塁とキャリア平均以下の成績に終わり、打率は最後の20試合で.361を記録してなお自己最低だった。

2010年4月下旬に左大腿裏を負傷して1ヶ月ほど欠場するも、7月第1週には打率.578の活躍で週間MVPを受賞するなど好調を維持し、故障選手の代替ながらオールスターにも選出。しかし8月に背中を痛めまたも1ヶ月の離脱。後半戦は打率.243と急降下した。

2011年7月23日のワシントン・ナショナルズ戦でサヨナラ二塁打を記録した[12]

カージナルス時代

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2011年7月31日にアレックス・カステヤーノスとのトレードセントルイス・カージナルスに移籍した。主力として2011年のワールドシリーズで優勝した。オフに翌年の1200万ドルの球団オプションを拒否された後、カージナルスと2年1400万ドルで再契約した。

2011年、カージナルス・ワールドシリーズチャンピオンのパレード

2012年は5月まで絶好調で、オールスターゲームに選ばれた。しかし8月30日の試合で肘を痛め、トミー・ジョン手術を受けてシーズン終了となった。この故障によりピート・コズマがマイナーから昇格し、出場機会を得た。

2013年はリハビリで全休。オフの10月31日にFAとなった。

マーリンズ時代

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2013年12月5日、マイアミ・マーリンズと1年契約で合意し[13]、翌6日に球団が正式発表した[14]

2014年は開幕は故障者リストで迎えたが、6月13日のピッツバーグ・パイレーツ戦よりメジャー復帰したが、9試合の出場に終わった。オフに、FAとなった。

引退

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2015年3月16日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結ぶ。5月19日に現役引退を表明した。

2020年1月、アメリカ野球殿堂の被資格投票を得たが、1票も獲得することなく、被資格投票を失った。

選手としての特徴

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  • 通算打率.281、出塁率.346、346盗塁(成功率77%)、初回先頭打者本塁打が30本など、1番打者として長く活躍した。
  • 通算55犠打バントがうまく、バントだけで通算4二塁打、8打点も記録し、13失策を誘発している[15]
  • 守備ではほとんどが遊撃手であったが、ゴールドグラブ賞の受賞経験はない。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2000 ATL 131 542 455 87 134 20 4 4 174 37 40 14 9 2 73 0 3 80 2 .295 .394 .382 .776
2001 79 359 324 39 89 19 0 4 120 30 22 6 4 6 24 1 1 56 5 .275 .321 .370 .691
2002 154 693 636 95 175 31 8 8 246 47 27 15 9 2 43 0 3 114 8 .275 .323 .387 .710
2003 156 734 664 130 194 35 10 15 294 61 25 2 3 4 60 2 3 76 1 .292 .352 .443 .795
2004 143 632 563 103 157 24 5 14 233 59 29 6 5 5 58 4 1 71 9 .279 .344 .414 .758
2005 154 689 616 100 175 31 11 12 264 58 46 10 5 5 62 3 1 78 11 .284 .348 .429 .777
2006 LAD 159 736 654 113 196 32 9 15 291 63 37 13 5 3 73 3 1 98 7 .300 .369 .445 .814
2007 138 642 581 87 157 23 4 6 206 47 25 6 2 3 55 3 1 68 11 .270 .333 .355 .688
2008 36 164 143 34 51 12 2 5 82 16 8 3 0 0 20 0 1 17 3 .357 .439 .573 1.012
2009 150 680 613 92 165 28 5 9 230 47 12 6 3 2 61 2 1 89 11 .269 .335 .375 .711
2010 97 428 383 66 115 23 7 8 176 43 22 4 2 2 40 5 1 60 5 .300 .366 .460 .826
2011 37 152 137 15 27 4 0 1 34 12 5 3 1 0 11 0 3 21 0 .197 .272 .248 .520
STL 50 217 196 29 50 11 0 7 82 16 4 2 2 1 17 0 1 18 3 .255 .316 .418 .735
'11計 87 369 333 44 77 15 0 8 116 28 9 5 3 1 28 0 4 39 3 .231 .298 .348 .646
2012 121 531 477 69 126 18 3 5 165 49 12 4 5 4 44 1 1 57 7 .264 .325 .346 .671
2014 MIA 9 37 35 4 6 0 1 0 8 2 0 0 0 0 2 0 0 7 1 .171 .216 .229 .445
MLB:14年 1614 7237 6477 1063 1817 311 69 113 2605 587 314 94 55 39 643 24 22 910 84 .281 .346 .402 .748
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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二塁(2B) 遊撃(SS)
























2000 ATL 31 45 73 1 18 .992 110 147 289 23 54 .950
2001 - 79 126 224 11 49 .970
2002 4 7 12 0 5 1.000 150 245 466 27 111 .963
2003 - 155 237 481 31 108 .959
2004 1 0 0 0 0 ---- 131 190 411 24 101 .962
2005 - 152 255 504 15 119 .981
2006 LAD - 156 269 492 27 117 .966
2007 - 138 241 426 19 99 .972
2008 - 36 46 92 4 17 .972
2009 - 149 187 419 20 76 .968
2010 - 93 127 275 19 47 .955
2011 - 36 57 95 4 18 .974
STL - 49 73 155 10 36 .958
'11計 - 85 130 250 14 54 .964
2012 - 120 173 349 15 68 .972
2014 MIA 8 13 19 0 8 1.000 -
MLB 44 65 104 1 31 .994 1554 2373 4678 249 1020 .966
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル・表彰・記録

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脚注

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  1. ^ 1998 Career Highlights:Rafael Furcal” (英語). 2008年4月3日閲覧。
  2. ^ 1999 Career Highlights:Rafael Furcal” (英語). 2008年4月3日閲覧。
  3. ^ 2000 Career Highlights:Rafael Furcal” (英語). 2008年4月3日閲覧。
  4. ^ a b 2000 Awards Voting”. Baseball-Reference.com. 2020年10月10日閲覧。
  5. ^ 2002 Career Highlights:Rafael Furcal” (英語). 2008年4月3日閲覧。
  6. ^ a b 2003 Career Highlights:Rafael Furcal” (英語). 2008年4月3日閲覧。
  7. ^ 2004 National League Division Series (NLDS) Game 2, Houston Astros at Atlanta Braves, October 7, 2004”. Baseball-Reference.com (2004年10月7日). 2020年10月10日閲覧。
  8. ^ Dodgers win Furcal stakes” (英語). 2008年4月3日閲覧。
  9. ^ 村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、413頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  10. ^ 2006 Awards Voting”. Baseball-Reference.com. 2020年10月10日閲覧。
  11. ^ a b 2007 Career Highlights:Rafael Furcal” (英語). 2008年4月3日閲覧。
  12. ^ Washington Nationals at Los Angeles Dodgers Box Score, July 23, 2011”. Baseball-Reference.com (2011年7月23日). 2020年10月10日閲覧。
  13. ^ Marlins sign Furcal to one-year deal to play second MLB.com
  14. ^ Marlins sign three-time All-Star Rafael Furcal MLB.com
  15. ^ Rafael Furcal Career Batting Splits”. Baseball-Reference.com. 2020年10月10日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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