ラルフ・ジュリアン・リバーズ
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ラルフ・ジュリアン・リバース Ralph Rivers | |
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生年月日 | 1903年5月23日 |
出生地 |
アメリカ合衆国 ワシントン州、シアトル |
没年月日 | 1976年8月14日 (73歳没) |
死没地 |
アメリカ合衆国 ワシントン州、チェホールズ |
出身校 | ワシントン大学 (LLB) |
所属政党 | 民主党 |
配偶者 | マーサ・ウェンディング |
選挙区 | アラスカ州全州選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1959年1月3日 - 1966年12月30日 |
フェアバンクス市長 | |
在任期間 | 1952年 - 1954年 |
在任期間 | 1945年 - 1949年 |
在任期間 | 1933年 - 1944年 |
ラルフ・ジュリアン・リバース(英語:Ralph Julian Rivers, 1903年5月23日 – 1976年8月14日)は、アメリカ合衆国・シアトル出身の政治家。アラスカ州選出初のアメリカ合衆国下院議員。
経歴・人物
[編集]ワシントン州シアトルで生まれたリバーズは、アラスカ州フラットのグラマースクールに通学し、シアトルのフランクリン高校を卒業。1921年から1923年までフラットで金鉱父として働き、1929年にワシントン大学で学士(法学)を取得した[1]。
大学卒業後は個人開業の弁護士として活動し、1933年から1944年までアラスカ地区連邦地方裁判所の第4部門(フェアバンクス)で検事を務めた[1][2]。1945年から1949年までアラスカの司法長官に選出され、アラスカの雇用安全委員会議長(1950年 - 1952年) 、フェアバンクス市長(1952年 - 1954年)、アラスカ都市連盟会長(1954年)を歴任した後、1955年にアラスカ上院議員を務めた[1]。
1958年7月7日にアラスカ州法が制定され、リバーズは同年11月に行われたアラスカ州として初の下院議員選挙で当選を果たした。第86議会から第89議会まで4期連続で下院議員を務めた後、1966年選挙で落選し、1966年12月3日に辞任した。
1976年8月、ワシントン州チェホールズで死去。サンセットメモリアルガーデンに埋葬された[1]。
参考文献
[編集]- ^ a b c d “RIVERS, Ralph Julian”. U.S. Congress. 2021年1月30日閲覧。
- ^ “District of Alaska”. U.S. Department of Justice. Office of the United States Attorneys. 2021年1月30日閲覧。
- ^ “Creating Alaska-entry for Ralph Rivers”. University of Alaska. 2021年1月30日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ラルフ・ジュリアン・リバーズ - Find a Grave
- Ralph Rivers at 100 Years of Alaska's Legislature
アメリカ合衆国下院 | ||
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先代 ボブ・バートレット アラスカ準州選出の代議員として |
アラスカ州全州選挙区 選出議員 初代: 1959年1月3日 - 1966年12月30日 |
次代 ハワード・ウォーレス・ポロック |