ラリー・プレスラー
ラリー・プレスラー Larry Pressler | |
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生年月日 | 1942年3月29日(82歳) |
出生地 |
アメリカ合衆国 サウスダコタ州、ミネハハ郡、ハンボルト |
出身校 |
サウスダコタ大学(BA) オックスフォード大学セント・エドムンド・ホール (BA) ハーバード大学(MPA、JD) |
所属政党 |
民主党(1968-1974) 共和党(1974-2013) 無所属(2013年-現在) |
称号 |
ブロンズスター 部隊勲功章 国防勲章 ベトナム戦線記念記章 ベトナム共和国武勲十字章 |
配偶者 | ハリエット・プレスラー |
子女 | 1人 |
サイン | |
在任期間 | 1995年1月3日 - 1997年1月3日 |
選挙区 | サウスダコタ州2部 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1979年1月3日 - 1997年1月3日 |
選挙区 | サウスダコタ州第1選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1975年1月3日 - 1979年1月3日 |
ラリー・リー・プレスラー(英語:Larry Lee Pressler, 1942年3月29日 - )は、アメリカ合衆国の政治家、弁護士。サウスダコタ州の共和党員として連邦下院議員を2期、連邦上院議員を3期務めた。
カトリック教徒の家庭に生まれたが、2015年に改宗し、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員となった[1]。
経歴・人物
[編集]ラリー・プレスラーはサウスダコタ州ミネハハ郡ハンボルトで生まれ、実家の農場で働いていた[2]。サウスダコタ大学に入学後、1961年には4Hクラブのメンバーとしてカイロで行われた世界農業博覧会に出席し[3]、翌1962年には4Hクラブから国民市民賞を授与された[4]。また、サウスダコタ大学の学生協会会長も務めた[5]。1964年にサウスダコタ大学を卒業すると[6]、ローズ奨学制度を利用してイギリス・オックスフォード大学で学士号を取得した。その後、アメリカに戻り、1966年にハーバード大学で公共経営修士(専門職)を取得、卒業している[7]。1966年にアメリカ陸軍へ入隊してベトナム戦争に参加すると、退役後は中尉としてアメリカ国務省で外交官(FSO (英語版))として数年勤務した[8]。ハーバード大学ケネディスクールで学んだ後、同大ロースクールを1971年に卒業した[9][10]。
軍属中だった1968年、プレスラーはサウスダコタ州1区から連邦下院議員を目指そうと、民主党からの出馬を模索するも撤退[11]。1974年選挙に共和党から下院議員選挙に出馬し、民主党現職のフランク・デンホルムを破って当選を果たした[12][13][14]。ただし、サウスダコタ共和党からは、選挙資金の提供を拒否されている[15][16]。1976年3月、ジャーナリストのジャック・アンダーソンとレス・ウィッテンは、プレスリーが執筆したとされる一部の記事について、ワシントン・ポストやその他の新聞から盗作を行なっていると告発した[17]。プレスリーは盗作を否定したものの、1976年1月に執筆された記事に関しては、ワシントン・ポストからの引用(excerpts)が偶然(accidentally)含まれていたと発表した[18]。このようなスキャンダルこそあったものの、同年行われた1976年選挙では8割近い票を得て再選を果たし、次の選挙で上院議員へ挑戦することをほのめかした[19]。事前に行っていた表明通り、1978年選挙に出馬し、民主党現職のジェームズ・アブレズクを破って連邦上院議員に就任した[20]。ベトナム戦争の退役軍人が連邦上院議員を務めるのは史上初のことであったという[20]。3期の上院議員としての任期を務める間、1980年に短い間ではあったものの大統領選挙への出馬を表明し、ベトナム戦争の退役軍人問題に関する運動を行っていたほか[21]、第104議会ではアメリカ合衆国上院通商委員会の委員長を務めた[22]。また、1980年に起こったアブスキャム事件では、連邦捜査局が行ったおとり捜査において、FBI捜査官からの贈賄を拒否したことでメディアから称賛を受けた[23][24]。1996年選挙では4選目を目指して立候補するも、民主党のティム・ジョンソンにわずか3%差で敗れた[25]。
落選後はニューヨーク州で弁護士として活動し、自身の法律事務所「プレスラー・グループ」を設立した。その後も、たびたび政治活動を行っており、2000年の大統領選挙ではジョージ・W・ブッシュ候補の選挙陣営に参加したほか[26]、2002年には再選を目指してサウスダコタ州全州区から下院議員選挙に出馬を試みている。(共和党のビル・ヤンクロウ知事が出馬を表明したため、選挙戦途中で撤退している。)2009年にはアメリカ大陸の海外遺産保存のための委員会の委員も務めている[27]。
かつては共和党員として政治活動を行っていたが、2008年と2012年の大統領選で民主党のバラク・オバマ候補への支持を表明して以降[28]、2016年選挙でヒラリー・クリントン[29]、2020年選挙でジョー・バイデンを支持するなど[30]、民主党の大統領候補への支持を表明し続けている。さらに、2014年には民主党と共和党がイデオロギーに固執しすぎていると述べた上で[31]、無所属での連邦上院議員選挙への挑戦を行った[32][33]。プレスラーは国の財政赤字の削減を最優先課題に挙げ、富裕層への増税や社会保障の開始年齢の引き上げへの支持を表明していた[34][35]。無所属での出馬ではあったが、サウスダコタ州の2大新聞「アーガス・リーダー」と「デイリー・レパブリック」から支持を集めたほか[36][37]、共和党有利とされる情勢の中で支持を伸ばし、全米からの注目を集めた[38][39]。総選挙の結果、プレスラーは17.1%の票を獲得するなど健闘したものの、共和党のマイク・ラウンズが当選を果たした[40][41]。
2020年11月に膵臓がんと診断され、メリーランド州ボルチモアのジョンズ・ホプキンズ病院で療養を行なっている[42]。
出版物
[編集]- Larry Pressler (January 1, 1982). U.S. senators from the prairie. Dakota Press. ISBN 0882490338
- Larry Pressler (May 20, 1986). Star Wars: The Strategic Defense Initiative Debates in Congress. Praeger Publishers. ASIN B017N0F06S
- Larry Pressler (July 20, 2017). Neighbours in Arms: An American Senator's Quest for Disarmament in a Nuclear Subcontinent. Penguin/Viking. ISBN 0670089311
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- ^ Shill, Aaron (2015年4月21日). “Spiritual journey leads 3-term U.S. senator to LDS Church” (英語) 2021年6月6日閲覧。
- ^ Current Biography Yearbook. H. W. Wilson Co.. (1984). ISBN 9780824201289
- ^ “S.D. Youth to Egypt”. Argus-Leader: p. 12. (March 3, 1961). オリジナルのFebruary 9, 2020時点におけるアーカイブ。
- ^ “Pressler Will Visit President”. Argus-Leader: p. 12. (December 11, 1962). オリジナルのFebruary 9, 2020時点におけるアーカイブ。
- ^ “Larry Pressler New USD Student Group President”. Argus-Leader: p. 3. (April 1, 1963). オリジナルのFebruary 9, 2020時点におけるアーカイブ。
- ^ “S.D. Rhodes Scholars Are A Study in Dissimilarity”. Argus-Leader: p. 10. (January 5, 1964). オリジナルのFebruary 9, 2020時点におけるアーカイブ。
- ^ “Biography of Senator Larry Pressler”. senatorlarrypressler.com. May 24, 2021閲覧。
- ^ “Humboldt Man's Background In 4-H Is Used In Vietnam”. Argus-Leader: p. 3. (January 14, 1968). オリジナルのFebruary 9, 2020時点におけるアーカイブ。
- ^ Burger, Timothy J. (2014年10月23日). “Meet Larry Pressler, the Most Interesting Candidate of 2014” (英語). オリジナルの2019年10月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ “Harvard Law Graduation”. Argus-Leader: p. 24. (June 27, 1971). オリジナルのFebruary 9, 2020時点におけるアーカイブ。
- ^ “Pressler Mulls Solon Contest”. Argus-Leader: p. 2. (April 9, 1968). オリジナルのFebruary 9, 2020時点におけるアーカイブ。
- ^ 1974年選挙ではウォーターゲート事件の影響で共和党が苦戦していた。同選挙で民主党現職を破って当選した共和党下院議員候補はプレスラーを含めて6人のみであった。
- ^ “Watergate Muddies S.D. Campaign”. The Bismarck Tribune: p. 4. (June 28, 1974). オリジナルのFebruary 10, 2020時点におけるアーカイブ。
- ^ “Denholm Falls, GOP Gains House Seat”. The Bismarck Tribune: p. 21. (November 6, 1974). オリジナルのFebruary 10, 2020時点におけるアーカイブ。
- ^ “Pressler Wins His First Race, Will Face Denholm”. The Bismarck Tribune: p. 28. (June 5, 1974). オリジナルのFebruary 10, 2020時点におけるアーカイブ。
- ^ “S.D. Candidate Told Not To Expect Party Funds”. The Bismarck Tribune: p. 18. (June 8, 1974). オリジナルのFebruary 10, 2020時点におけるアーカイブ。
- ^ “Pressler: Farm Ties Not A Facade”. Argus-Leader: p. 4. (March 21, 1976). オリジナルのFebruary 13, 2020時点におけるアーカイブ。
- ^ “Larry Pressler Accused Of Plagiarism”. Argus-Leader: p. 4. (March 20, 1976). オリジナルのFebruary 13, 2020時点におけるアーカイブ。
- ^ “Pressler Expresses Interest In Senate”. Argus-Leader: p. 13. (November 6, 1976). オリジナルのMarch 2, 2020時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “Lawrence: Abourezk's contempt for Pressler remains strong?”. Aberdeen News. (October 6, 2014)
- ^ Hohmann, James. “Pressler may run again — as an indie” (英語). オリジナルの2015年7月2日時点におけるアーカイブ。
- ^ “Pressler, Larry Lee”. Biographical Directory of the United States Congress. 2021年6月5日閲覧。
- ^ “Sen. Pressler: He Spurned the 'Arabs'”. (February 4, 1980)
- ^ “Excerpts from Ruling by Federal Judge Upholding the ABSCAM Convictions”. The New York Times: p. 8. (July 25, 1981). オリジナルのOctober 26, 2014時点におけるアーカイブ。
- ^ Butler, Patrick (May 5, 2014). “Five questions with U.S. Senate candidate Larry Pressler”. Rapid City Journal. オリジナルのOctober 11, 2014時点におけるアーカイブ。
- ^ “Biography - U.S. Senator Larry Pressler – 2017”. www.larrypressler.com. 2007年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月5日閲覧。
- ^ "President Obama Announces More Key Administration Posts, 11/10/09". whitehouse.gov (Press release). 10 November 2009. 2017年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ Montgomery, David (December 27, 2013). “Independent voice needed, Larry Pressler says”. Argus Leader
- ^ Devaney, Tim (June 13, 2016). “Former GOP senator endorses Clinton after Orlando shooting”. The Hill. オリジナルのOctober 12, 2016時点におけるアーカイブ。
- ^ “Former South Dakota Sen. Larry Pressler crosses partisan line again, endorses 'close friend' Joe Biden for president” (英語) 2020年11月28日閲覧。
- ^ “Former Republican Senator Making his Comeback as an Independent”. National Journal. (November 13, 2013). オリジナルのNovember 16, 2013時点におけるアーカイブ。
- ^ “Larry Pressler may run again in South Dakota - as an independent”. Politico. (November 14, 2013). オリジナルのDecember 5, 2013時点におけるアーカイブ。
- ^ Jacobs, Ben (January 17, 2014). “Larry Pressler Shoots for a Maverick Senate Comeback”. Daily Beast. オリジナルのOctober 15, 2014時点におけるアーカイブ。
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- ^ “Endorsement: Pressler best choice for Senate” (英語)
- ^ “EDITORIAL: Journal endorses Pressler for US Senate” (英語). (2 November 2014). オリジナルの8 October 2019時点におけるアーカイブ。
- ^ Peterson, Kristina (2014年10月21日). “FBI Agent in Abscam Sting to Campaign for Pressler in South Dakota” (英語). オリジナルの2016年3月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ Martin, Jonathan (2014年10月13日). “Senate Contest in South Dakota Is Free-for-All” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331. オリジナルの2018年9月21日時点におけるアーカイブ。
- ^ https://sdsos.gov/elections-voting/election-resources/election-history/2014/2014GeneralStateCanvass.pdf
- ^ “2014 Statewide Election Results”. South Dakota Secretary of State. March 30, 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月5日閲覧。
- ^ “Former U.S. Senator Larry Pressler battling pancreatic cancer” (英語). KELOLAND.com (2021年1月4日). 2021年6月6日閲覧。
アメリカ合衆国上院 | ||
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先代 ジェームズ・アブレズク |
サウスダコタ州選出上院議員(第2部) 第9代: 1973年1月3日 - 1979年1月3日 同職:ジョージ・マクガヴァン、ジェイムズ・アブドナー、トム・ダシュル |
次代 ティム・ジョンソン |
アメリカ合衆国下院 | ||
先代 フランク・デンホルム |
サウスダコタ州第1選挙区 選出議員 第9代: 1975年1月3日 - 1979年1月3日 |
次代 トム・ダシュル |